人魚の浜の衣
僕たちは境内を出て、彼女が衣を失くしたと言う浜辺に来ていた。
そうだ、人魚が打ち上げられたと言う、あの浜辺だ。あの日以来、村の皆はこの浜のことを『人魚の浜』と呼んでいるが、祠に骨がなかったことから本当に人魚がいたのかどうか、僕は疑いを持っている。
「この浜辺で人魚が打ち上げられた話、知ってる?」
「人魚?」
「あれ、人魚知らない? 人魚はね、上半身は人間で、下半身は魚の生き物なんだよ」
「⋯⋯へえ?」
まあ、僕もバカじゃない。彼女が人魚である可能性も窺っているが、未だにそんな素振りを見せないでいる。
「ところで、衣ってどんな衣?」
「んとね、色は半透明の薄桃色で、とっても軽くってふわふわなの!」
「え、そんなふわふわだったら、もう風でどこか飛んでっちゃったかも知れないね!?」
「そんなあ⋯⋯」
とても悲しそうな顔をして、落胆する様子がどこか儚げだ。彼女にとって、その衣は本当に大切なものだったのだろう。何とかして見つけてあげたいが⋯⋯。
さっきまで出ていた満月は、少し雲がかかって薄暗くなっている。
「とは言っても今は夜だから判りにくいだけで、明るくなったら見つかるかもだよ!?」
「それじゃあ遅いの! アタシ、明日の朝になったら⋯⋯」
「だったら探そう!」
「でも⋯⋯」
「ほら、悩んでる暇があったら探す! ね!?」
彼女はまんまるな瞳で僕を見ると、ひとつ大きく頷いて、あの可愛らしい笑顔を見せた。
「そうだね! 探そう!」
「ああ、僕はあっちを探してくる!」
「じゃあ、アタシは向こうだね!」
「じゃ、また後で!」
「あっ、ちょっと待って!!」
「え、なに!?」
「⋯⋯いや、何でもない! また後で!」
何か言いたそうな顔をしていたが、やめたのだろう。今はそれどころじゃない、とにかく衣を見つけなくっちゃ。
夜の浜辺は陸風だ。海に飛んでいったのならもう見つからないかも知れない。しかし衣を失くしたのが日中だとすれば、海風でどこかに引っかかっているかも知れない。
小一時間。
僕は浜が途切れるところまで歩いたが見つからなかったので、元居たところへ向かって戻っていた。
「コーキ!!」
彼女が変な顔をして僕の名前を呼んだ。変な顔と言うのは、笑ったような困ったような、何とも言えない顔、そんな感じの顔だと言うことだ。
「見つかったの、アマネちゃん?」
「コーキいぃ、見つかったのは見つかったんだけど⋯⋯」
「⋯⋯? どうかしたの?」
彼女は少し困った顔で指で一本の松の木指し示した。
「ああ。わかった! 僕が取ってくる!!」
指し示した先に目をやると、高い松の木の上にそれと思しき衣がヒラヒラと風に靡いているのが見えた。
「まかせてよ!!」
僕は木登りは得意だ。よく婆ちゃんに頼まれて柿の木や琵琶の木に登ったものだ。だけど、せっかく採ってやってるのに、猿みたいだとか言うのはやめて欲しい。
海風の防風林として植えられている松並木。枝までの距離がそこそこあるので女の子には確かに無理だろう。
まあ、僕にしてみればこんなのは序の口だ。松の樹皮は手がかりが良いので枝がなくても登りやすいのだ。
「わあすごい! お猿さんみたいだね!?」
「やめて!?」
あははって笑ってるけど、何気に傷付いてる僕の心。
ちょっと登る気力が萎えたものの、難なく衣を取って下りてきた。
「はい、これ」
「ありがとうコーキ!」
抱きついてくる。僕は視線を逸らして
「こんなの楽勝だよ」
とか強がって見せた。だけど彼女は本当に嬉しかったのだろう、衣を持って走り回り始めた。
「ねえ、コーキ」
「ん、それじゃあ送ってくよ!」
「本当に?」
「だって、約束したじゃないか」
「本当に良いの?」
「かまやしないさ! 僕だって男の子だからね? 男に二言はないよ!」
「あはは、何それ! おっかしいの! あはは」
何かバカにされた? むう、と不貞腐れていると、彼女は衣を持って浜辺を踊り始めた。
それにしても⋯⋯あれ? 僕は何を見ているのだろう?
さっき僕は彼女が走り回っていると言ったが、彼女の走ったあとに、足跡がない。砂浜は綺麗なまま、彼女はその上をすうっと⋯⋯撫でるように着物の裾を引き摺っている。
彼女は華麗に僕の周りを旋回しながら、くるくると細かく回転して衣を大きく広げている。僕の目の前をひらひらと衣が舞い、雲の隙間から差してきた月の光が衣に触れると、衣自体が発光しているかのような幻想的な淡い光を放つ。
視線が合う。
にこっ、と彼女はいたずらに笑うと、ふわっ、と宙に浮いた!
