第9話

 この人の存在の異様さとそこから語られる空想じみた言葉はどの程度が真実で冗談なのかわからない。


「咄嗟の感情というのは得てして正直でして、言葉より行動が適切に作用することもある、というお話です。驚かせてごめんなさいね」


 確かに咄嗟の言葉だった。恥ずかしいことを再三思い出させられる。


「あなたに加えたのは現実(あちら)に置いてきてしまった〝話したい〟という気持ち」


 どこまでが本気で、どこまでが真実なのか、そもそもからからわれているだけなのか、すべてがただわからない。


 私は物事の判断がつかないまま、店主が語る私のこと、置かれた状況、それら、私が知らないものをただ言われるままに受け入れることしかできなかった。


「……私ってなんなんだろ」


 ため息と一緒に本音がこぼれた。


「〝何か〟じゃないと、あなたではないのですか?」


「えっ? あ、ごめんなさい。なんだか、わからないことだらけで、とても不安で、情けなくて」


「わからないことが不安、ですか。では、今あなたにわたしは何に見えるでしょう?」


 突然の問いかけに驚いた。そして困った。自分が何者かわからない、それが情けない、そうこぼした相手のことを私は何も知らない。


 迷っていると店主は入り口でもしていた幽霊のポーズをもう一度した。


「ユウレイですか?」


「ええ、私は幽霊。うーらーめーしーやー」


 言葉選びに迷う。気遣いだとわかる。だから店主のしぐさを見たまま言葉にしたが、その冗談にどう返していいのか、どれが当たりさわりないか、切り替えしの話題はどれがいいか。


「いいんですよ。思ったままの言葉で、困ったときは困った。迷ったなら迷った。わからないならわからない。問題はそれを認められるかどうかです」


「困った、です」


「はい、よろしい、です」


「あの……」


「あなたとこんな風にお話をしてみたかった、わたしにとってのあなたはそんな人。どうしても答えが必要ならそんなことを思い出してみてください」


「はい……すみま、いや、ありがとうございます」


 悩みは拭えない、不安は消えない、それでも思ったままでいい、その言葉がどこか足場をくれる。


 店主は書き終えた帳簿を手に席を立ち、準備をしてくるので少々お待ちを、と残して店の奥の方へ行ってしまった。


 しばらくした後、これから案内しますねと、店主が店の奥へと促すので店主を追って店の奥へ入った。


 言われるがまま店主のあとをついて行く。細い廊下を通り、いくつかの部屋を過ぎた所で足を止め、店主は戸を開け先へ入るようどうぞと促した。


 その部屋は薄暗かった。大部屋だったが四方を雨戸のような板で閉じられているせいで部屋の広さに反した圧迫を感じる。


 物置、そんな印象。だがその部屋に収められている物は極めて少ない。あるのは柱に掛かった古そうな振り子の時計と中央よりやや奥まった所に重苦しい布を被せられた大きな長方形。他にもいくつか物はあったがどれも布のようなもので覆われていた。


 カッタン、カッタン、時計の振り子の音が部屋を支配している。


 店主が入り口を閉めてしまうといよいよ真っ暗だ。


「少し我慢してくださいね、直に目が慣れますから――えっと、時間の調整を……っと、それからこれを……」


 暗闇の中で物が見えているのか店主は何やら作業をしている。少し経つと言われた通り目は慣れて、大きな長方形の横に店主がいるのがわかった。


「まず、隙間(ここ)と現実(あちら)では時間の流れに誤差があります。多少混乱を感じると思いますが、あなたが隙間(ここ)で体感した時間は現実(あちら)とは違うものとお思いください」


 もっとこちらへ、と傍へと促され近付くと、一層ゆっくりした語調で続ける。


「ですが、ここからが重要。これから向かう場所は〝現実〟ですが、今の我々は幽霊と同じで実体がないのです。実体がないということは容易に物事の影響を受けてしまいます。普段、目には見えることのない言葉や声、環境の影響を強く受けてしまいます。自身の存在をしっかり認識すること、何があってもわたしからは離れないでください、いいですね?」そう強く念を押された。


 そして、「最後に」と切り出され「戻ったら、ここでの記憶はには蓋をさせて頂きます」と、少し小さな声で締めくくられた。


 私はその言葉に対して「なぜ」と返すことができなかった。所在のわからない罪悪感めいたものを心の隅に感じ、言葉を飲み込んだ。


 ほんのひと時の関わり。そんな短い交差に残った私の寂しさなのか、店主の言葉に寂しさを感じ取ったのか自分でもよくわからない。


 よくわからないまま、どこかやるせない気持ちになったのだ。

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