夜空にあまねく月の光輝

かごのぼっち

祠の人魚の骨

 僕がまだ幼い頃のことだ。


 村外れの浜辺で打ち上げられた人魚の屍が見つかった。


 村中大騒ぎで、住人たちがこぞってそれを見に集まったらしいが、幼かった僕は、どんなに頼み込んでも見せてもらえなかった。


 まあ、それはそうだろうか。いくら人魚とは言え、半分は人の形をした屍だと言うのだから、子供の僕には刺激が強いと言うものだろう。


 当時の僕はそんな大人の考えてる事などは理解できなかったので、ひと目見たくて仕方なかった。


 人魚の遺体は浜辺で焼かれて骨だけが村の神社の祠に祀られたと聴いた。


 僕は見たかった。見たくて仕方なかったのだ。



 ある満月の夜だった。


 僕はこっそり家を抜け出して、ひとり神社へと向かった。


 境内は静かで、夏だと言うのに虫の音ひとつしなかった。少しひんやりとして、満月の光は朧雲に隠れて薄暗く、祠がある鎮守の森はいっそう暗かった。


 ヒュッ、風が吹いた。


 生温かい風が僕の耳もとを撫でてゆく。僕は誰かに呼ばれた気がして、ドキッと胸の鼓動が跳ねた。


「だれ!?」


 辺りを見回したが、誰も居なかった。


 気の所為だ。そう思い込み、僕は祠へと足を進めた。祠は苔が生していて、全体が緑がかっている。当然辺りは暗く緑の色が見えるわけではない。しかし触れると柔らかな苔の触感が指先に伝わるのだ。


 息を呑む。


 祠の扉の取っ手に手をかける。まあ、十中八九鍵がかかっているだろう。そんな事は子供の僕にもわかっていた。


 カチ⋯⋯


 開いた。


「嘘だろう?」と呟いた時、


 ガサッ!


 後ろの茂みで音がした。僕はすぐさま振り返ったがやはり誰も居ない。僕は心臓をバクバクさせながら呼吸を整えるのに集中した。


「まったく心臓に悪い。猫か何かだろうか?」


 風が僕の肩口を撫でる。僕は一瞬ゾクッとしたが、気を取り直して祠の中の様子を窺った。まさか祠の鍵が開いているとは思わなかったものだから、拍子抜けも良いところだ。ちょうど僕がすっぽり入れるほどの箱がある。これが人魚の骨が入ったひつぎだろうか?


 僕は恐る恐る祠の中へと足を踏み入れた。


 ギィ、床が軋む。普段踏み入る事がなく、あまり清掃もされないのであろう。祠の中は埃っぽい。桃のような匂いがするが、それが祠の香りなのか、棺の香りなのか、はたまた鎮守の森の香りなのかはわからない。

 僕は棺の前までそろりと歩き、棺の上を見ると何か張り紙が貼ってある。しかし、僕には漢字が難しくて読むことができなかった。


 僕は意を決して棺の蓋に手をかけた。


 ⋯⋯。


 開いた。開いた瞬間、ヒュッと中から風が吹き抜けた気がしたが、棺の中は空っぽだ。いや、空っぽでは語弊があるだろうか。何かが入っていたであろう跡と、何かの毛が残っていた。

 何の毛だろう? こんな薄桃色の毛なんて見たことがない。まあ、人魚だって見たことがないのだから、薄桃色の毛があったとしても不思議ではないのかも知れない。


 だがおかしい。


 人魚がいたとしても、いなかったとしても毛なんて残っている筈がないのだから。何故なら人魚は浜で焼却されて遺骨だけが収められたと聴いた。ならば毛なんて残っている筈がないのだ。


 バタン!!


