社長の娘

「──という情報からも、通信各社が数年以内にWebサービスを展開していくことは明らかです。そうなると携帯電話の大画面液晶ディスプレイの需要は必然的に高まるでしょう。ここに我が社の強みを活かした液晶パネルアセンブリをメーカーに提案していくことが、今後の事業展開に必要だと私は考えます」

「……うん。君の話はよくわかった。で、そのアセンブリの企画書、早急にまとめられるかな? 出来上がり次第、橋本君に見せてほしいんだが」

「実はもうメーカー別に企画書の叩き台と大まかな見積もりを作成しております。あとは橋本課長と部長にチェックしていただければ、いつでも提出可能です」

「さすが高瀬君だな。じゃあ今週中に確認するよ。それで来週からメーカー担当者にアポを取っていこう。会うときは君も同席してもらうから、しっかり頼むよ」

「承知いたしました。準備しておきます」


 祖母の葬儀から三年、二十七歳になった史雄ふみおは第一営業部のエースとして活躍していた。会社は東京に本社を置く部品製造メーカーで、世間的な知名度はほとんどないが、従業員一千名を超える大企業だ。


「よう、今朝の会議好評だったんだって? また大型受注を決めるんじゃないかって、うちの部でも噂になってるぜ」


 廊下を歩く史雄の後ろから、第二営業部で同期の清水が声をかけてきた。


「大型受注って……。まだ企画書の段階だぜ」

「でもよ、製造のやつに聞かれたぞ。マジなら新しいラインを考えないとって」

「フットワークが軽いのはいいことだけど、焦りすぎだって」


 たしかに今回の大型受注が実現すれば、会社にとって大きな前進だ。それに、自分がこのプロジェクトを牽引することで、周囲の信頼に応えたい――史雄はそう強く思っていたが、まだこんな初期で騒ぎ出すのは早すぎる。仕事の段階でいえば、まだ絵に描いた餅の状態だ。


「お前は営業のエースだからな。みんな期待してんだよ。っと、そういえば午後、新卒の面接官やるんだって? 人事の宍戸が心配していたぞ」

「ああ、予定は入っているけど、心配ってなんだよ」

「いや、忙しくてすっぽかされんじゃないかって」

「そんなわけないだろ。一応業務なんだから」


 会社では就活学生の面接に、現場で働く従業員を参加させることになっている。担当者は各部から選ばれるが、特に優秀な従業員が指名される。


「だよなー。まあ宍戸には心配すんなって言っとくわ」

「よろしく」


 史雄はそのまま会社を出る。今は午後一時半、面接時間は三時だから、その間に昼食を済ませようと駅前の飲食店街に向かった。


 *


「ああっ!? キャッ!!」


 突然、背後から女性の悲鳴と人が倒れる音。史雄が驚いて振り返ると、目の前にリクルートスーツ姿の女性がうずくまっている。


「大丈夫ですか?」


 史雄は彼女の前にしゃがみ、手を差し出す。


「あ、はい。すいません、いきなり……」


 彼女は差し伸べた手を取り立ち上がろうとするが、靴が脱げたせいで、今度は史雄に倒れ込んだ。


「す、すいません……ホント、ごめんなさいっ!」

「大丈夫ですよ。──ああ、パンプスのかかとがマンホールの穴に入っちゃったんですね……」


 史雄はマンホールの穴に刺さったままのパンプスを抜くと、彼女に履かせてやった。幸いヒールは皮膜が破れているものの折れてはおらず、機能的には問題ない。


「ありがとうございます。助かりました」


 服についた汚れを払いながら、彼女は史雄に頭を下げる。


「これから面接ですか?」

「あ、はい。でも最悪~、こんな格好じゃ面接行けないですよ~」


 無邪気な笑顔で笑う彼女の顔を、史雄はこの時初めて見た。目元が大きく、丸みを帯びた顔立ちは愛らしい雰囲気を漂わせている。目鼻立ちはややアンバランスだが、感情表現は豊かで、屈託のない笑顔からは育ちの良さをうかがわせた。


「でも面接は行かないと。あなたのために時間を作って待っている人がいるんだから」


 史雄がたしなめるように言うと、彼女は少しいたずらっぽい顔で返す。


「本当は面接行かなくても問題ないんですけどね~」

「そうなんだ、じゃあなんで面接に?」

「実は……これから行く会社、父が社長なんです。で、採用は決まっているんですけど、形式だけでも面接は受けなさいって……」

「いやいや、それならなおさら行かなくちゃ。お父様の対面に傷が付くし、あなたの印象も悪くなるから、入社後の立場が不利になるかもしれない」

「そうですか……。でもこんなボロボロの格好じゃ……」

「それだって面接では使えますよ。アクシデントは話題を広げやすいし、会話が続けばあなたの人柄も伝わりやすくなります。面接官に『社長の娘さんじゃなくても採用してました』って言わせましょうよ」

「……そうですね。いろいろありがとうございます。見ず知らずの方なのにアドバイスまでいただいて」

「いえいえ。面接頑張ってください」

「はい!」


 史雄にとっては昼食前のちょっとした出来事に過ぎない。だから約一時間後、会社の面接室で再び彼女と再会するとは夢にも思わなかった。


 *


「こんにちは! 中山皐月なかやまさつきと申します。本日はよろしくお願いします!」

「あっ!」

「ああっ!!」


 目の前に現れた皐月の姿に先程の出来事が鮮明によみがえり、史雄は思わず声が出た。皐月も同じように驚いた表情を浮かべている。これが史雄と皐月の出会いだった。

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