【11:賭け事】

 窓から爽やかな風が吹き込む八月の始め。リュシーは自室での仕事をひと段落させ、椅子の上でうーんと伸びをする。


「よし、こんなものでいいかな」


 父アンドレイ・グレイン辺境伯に見せる書類は山のようにある。領を保護する結界の綻びと補修について、【森】に溜まる瘴気の濃度や分布の変化。それと魔物や植物の生態。そして最奥にある、気圧の魔法陣の状況と修繕具合。


「やっぱりイズラフェル様が一緒に来てくれると、何かと心強いのよね。調査も捗るし」


 だが彼がいると、なぜかアランの機嫌が悪くなるのだ。イズラフェルは『思い当たる節がある』と言っていたが、リュシーにはよく分からない。


 控えめなノックの音に、意識が引き戻される。


「リュセット様、いらっしゃいますか?」

「エスターね。どうぞ、入って」

「失礼します」


 彼女は扉を後ろ手に閉め、それからすぐ慌てて、


「ああ、リュシー様。いてくださってよかった。大変なんです」

「大変? 何かあったの?」


 エスターは困ったように「申し訳ございません」と言ってから、


「何でも、うちのアランがイズラフェル様に決闘を申し込んだとかって」


 リュシーは椅子から飛び上がった。


「えっ、決闘⁉︎ アランとイズラフェル様が⁉︎」




「リュシー様、こっちです。急いで!」

「ちょっと待って、エスターってば!」


 リュシーはエスターにぐいぐい引っ張られ、領立軍の訓練場へ走った。

 グレイン領は大陸北部の地域とはいえ、短い真夏はそこそこ暑くなる。乾いた風の吹く炎天下、訓練場には大きな人だかりができていた。


「すみません、通して。通してください」


 取っ組み合いの訓練中だったのだろう。半裸の兵士やローブの魔術師兵たちの隙間を縫って進む。人だかりを抜けて大きく息を吸うと、よく見知った二人が、各々の武器片手ににらみ合っている。


「イズラフェル様……。アランまで」


 アランはリュシーが今まで見たこともないような顔で凄み、対してイズラフェルは無表情のままだ。


「オスカー義兄様、何があったのですか?」


 リュシーは兵士たちのトップであり、姉婿でもあるオスカーに説明を求める。オスカーは深いため息と共に肩をすくめて、


「アランが吹っかけたんだよ。訓練中にいきなり『オレはあんたとリュシーの結婚になんか納得していないぞ』って大声で叫んで。なあ?」


 彼は実際に見ていた部下に話を振ると、部下は「はい」と頷いた。オスカーは目線をリュシーに戻し、


「それで『決闘する』と騒いでな」

「イズラフェル様は何と?」

「それがあいつまで『受けて立ちましょう』とか乗り気で。……まあ、訓練の一環なら構わんさ。アランの武器は木刀だし、イズラフェルは魔法禁止。それでアランが大人しくなるなら、安いものさ」


 平民が貴族に――それも自身が仕えている女性の夫に決闘を申し込むなんて。弟の前代未聞の蛮行を聞きエスターは、


「まったく、あの子ったら何を……」


 あーと声を出し、頭を抱えていた。リュシーは、


「ねえ、オスカー義兄様。何でアランはわたしたちの結婚に納得していないんですか? わたし自身は納得しているのに」

「……リュシー。君、それ本気で言っているのか?」

「え? ええ」

「アランも気の毒なものだな。なあ、エスター」

「……そうですわね」

「?」


 リュシーが首を傾げてると、後ろからカバっと肩を組まれる。驚いて見上げると、この場で最も頼りになるはずの男がワクワクしながら決闘を見つめている。


「ただいま、リュシー」

「エリオット兄様、帰っていらしたのですか?」

「ああ、まあな」


 エリオットはお得意の貧乏ゆすりをやめ、争いを見て目を輝かせている。彼の隣、今度は次兄のオーガストも顔を覗かせた。


「それにしても、何だこの事態は? ずいぶん面白そうなことをしているな」

「お兄さまたち、二人を止めてください! もし二人が怪我なんかしたら、わたし嫌です!」


 それを聞き、エリオットは下品な笑みを浮かべる。


「男の決闘は神聖なものだ。水を差すものじゃないぞ、リュシー。それに大体あの二人はな、お前を巡って戦って――」

「それを言うのは野暮ってものだぜ、兄さん」


 オーガストはエリオットの口を塞いだ。モゴモゴ不服そうにしている兄をよそに、オーガストは、


「おい、みんなはあの二人のどちらが勝つと思う?」


 緊迫した空気の中、のんびりしたオーガストの声はよく響いた。兵士の誰かが「アラン!」と声を上げ、魔術師の誰かが「イズラフェル様に決まっているだろ!」と反撃した。


「オスカーはどうだ?」


 彼は二人の義兄に向かって答える。


「そんなの、アランに決まってますよ。非魔術師兵のメンツがかかっているんですからね。勝ってもらわなければ困ります」


 オーガストの手から逃れたエリオットが、ニヤリと挑発的に笑い、


「じゃあ僕はイズラフェルに賭けるぞ。なんたってあいつは英雄だからな。間違いなく勝つさ。おい、オスカー。イズラフェルが勝ったら今夜、酒を奢れ。魔術師兵の全員にだ」


 魔術師たちの喝采。対するオスカーも強気だ。


「分かりましたよ、エリオット義兄さん。その代わりアランが勝ったら、義兄さんが兵士連中に奢ってくださいよ」

「望むところだ」


 外野が賭けで盛り上がる中、リュシーはずっと、にらみ合う二人を見つめたままだ。オーガストは騒ぎ続ける兄と義兄たちを無視して、


「リュシーはどっちが勝つと思う?」

「え、えーっと……」


 そんなの分からない。アランの剣もイズラフェルの魔法も見たことはあるが、二人が戦うなんて考えたこともなかった。


 リュシーが答えを渋っていると、オーガストは微笑んでから、


「質問を変えようか。君はあの二人のどっちに勝って欲しい?」


 リュシーは爪を噛みながら、もう一度二人を見た。二人はお互い険しい顔のまま、一歩も引くことなくにらみ合いを続けている。


「そ、それは……」

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