突然の訃報

「──そして今やカメラは携帯電話に欠かせない機能となり、今年リリースされる新機種の大半はカメラ付きとなっております。その製品の約四〇%に我が社の部品が使われていることは、戦略営業部最大の成果であると言えるでしょう。三年前、黎明期の携帯用カメラにいち早く目を付け、周囲の反対を押し切ってでも開発を推進した私の決断は間違っていなかったと今は胸をなで下ろしております。この成功に満足せず、戦略営業部はこれからも攻めの営業、攻めの開発を推し進めて行きたいと思います。ご清聴ありがとうございました」


 スピーチを終えた光彦が壇上で頭を下げると、場内は割れんばかりの拍手に包まれた。


「中山部長、とても感動的なスピーチをありがとうございました。それでは続きまして大内専務、乾杯の音頭をお願いします」


 司会者の声に促され、専務の大内が壇上のマイクの前でグラスを掲げた。


「それでは戦略営業部と我が社のますますの発展を祈願して、乾杯!」

「乾杯!」


 一〇〇名以上の列席者は同時にグラスを掲げ、乾杯した。

 二〇〇三年、戦略営業部が発足して三年目。史雄が開発を推進した携帯向けカメラアセンブリがヒット商品となり、社内のホールで大々的な祝賀会が催された。


「結局、中山部長が手柄を全部持って行っちゃいましたね」


 泡の切れかかったビールグラスを片手に、会場の隅で静かに飲んでいる史雄の元へ、部下の亀井が近寄ってきた。


「手柄って、携帯カメラアセンブリは戦略営業部のみんなが頑張った成果だ。リーダーの部長が称賛されるのは当然のことだよ」

「でも課長の提案をあんなに渋って、開発中も散々邪魔してきたのにどんな神経してるんだろ? ってみんな言ってますよ」

「部長は責任を負う立場だからな。懸念があれば口を出すのは当然だ。憎まれ役を買ってくれてるんだよ、あの人は」

「そうでしょうか? 僕にはとても……ゴホッ! ゴホッ!」

「おい、大丈夫か? 顔色がずいぶん悪いぞ」

「すいません、大丈夫です。ここのところあまり休めてなくて……」


 亀井は今、史雄のチームから外れ、コンデジ用部品を売り込む光彦のチームに加わっている。残念ながら業績は厳しく、光彦から毎日叱責を受けているらしい。


「ならもう今日は帰れ。ここはいいから」

「でも、これから見積書をまとめないと……」

「いいから帰れ。そんな体調じゃまともな仕事にならないぞ。部長には俺から言っておくから。これは命令だ」

「……すいません。それではお言葉に甘えて失礼します」


 史雄に言われ、亀井は会場をそっと後にした。光彦のチームの内情について詳しいことはわからないが、亀井の様子を見る限り相当過酷なようだ。光彦とは一度本格的に話し合う必要があるなと史雄が考えていたら、当の本人がグラス片手にやって来た。


「よう、高瀬課長」

「お疲れ様です。先程のスピーチはお見事でした」

「よせよ。本当は俺に手柄をとられてはらわたが煮えくり返ってるんだろ?」

「そんなことはありませんよ。三年前、部長は懐疑的ながら開発のGOを出されました。あの時の部長の度量が大きかったから、この成果が出せたんです」


 心にもないお世辞だが、お坊ちゃん育ちの光彦はこの程度のおだてでもすぐ上機嫌になる。これは三年の間で史雄が会得した光彦の操縦法の一つだ。


「そうか? キミにそう言ってもらえると助かるな。最近は部下達の陰口が酷くてね」

「現場の人間は上の者をそういう目で見がちです。彼らには部長の器の大きさが見えていないんですよ」

「そうかなぁ。まあ、これも上に立つ者の宿命か」

「そうですよ。部下の陰口なんて気にしても仕方ありません」

「そうだな……それはそうと、皐月はちゃんとしているか?」


 光彦の口から皐月の名前が出るのは珍しい。それほど兄妹の仲は疎遠だったが、三人の関係は昨年微妙に変化した。史雄と皐月の結婚により、光彦とは上司と部下の関係に加え、義理の兄弟となったのだ。

 皐月は専業主婦となったものの、家事のほとんどを家政婦に任せ、自らは外での付き合いに精を出していた。主な相手は役員や上級職の家族で、連日のように豪華なランチ会へと出かけている。それに比例するかのように身の回りにブランド品が増えていった。役員たちにとって、史雄が将来経営陣に加わるのは既定路線であり、皐月の振る舞いも歓迎されている。彼女自身も、役員家族との関係構築が重要だと史雄に常々語っていた。


「もちろんです。妻としての役割を果たそうと懸命に頑張っていますよ」

「そうか? 役員連中の家族からお嬢様扱いされてずいぶんいい気になっているみたいだが、夫であるキミのことをないがしろにしていないか心配しているんだよ」

「実際に社長のお嬢様ですしね。それでも私のために良かれと思って、みなさまとお付き合いされていると思いますよ」


 そうは言ったものの、結婚後の皐月は明らかに変わった。同棲中は仕事と家事を両立していたが、結婚を機に仕事を辞めてからは時間のほとんどを遊興に費やすように。史雄の収入は同世代の中では高い方だが、皐月の浪費をまかなうには到底足りず、実家からの支援に頼っているのが現状だ。しかし、大きな問題が表面化していないため、史雄は強く口出しできずにいる。


「まあ俺が社長になった暁にはキミは専務だからな。皐月もその辺はわかっているんだろう。色々大変だろうがよろしく頼む。義弟おとうと君」

「はい。その時を楽しみにこれからも精進して参ります」


 将来は専務だ! なんて空手形に内心呆れながらも、史雄は光彦の立場を冷静に見ていた。今年四十三歳の光彦は、本来なら取締役に昇格していてもおかしくない年齢だが、いまだに部長職に留まっている。これは社長と役員たちの意向によるもので、能力不足が主な理由だ。将来、光彦が社長になるのは避けられないが、経営陣は彼を軽い神輿として扱い、実績を作らせず、役員としての活動期間を短くすることを望んでいる。光彦自身がその事情をどこまで理解しているかは不明だが、将来の地位が約束されているため、現状に不満はないようだった。


「それじゃ困る……」


 光彦が去り、一人残った史雄は、ぬるくなったビールを口に含みながら考えを巡らせていた。現場にとって光彦の存在は害悪でしかなく、排除するには役員に昇格させるのが最善策だ。幸いにも携帯カメラアセンブリの大ヒットという実績がある。これを手土産に光彦を役員に押し上げたい──それが史雄の狙いだった。そのため、あえて自分の功績を控えめにし、光彦に手柄を譲ったのである。


 *


 パーティーから数日、通常業務が始まる朝、その知らせが届いた。


「課長!一番にお電話です!」


 事務の社員に呼ばれ、史雄は受話器を取る。


「はい。高瀬です……あ、どうもいつもお世話になっております。亀井君は…………えっ!ええっ!?」


 ただならぬ声音にオフィス全体が緊張に包まれる。そして、史雄の口から信じられない言葉が出た。


「亀井君が……亡くなった……」

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