第14話 瞬間
「…………そんな、ことが……」
「……だけど、それは蒔野さんのせいじゃない。もちろん、その生徒――
そう、彼女の目を真っ直ぐに見つめて告げる。自分のせいで、藤本さんが亡くなった――そう、自身を追い詰めてしまう気持ちは分からなくはない……つもりだ。
……だけど、これだけははっきりと言える。不幸にも藤本さんが亡くなってしまったのは、絶対に蒔野さんのせいじゃな――
「……違うんです、
「……えっ?」
すると、少し俯き呟くようにそう口にする蒔野さん。僅かに見えるその表情は、何処か自嘲するような微笑に見えて。それから、ほどなくゆっくりと口を開き言葉を紡ぐ。
「……あの時、私は彼女を……藤本さんを、助けられなかったんじゃない――助けなかったんです」
『……っ!!』
刹那、さっと手を伸ばす。私が躱したことで、勢いあまって落下していく藤本さんを助けるために。……もう少し、もう少しで届きそうだったその瞬間――
――――私の中の悪魔が、囁いた。
――助けるのか? 瞬間、そんな言葉が脳を過り――そして、伸ばした手を引いた。尤も、それは一瞬――本当にほんの一瞬で、すぐさま再び手を伸ばしたのだけど……それでも、もしかしたら……万が一にも届くかもしれなかった彼女との距離を決定的に離してしまうには十分過ぎて。
「……あとは、お話した通りです。ほどなくして気が付くと、私の視界には真っ赤な血を流し微動だにしないクラスメイト、藤本さんの姿が映った次第です」
「……蒔野さん」
そう、変わらぬ自嘲的な微笑で締め括る蒔野さん。そして、ようやく理解できた。これが、彼女の最も深いところに根を張っている
「……これで、分かったでしょう? 例の噂の通り、私は醜い人殺し……本来、生きていてはいけない人間なんです」
「――っ!! そんなことな――っ!!」
衝撃の――そして、どうあっても許容できないその言葉に否定の意を示そうとするも、不意にピタリと止まる。いや、言葉だけでなく思考も……呼吸も止まる。何故なら――僕の言葉を遮るようにさっとポケットから取り出した小さな刃物を、雪のように白い自身の首筋へと突き立てていたから。
「……駄目だ、蒔野さん」
そう、声を震わせ口にする。僕自身、こういった状況は今まで経験したことがない。……それでも、分かる。――紛れもなく、彼女は本気だ。本気で、自らの首筋へとカッターナイフを――
「……そうだ、話をしよう蒔野さん。そんな危ないものは捨てて、前みたいにベンチで――」
「――来ないでください」
とにかく、どうにか彼女の手を――その白い首筋にあと数ミリというところに
……いや、まだだ。まだ、出来ることはある。
「……ねえ、蒔野さん。もし、君が本当に死のうと思っているのなら、どうして今日ここに来たんだい? どうして、僕に会ってくれたんだい?」
そう、足を止めたまま尋ねる。……本当は、今すぐにでも駆け出したい。例え無理にでも、その危ない
それでも……この表現はどうなのかと自分でも思うけれど、付け入る隙はあると思う。
疑いの余地もなく、彼女は本当に死のうとしている。だけど、一方でこうして今ここに……僕に、会いに来てくれた。そして、それは言うまでもなく死を選択する上で全く以て不要な行為。それでも、敢えてそれをしてくれたのなら――
「……そうですね、私自身、確かなことは定かでないのですが……」
すると、仄かに微笑みそう前置きをする蒔野さん。そして、再びゆっくりと口を開いて――
「……きっと、お話ししたいと思ったのでしょう。最期に、由良先生と会ってお話ししたい――そう、思ったのでしょう」
「……蒔野さん」
そう、ポツリと彼女の名を呼ぶ。……ほんと、どうしようもないな、僕は。今、まさに死のうとしている教え子が紡いでくれた言葉に、悲痛と同じ……いや、ひょっとするとそれ以上の喜びに心が震えているのだから。だけど……いや、だからこそ――
「……ありがとう、蒔野さん。だけど、それなら尚のこと死なせるわけにはいかない。僕だって、これからも君と会って話をしたいんだから。僕にとって、ここで君と過ごす時間が……ただ他愛もない話をしながら過ごす時間が、もうかけがえのない
「…………ずるいですよ、そんな言い方」
そう伝えると、少し目を逸らし呟く蒔野さん。その雪のような頬が朱に染まっている気がするのは、夕陽のせいだろうか。
まあ、それはともあれ……うん、自分でも思うよ。僕はずるくて、どうしようもなく身勝手なんだ。
「……それでも、やっぱり私は……」
そう、少し俯き呟く蒔野さん。全く以て効果がなかった、というわけではなさそうだけど……それでも、彼女の決意を覆すには至らなくて。……まあ、それはそうだよね。僕が望んだ程度で……生きてほしいと望んだ程度で簡単に覆る決意なら、そもそもこんなに苦しんではいないだろうし。……うん、仕方ないか。
「……ねえ、蒔野さん。もし……もしも、本当に君が命を絶ってしまったら、そのカッターナイフを借りても良いかい?」
「……へっ? えっと……」
些か……いや、随分と唐突と言えよう僕の問いにきょとんと目を丸くする蒔野さん。そんな彼女の様子に、こんな状況だっていうのに思わず微笑ましくなってしまう無神経な僕。ともあれ、彼女の疑問に答えるべく再び口を開いて――
「……うん、もしも君が死んでしまったら……僕も、そのナイフで自分の首を切ろうかなって」
「………………は?」
僕の言葉に、ポカンと目を見開く蒔野さん。先ほどとは比べ物にならないような、まさしく鳩が豆鉄砲を食ったような表情で。だけど、それからややあって――
「……あの、先生。いったい、何を言って……」
そう、呆然と呟く蒔野さん。……まあ、そうなるよね。ともあれ、再び彼女の疑問に答えるべく口を開いて――
「……うん、言葉の通りだよ蒔野さん。もし君が贖罪のために、自ら命を絶つようなことがあれば――僕も、自ら命を絶つ。じゃないと、教師として生徒に示しがつかないからね」
そう、真っ直ぐに彼女を見つめ告げる。すると、ややあって少し俯く蒔野さん。心做しか、肩が……いや、身体が少し震えているような――
「……そんなの」
「……ん?」
「……そんなの、認めるわけないじゃないですか! 冗談もほどほどになさってください! なんで貴方が死ぬ必要が――」
「……僕も、君と同じだからだよ」
「…………私と、同じ……?」
出会っておよそ二ヶ月――初めて聞いた、蒔野さんの叫び声。……まあ、叫びたくもなるよね。それくらい、わけのわからないことを言ってる自覚はあるし。それでも……僕の中では、明確な理由があって。
「……そう、同じなんだ。僕も、君と同じ――僕のせいで、一人の尊い命が失われた。僕が、殺したも同然なんだ」
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