【12:決闘】

 アランは訓練用の木刀をギュッと握り締め、イズラフェルをにらんだ。足を開いて構えを取ると、靴の裏から砂利が軋む音がした。


「……」


 リュシーとイズラフェルの結婚生活。その雲行きが怪しい。特にイズラフェルの冷たい態度については、都度、姉のエスターから聞いていた。リュシーは落ち込みながら、彼の口にした言葉の全てを打ち明けたそうだ。


 ――何が『自分を暗殺して好きな男と添い遂げろ』だ。そんなこと、リュシーができるわけないのに。


 アランは唾を呑む。相対するイズラフェルの、光のないガラス玉みたいな目を見て思う。英雄だか何だか知らないが、いきなり現れてリュシーと結婚して。それでいながら彼女を愛している様子もない。アランにはそれが許せなかった。


 ――オレはずっとリュシーを見てきたし、ずっとそばにいた。オレの方が絶対に、リュシーを幸せにできるはずなのに。


 野次馬の最前列に、リュシーの姿が見える。彼女はエスターの隣で、ハラハラ困ったように成り行きを見つめている。


 アランとリュシーの目が合った。アランは『大丈夫だ』と言う代わりに、親指を立てて返事する。これは彼女にいい所を見せる絶好のチャンスだ。


 立会人を名乗り出てくれた仲間に視線を送る。彼は頷き、コインを高々と弾き飛ばした。そしてコインが落ちた音と共に、アランは木刀を手に突っ込んでいく。


「はあっ!」


 裂帛れっぱくの気合い。木刀と杖がぶつかり合う、乾いた音。


 木刀を使っているが、これは訓練ではない。アランが申し込んだ、れっきとした決闘だ。全力で何度も打ち込むが、イズラフェルは全て杖で受け、払い、流していく。


 ――すばしっこい奴! じゃあ、これならどうだ⁉︎


 アランは地面を踏み締め、得意の突きを全力で放つ。だがイズラフェルはそれを寸前でかわす。


 ――何⁉︎ 避けられた⁉︎


 いいや、今のはまぐれだ。もう一発同じ攻撃を繰り出すが、まるでそれを予見していたように、彼はスッとステップを踏んで回避する。


 ――こいつ、意外と強い!


 こんなはずはない。英雄と呼ばれていても、イズラフェルはあくまで魔術師だ。肉弾戦でアランが負けるはずがない。体重を乗せた一撃にも耐え、素早い刺突も右へ左へと受け流される。まるで風を受けた柳の枝のようだ。


 心の中に少しずつ、焦りが積み重なっている。

 手が、体が、疲れを訴え始める。


「クソっ!」


 気合いのかけ声はどんどん大きくなり、剣筋も荒っぽく、大雑把になってきた。


 ――チクショウ、思っていたより強いぞ!

 魔術師として並か、もしくはそれ以上の動き。しかも見えていないのだから尚更だ。


「……!」


 渾身の一撃。また受け止められた。木と木が打ち合う衝撃が、ダイレクトに伝わってきて手が痺れる。


 アランはへっと笑いながら、苦し紛れに呟いた。


「……降参するなら今のうちっすよ」


 イズラフェルは表情を動かさず、クビだけを数ミリ傾けて、


「降参したら、それは私の負けになるのでしょう?」

「そうっすよ。だから賭けには応じてもらいます」

「それなら、できるわけありませんよ。負けません」


 杖に受け止められた木刀。そのままジリジリと力をかけていくが、イズラフェルはびくともしない。


「んなこと言いやがって。英雄だか何だか知らねえけど、どうせあんたは負けるんだ。なら、さっさと諦めちまった方が恥かかなくていいっすよ。……リュシーだって見てるし」


 嘘じゃない。現にリュシーは身を乗り出して、二人の小競り合いを食い入るように見つめている。果たしてイズラフェルはそれに気づいているだろうか。彼は小さく目を伏せた。何度見ても、不気味な色をしている。


「そうですか。なら尚のこと、負けるわけにはいきません」


 細められた目が開かれる。青緑色の濁った目に、今までになかった何かが生まれる。


「っ⁉︎」


 イズラフェルはアランの力押しを払い除けた。そしてアランのすぐそばを、杖の一撃が掠めていく。


 彼の反撃が始まった。


 右、左、次は右、また左――イズラフェルの攻撃は想像以上に早くて重い。そんな攻撃の波を、アランは次から次へと裁かなくてはならない。


 ――ヤバい、このまま行ったら、オレは――!


 そんな攻防が、しばらく続いた。

 そして、


「……っ‼︎」


 決着はついた。

 その場にいた全員が、息を呑んだはずだ。


「……」


 アランはゆっくりと、状況を確認した。


 彼の木刀は、イズラフェルの首に触れる直前だった。もう少し勢いよく振りかぶれば、彼の首は落ちていただろう。だがイズラフェルの杖もまた、アランの胸元をゼロ距離で突いていた。


「はぁ……っ、はぁ……っ」


 アランの息は軽く上がっていた。それ以上にイズラフェルの息は荒く、ローブの肩は上下に激しく動いている。


 汗が滴る中、アランはもう一度、イズラフェルの目を見つめる。光のない、青緑色の底なし沼みたいな目が、ひたりとこちらを見返していた。

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