🇧🇹7 祈りの象形と一体感のある国

「あのさ、ブータンの人たちが環状交差点ラウンドアバウトに馴染みがあるってこういうこと?」

 ティンプーのメンストリートを抜け、やってきたのはちょっとした緑地だった。

 我々は今、白い巨塔ならぬ白亜の仏塔を右手に、周囲をぐるぐると回り歩いている。そして時折、脇道から人が合流してその波に混ざり、いつしか流れるように抜け出して、側にある寺院の縁に腰掛けたりする。

 幼子を背負って歩くおばあちゃんも居れば、若い人や家族連れもいる。そして私たちのような外国からの訪問者も。

「はい。私たちはお祈りをしながら、時計回りに仏塔ストゥーパの周囲を歩きます」

「そういえば、あの鉄橋を渡ったところにあったマニ車の周りも、時計回りに歩きましたね」

 そうそう、あの時もマニ車を回しながら周囲を三周した。

「ブータンの道路はさっき見た交通警察官が立つ東屋だけでなく、もともと生えていた樹を切り株にしたり仏塔を建てたりして、環状交差点にします。そうするとブータン人には、説明しなくても当たり前に入り方と出方が分かります」

「なるほどね。そういうことか」

「信号を導入した時はむしろ混乱が生じました。新たに生まれたルールが浸透するには時間がかかりますし、知らなければ何の意味もなさない。何より、なぜ赤い光で止まらなければならないのか、根拠を説明するのはとても難しいことです」

「それは……確かに、言われてみれば……」


 これは日本と大きく異なる国の在り方に思えた。


 新しいものが次々に流入する日本では、多くの人がそれを取り入れ自然と馴染んでいくことが当たり前とされ、うまく馴染めずに二の足を踏んでいると、ガラパゴスだと揶揄されたり、変わり者だとか古い物好きとかマイノリティに位置付けられたり、時に無能扱いされることだってある。

 物質的な豊かさは追求され尽くしているようだけれど、精神的な充足はお金を消費することにすり替えられ、どこか有耶無耶になっているような気がした。


 人生の大半が平成の時代である私は、幼少期から今に至るまで、特に電化製品の発展の時代を生きてきた。インスタントカメラやフィルムカメラはデジタル化し、カセットテープはCDやMDに、巨大なコンピュータはパーソナルなサイズに、フロッピーディスクはいつの間にかメモリースティックになっていた。

 テレビは箱型から板状に、通信手段も黒電話からFAXや子機付きに変わり、ポケベル、PHS、携帯電話、スマートフォン、と流れるように進化を遂げた。

 だから電気、電子、電波といったものに抵抗がないし、無意識のうちに変化すればするほど明るい未来へ向かっているように思えてしまう。


 けれどブータンへ来て別の「当たり前」に直面したことで、決して赤信号に捕まったわけではないのだけど、「一度立ち止まって考える」という新たな内省機能をインストールされたのかもしれない。


「それはそうと、五体投地をやってみますか?」

 Jさんが思いついたように問うてくる。

「えっ、我々もできるんですか?」

 モチロン、とJさんはやり方を説明してくれる。なんでもチベットとブータンでは五体投地の作法が異なるらしい。

 チベットでは五体、つまりは両手両足と頭部だけでなく、腹も地に付ける。それはもう全身をピッタリと地に付けるのだけど、ブータンでは膝と腰を折って、頭部はおでこを地に当てる。

 Jさんに倣って私たちも両手を頭上に上げ、次に顔の前で手を合わせ、それを胸の前に下ろし、そして両手をついてひざまづいた。そして頭を上げて立ち上がり、少しずつ進みながら同じ動作を繰り返す。勿論その間、祈りを捧げるのだ。


 ブータン人は自分のために祈ることをしない。

 家族の健康や友人の幸せ、そして世界に向けて平和を祈る。どこまでも利他主義のブータン人の考え方に、日本人がいかに利己的かを突きつけられる思いだった。


 そして、もう一つ思い知ったことがある。


「なあ、イチコ。マニ車ってさ、世紀の大発明やと思わん?」

「いやぁ……、全くもって同じことを考えてました」


 結局、初めの二周は普通に歩いて回り、最後の一周は五体投地をしながら回った。それを終えて輪から抜け出した時、なんとも清々しくやり切った感があった。

 もしや、これを解脱げだつ(悟りを拓く)と言うのだろうか。


「ところでJさん、このってのは何か意味があるの?」

 あー、それね。私も気になってた。


 尋ねたのはタイから来た小柄な方。

 ちなみにこのタイからやって来た二人組と合流した時、パッと頭に浮かんだのは「ハチべぇとモーちゃん」だったのだけど、それだと何かと問題がありそうなので小柄な方を「ハッチャン」、大柄な方を「シム」と呼びたい。

 シムってなんだ? それはまぁ、いずれ解る時が来るだろう。


「白か黒か、大人か子供か、善か悪か、男か女か、そして苦か楽か、物事を二手に分けると考えやすいです。でも実際には、そんなに単純じゃない。だから常に第三の視点があることを意識するのは大事なことです」

「あー、それって中道ってやつ? 両極端なものを避けるっていう」

 とシムも話題に乗り込んでくる。

「そうですね。ブータンの国旗も三色。国王の権威を表す黄色、仏教の信仰と実践を表すオレンジ色、そして清浄さや忠誠心、純粋さを表す白。雷竜はこの国そのものであり、国民でもある。その手に持つ宝珠は国の豊かさを表現しています」

「中心に描かれるのが白い雷竜か。やっぱりそれが一番大事ってこと?」

「ブータンの国民は国王と仏教に支えられています。けれど国民が居なければ国は成り立たない。だから三つが揃っていることが大事ですね」

「ナルホドねー。三位一体ってのと近い感じがする」


 場所は既に次の目的地、チャンガンカ・ラカンという丘の上にある古刹に移っており、ここでもまたマニ車を回し歩いた。それはもう有難く。寺院の中にはバターランプなるものが灯っており、暖色の光と光が届かぬ建物の角との陰影が印象的だった。


 ブータンでは子供が生まれると、こうした寺院に連れてゆき名を授かるらしい。だから苗字がない。

 暮らしそのものは家族単位で、多くはおそらく三世代で暮らしているのだろうけれど、街から見上げれば視界に入る寺院で誰もが等しく名をもらうのだから、なんというか大家族のような感覚があるのかもしれない。

 コミュニティを大事にするというブータンの人達から一体感を感じるのは、家族や親族で閉じずに、国や寺院との繋がりがあることが前提だからなのかもしれない。


「ねえ、ポロさん。これってリクエストしたんでしたっけ?」

「いや……、多分、基本プランとして組み込まれてるんじゃないかな」

 ホテルにチェックインし、二つ並んだベッドを目にしてホッとしたのも束の間、今日は早めに休息を取れるのかと思いきや、なんとブータンの民族衣装を着て再び出かけるらしい。

 なんだそりゃ? アフター・ファイブ仕様?

 着付け自体はホテルの方がしてくれると言うので、よく分からないままではあったが、二つ用意された衣装セットをそれぞれ選んでお任せする。特に締め上げられたりはしないのだけど、生地自体は結構しっかりとしていた。


 男性用の民族衣装はガイドのJさんやドライバーのSさんが着ていたし、行く先々で他のグループのガイドも見かけたので既に見慣れていたけれど、女性用の民族衣装にはそれほど遭遇しなかったように思う。

 男性用の民族衣装は「ゴ」、女性用のものは「キラ」というそうだ。

 用意されていたキラは、とても華やかな色合いで少し気後れした。これを着て、一体どこへ向かうというのだろう。

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