「えっ!?」


 祠の扉がひとりでに閉じた。


「誰!? 誰かいるの!?」


 僕はすぐに扉に手をかける。が、扉は堅く閉ざされている。祠に閉じ込められたのだ。僕は焦った。


「ごめんなさい! ごめんなさい! お願いだからここから出して!? 誰かそこに居るんでしょ!?」


 ⋯⋯。


 いや、居るはずだ。かすかに気配を感じる。


「ねえ、誰なの!? 神主さん!? 勝手に入ってごめんなさい!! もうしませんからここから出してください!!」


 ⋯⋯。


 扉の格子の隙間からスッと風が入り込む。⋯⋯笑い声だろうか、くすくすと細い声が聴こえる気がする。


「ねえ!! そこに誰か居るんでしょ? お願いだから出して?」

「くすくす」


 確かにそこに居る。女性、それも女の子のような声だ。


「キミ、名前は?」

「えっ!? 僕は⋯⋯こうき。僕の名前は宮前みやまえ光輝こうき

「そう、コーキね」

「はい」

「キミの血⋯⋯」

「⋯⋯血?」

「そう、キミの血を少しだけ分けてちょうだい? そうしたら出してあげる」

「ええ!? でも血を抜かれたら死んじゃうよぉ」

「大丈夫。ちゃんと死なないくらいにもらうから、安心しなさい?」


 死なないなら良いだろうか? 僕は少し迷ったが、ここから出られないのは困る。


「本当に死なない?」

「ええ。絶対に死なないわ?」

「じゃあ⋯⋯本当に少しだけだよ?」

「うん、約束する」


 僕は内心どきどきしながら、祠の扉が開くのを待った。


 カチャ⋯⋯。


 扉の隙間から女の子がひょっこり顔を出した。頭から赤い頭巾を被っていて判りにくいが、えらく痩せて見窄らしい顔立ちをしている。


「じゃあ、少しだけもらうね?」

「う、うん⋯⋯少しだけ、ね?」


 彼女はこくりと軽く頷くと、にっこり笑って僕の元へと近付いて来た。赤い着物の女の子だが、少し裾が長いのか床を引き摺っている。


「チクってするけど、痛いのは初めだけだから、我慢してね?」

「わかった!」


 僕は男の子だからね。本当は怖かったけど、少し強がって見せた。


 彼女はそっと僕の手首をとって、人差し指の先を噛んだ。


「いっ!?」


 痛かった。


 でも我慢した。彼女は目だけでニッと笑うと僕の指を吸い始めた。

 彼女の紅いの唇はとても柔らかく、生暖かい舌先が指先に当たっていた。


 彼女がチュッと吸い上げて、コク、コク、と喉を鳴らす。


 僕は恥ずかしくなって、彼女から目を逸らした。それを見ていたのか、彼女がクスッと笑った。

 ますます恥ずかしくなるからやめて欲しい。早く済ませてくれないだろうか。


 確かにもう痛くはない。むしろ、何故か心地良いくらいに気分がふわふわする。


 気のせいだろうか。彼女の肌の色艶が良くなって、心做しか先ほどよりふっくらして見える。


 あっ、だめだ。ふらっと来た。


「も、もう良いだろ?」

「ん〜ん、あおうおいあとすこし!」


 少し腹が立ったので、僕は彼女の目を睨みつけた。けど、彼女の目は笑ったまま僕をまっすぐ見ている。ほんの少し、


 頬が赤らんで可愛い。


 睨みつけていた筈が、見とれてしまった。いや、これはきっと頭が朦朧としているからだ。


「ん⋯⋯」


 彼女はそうつぶやくと、そのぷっくりと紅い唇からの僕の指を解放した。彼女の唾液が糸を引いて、月の光に照らされ、てキラリと光った。

 彼女はそれを袖で拭き取ると、僕の指先をちろり、と舐めた。


「なっ!?」

「んふぅ。キミの血、美味しかった♡」


 何故だろう? そう言われて、少し嬉しい僕がいた。血を吸われてどうなるかと不安だったけど、逆に体が軽くなった気もする。さて。


「じゃ、僕帰るね!?」

「えっ⋯⋯!?」

「僕、帰らないと怒られちゃうから!」

「そっか⋯⋯」


 とても残念そうな顔をする。でも僕は家を抜け出して来ているものだから、帰らないといけない。そうだ、人魚の骨はなかったのだから、それを確認出来た今、一刻も早く家に帰る必要がある。


「行っちゃうの⋯⋯?」

「うん、だって帰らなくっちゃ! 君は帰らなくて良いのかい!?」

「アタシは⋯⋯」

「そっか、お外まっ暗だもんね! 僕が送ってくよ!」

「でも、怒られちゃうんでしょ?」

「実はね? もう何度も怒られてるから、また怒られるだけだよ。君こそ怒られるだろう?」


 と、ここで気付いたんだが、彼女はこんな時間にこんなところで何をしていたのだろう? まあ、人のことは言えないんだけどね?


「アタシ⋯⋯家に帰れないの⋯⋯」

「えっ!? どうして!?」

「んとね? 衣をね、失くしちゃったから⋯⋯」


 彼女はうつむき加減に僕を見た。きっと困っているのだろう、眉尻が下がっている。


「衣? 大切なモノだったんだね? じゃあ、僕が一緒に探してあげるよ!」

「ええっ!? 本当に? いいの?」

「僕、宝探しとか大好きなんだ♪」


 僕はそう言ったが、婆ちゃんから困ってる人は助けるようにいつも言われているからだ。別にこの娘に興味があったわけじゃないよ?


「やったあ!! アタシの名前はアマネ! コーキ、よろしくね!!」


 と、彼女は僕の腕に抱きついた。僕は照れながら彼女に、へへっと笑ってみせた。


 

 しかしこの時、僕はまだ知らなかったんだ。まさかこの宝探しが──



 ──大冒険になるだなんて!














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