第2話

 5日間で身支度を済ますことは、規律と効率を誉とする軍属にとってはさほど難しいことではない。しかし私ははぐれものであり、隙を見れば悪態をつき、サボりはしないが平気で手を抜くような輩にとってはなかなかに難しい。

 事務的な手続き、契約、制約などを順序良くこなすと言うのはどうしてこうも難しいのか。

 学問をやりたくてこの道に進んだと言うのに、なんたることだろう。

 いや待て、私はこれでも秀才で通っている。

 そんな私にかかればこんなことなどお茶の子さいさい問題ない。

「いやあるわ」

 右から左に作業をする機械では私はないのだ。

精神的にはもう本当にずたぼろである。

 家族、親戚への報告を行うときなんて、憂鬱で仕方なかった。

 双子の妹たちはまだ幼なく、それはそれは泣いてすがった私を引き留めてくれた。

嘘だ。


「お姉さま、お姉さまがいなくても我が家はつつがなく、お姉さまのお給金で過ごさせていただきます。どうかご心配なさらずに」

「お姉ちゃん、お姉ちゃんがいなくて何かが変わるかと考えてみたんだけど、あんまり変わりそうにないから心配しないでね」


 年頃の妹たちよ、お姉ちゃんはとても悲しい。

 そして悲しいことがもう一つあった。

 もしかしたら、という程度に考えてはいたのだが、まさか本当にそうだとは想定していなかった、とてもとても悲しい現実。

 それはこうだ――。

「お父さん、つまりこの度の私の人事はお父さんの失態の尻ぬぐいということですね」

「し、しりぬぐいだなんてそんなはしたない言葉を使うんじゃない!」

「だまれ」

「はい」

「謝れ」

「ごめんなさい」

 実父の書斎での親子水入らずの会話である。

 帰宅した私を見るや、どうにも様子がおかしい。ぶっちゃけ挙動不審が過ぎたので問いただすとこれである。

 帝国貴族の末席も末席ではあるが、我が家はこれでも底辺貴族であり爵位持ちで、その当主が目の前の実父なのだが、娘ながら昔より思っていたのだがとにかくこの人は要領があまりよくない。

 無能ではないとは思うのだが、しかしこの度の一件である。父親の責を娘が担うなどまったく本当にどうして、そうなる。

父親は軍属ではなく、中央府で働く役人であるが、しかし貴族である。どういうしがらみで私におはちが回ってきているのか、考えると嫌になるが、家名を維持するための人身御供になったようだ。


「ええ、ええわかりました。そうですね、私も理解しています。長女の務めは果たします。ええ果たしますとも。弟、妹を想えばこそ……どんな苦汁も舐め切ります」

 ああ、泣きそう。

 我が家の跡取りである長男がまだ成人していなくて本当によかった。

「その……ルーナ、本当にすまない」

「そう思っているなら一日でも早く、汚名返上、捲土重来してください。そして私を帝都に戻してください」

「うぐ……」

 はっぱをかけてはみたが、期待はできないだろう。

 ……。

 喧嘩別れもまぁあれだ。

「お父さん、紅茶を飲みますか?」

「ん? ああ、ああ! すまない。すまない」

 と、満面の笑みに表情を変えて父はいう。

 まったく現金な人だ。

「それと!」と、言って手を一度大きく打ち鳴らす。「デルソラフ家、全員集合!」

 ドアの向こう、ひっそりと聞き耳を立てている3名に声をかける。

 数秒待ても出てこない。

「ほら、出てきなさい。みんなでお茶を飲みましょう」

 と、言うとゆるりとドアが開き、とぼとぼと3人。

 双子の姉妹と我が家の跡取りが気恥ずかしそうに顔を出す。

「お兄様が盗み聞きするぞと言いました。そうよねネネル」

「そうです。そうです。お兄ちゃんが意気揚々とわたしたちを誘ったんです。そうだよねコトル」

「おい、息の合った連携で兄を貶めるな」と、慌てた素振りの長男。「いや姉上、これはそのですね」

「はいはい、わかってるからガルド。とりあえず3人とも、それぞれ椅子を持ってきて。ああ、ネネルは台所からケーキも持ってきて美味しいの買ってるから。コトルはポットと茶葉を、茶葉はそうね……とっておきでお願い。そしてガルドはお湯を沸かしてちょうだい。はい散会」

「「「「はい!」」」

 やれやれだ。

「……ルーナ、我が家は大丈夫だろうか」

「はぁー。この際大丈夫だから我が家のことは心配するなぐらいは言ってください」

「うぐ……すまない」

「まぁ、そう。たぶん大丈夫よ。母様が死んで、どうにかこうにかあの子たちの母替わりを努めてきたけどガルドもあと2年で18になるし、その自覚もある。ネネルとコトルはしっかりしすぎなほどしっかりしてる」

「そうか……」

「ていうか、お父さんも後妻ぐらい娶ってください」

「そんな甲斐性があるなら、お前たちにというか、お前に苦労はかけてないだろ」

「その点については違いないですね」

「そもそも、半没落の我が家、それも中年の後妻になろうだなんてもの好きはいないだろう」

 と自嘲気味に父は言うが、その点については、そんなこともないのを私は知っている。

 要領の悪い父だが、けして無能ではない。見た目も年齢より若く見えるし、容姿も悪くないほうだと身内ながら思うぐらいなので、きっと本人が気づかないだけだとおもうが、それをひっくりかえす家柄の悪さである。

「出世してください」

「うぐ……善処する」

 そしてお使いから帰ってきた3人を出迎え、私は旅立ち前の最後の茶会を楽しんだ。

 出発まで残り三日の時である。

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