その瞬間に彼女の帯が解けて、被っていた頭巾が取れた。
ぶわっ、と広がる桃色の長い髪は、ゆるやかな波を打っていて、月の光に触れるときらきらとその光沢を魅せつけた。
そして赤い着物がはだけて現れたのは、魚の尻尾、いや、確かに赤と白の二色の鱗に覆われて、金魚のようではあるが、これは蛇? いや、違う。髪の隙間に僅かに見える角はまさに、龍のそれだ!!
「アマネ、君はいったい⋯⋯何者なんだ!?」
「うふふ♪ 知りたい?」
⋯⋯敵わない。いいだろう。どうせここまで来たなら
「ああ! アマネ! 君のことをもっと知りたい!! 教えてよ、アマネ!!」
ぴたり。
アマネは止まった。まっすぐ僕の目を見て、少しづつ近付いて来る。
胸が⋯⋯高鳴る!! うるせえ、黙ってろ!!
「誰にも言わないでくれる?」
「ああ、誰にも言わない。約束だ!!」
「ふふ、男に二言はない?」
「ない!!」
「そう! わかった!! それじゃあ⋯⋯」
彼女は自分指をくわえて僕の顔を見た。
「つっ⋯⋯」
さくらんぼのような唇から、その果汁にも似た血が流れた。そして何を思ったのか、その指を僕の顔の前に突き立てた。
「はい、吸って?」
「う、うん⋯⋯」
僕は彼女の指を舌先に乗せ、唇で覆い尽くすと、ゆっくりと力を入れて──
──吸った。
それは本当に⋯⋯果汁のように甘く、彼女の熱を帯びていた。
僕も、彼女も、何故か頬を紅くさせて、それこそ二つ並んだ大きなさくらんぼのようだった。だが──
──次の瞬間。
体に、いや、体中に激痛が走った! 口から泡を吐き、体を痙攣させて、僕はのたうち回った。
「うわあああああああ!!」
「⋯⋯」
苦しそうに暴れる僕を、彼女がどんな顔で見ているのだろうと思い、苦痛に悶えながら僕は、彼女の顔を見た。
怯えていた。
「コーキ!? コーキッ!! 頑張って!!」
声が、彼女の声が聴こえる。少し震えて、悲壮な叫びにも似た、懇願するような激励?
彼女はこうなるのをわかっていたのか。僕が飲んだ彼女の血は確かに彼女の体液だ。直接飲んだのだから間に何も介さない。彼女の口に毒を含んでいたと言うのであれば、彼女だって同じ事になるだろう。
すなわち、これは純粋に彼女の血液で、そしてそれは猛毒。そう言うことなのだろう。
どれくらいの時間が過ぎたのか。数分なのか、数時間なのか。
僕は胃袋の中身のものを全て出したが、どういう理屈か彼女の血は一滴も出て来なかった。
ぽたり。
雨だろうか、そう言えば雲が出ていたな、などと思考が働くようになった。
ひゅっ、風がぬけ、ざざん、波の音が聴こえるようになった。そして⋯⋯ぽたり、ぽたり、雨が、大粒の雨が、僕の顔を濡らす。
目を開けると、アマネの大きな瞳から、特大の涙が降り注がれていた。
「コーキ!!」
「やあ⋯⋯アマネ? 何で泣いてるの?」
「コーキいいいいいいいいいいいい!!」
彼女は僕の頭を膝に乗せたまま顔を擦り付けてきた。僕の顔までびちゃびちゃになるからやめて欲しい。
「コーキ、アタシね?」
「⋯⋯う、うん?」
「アタシ、龍神の娘なの!」
「龍神? え? 龍神? 龍神の娘?が何故こんなところに?」
「それは⋯⋯」
「⋯⋯それは?」
「満月の夜でもないのに月を出て来たものだから、海に落っこちちゃったの⋯⋯」
「あはは、落っこちた? あはは、アマネはおっちょこちょいだね!?」
「うん、おっちょこちょいなんだ。だから海も泳げなくて、ここに流されて、体を乾かしているうちに、寝ちゃって、干からびて、人間に捕まって、焼かれて、知らないところに運ばれて、気が付いたら衣が無くなってて⋯⋯」
「ん〜? 情報が多くてよくわかんないけど、途中、焼かれてない?」
「うん、あの時はさすがに死んだかと思ったよ?」
「死ななかったの?」
「私たち龍神はそもそもこの世に産まれてないからね。死なないの」
聴けば龍神は月の光をエネルギーにしているらしく、そのエネルギーはマナと呼ばれていて、この空気中にも含まれているのだとか。祠のあった鎮守の森はそれこそ大量のマナに溢れていて、彼女は肉体を取り戻せたらしい。そこへ僕の血をあげたものだから活力が漲って元気に動けるようになったのだとか。
話を聴いても色々と解らないことだらけだが、どうせ僕は子供なんだから目の前の事を受け入れるだけさ。深く考えてもわからないからね?
「さあ! 行こう!」
彼女はまっすぐ僕へ手を差し伸べる。
「え? どこへ?」
とか言いながら、もうどこへだって行ってやる、と僕は彼女の手を取った。
「月へ!」
⋯⋯え?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます