第29話 犬はお前か!?

殺家ーサッカー」の事務所は自社ビルに入っている。

大したビルではない。5階建ての小さなビルで、その名をサッカービルヂングという。

1階は駐車場、2階は不動産屋、3階は土建屋、4階は消費者金融、5階はレンタルスペースになっていた。

表向きこそ5階建てのビルだが、実は6階があり、そこに「殺家ー」の事務所があった。6階へは隠し扉を開け、階段を上らなければならなかった。案内なしでは辿り着くことができなかった。


ボスは実業家だった。

暗殺代行で財を成し、今では風俗業から金融業まで多種多様なビジネスを展開していた。


この日、ボスの下で働くすべての従業員(パートも含む)が5階のレンタルスペースに臨時招集された。

およそ100名がフロアに五列縦隊で整列していた。

そこには銭湯「天子湯あまこゆ」の番台に座る婆さんの姿もあった。


演壇にはボスが立っていた。

マイクを手にしていた。

 

集まった全員が緊張の面持ちだった。

パートも含めた全従業員が召集をかけられたことなどこれまでなかったし、演壇に立つボスの表情を見れば、これから催されるのが社内パーティでないことは明らかだった。


マイクをオンにしてボスは話し始めた。


「25年前、俺はあるビジネスを立ち上げた」


挨拶もなくボスは唐突に話し始めた。

冷静な口調だったが、声には不気味な予感を孕んでいた。


「誰だってこの世に一人ぐらいは殺したい奴がいる。俺はそこに目をつけた。そう、暗殺代行サービスだ」


ボスはそこで言葉を区切り、間を取った。

スタッフの中には暗殺とは全く関係のない仕事に就いているものも多い。

まさか自分の務めている会社が人殺しに関わっているとは思いもよらなかったはずだ。

向かって左から右へ、話を聞いているスタッフの表情をゆっくりと見渡していった。

暗殺という言葉を彼らがどのように受け止め、反応するかを確かめているようだった。


「25年間、うまくやってきたつもりだ。殺しがあっても「殺家ー」の仕業だと警察が気づくことはなかった。いや、「殺家ー」の存在自体、警察の知るところではなかった。しかし、だ」


ボスはまた言葉を区切った。

「しかし…」と言ったボスの声は静かな怒りを帯びていた。


「警察はいつしか我々の存在に気づき、ついには犬を送り込んだ」


ボスはマイクを演壇に叩きつけた。

破裂したような音にハウリングが続いた。

ボスの金切り声のようだった。


「裏切者がこの中にいる!」


張り上げた声は全員の耳に届くのに十分だった。

いつの間にか手にしていた拳銃が天井に向かって火を吹いた。

抑え込まれていた怒りは一瞬で沸点に到達した。

その場にいた者たちの緊張も一瞬で恐怖へと変わった。

ボスは演壇を降り、スタッフの列に分け入った。

一人一人の前で立ち止まり、その目を覗き込んでいった。

犬はお前か? 

そう無言で問いただした。


潜入捜査官は背中に一筋の汗が伝うのを感じた。

暑さのせいではなかった。氷の滴が這っているようだった。


ボスのような男は頭が悪い分、常人とは違う種類の感覚が備わっている。

論理的思考で答えを見出すことはできない。

しかし、この男は常人に見えないものを見、聴こえない音を聴き、嗅ぎとれない匂いを嗅ぎとる。

ビジネスもそんな特殊能力で拡大してきた。

その能力で今、裏切者をあぶり出そうとしている。


ボスの信頼を揺るぎないものにするため潜入はやれと言われたことはすべてやってきた。それどころか、誰よりも気に入られようと言われたこと以上のことさえやってきた。


その成果が試されるときだった。

彼が得た信頼はボスの第六感を惑わせるのに十分だったか?

それとも、警察の潜入捜査官であることがバレて、ついに殉職をもってこの任務を終えるのか。


ボスが正面に立った。

普段、彼を見るのとは違う眼差しだった。

一瞬の心の揺らぎも見逃すまいとするかのようだった。


潜入は騙した。

ボスではなくまずは自分を。

自分は警官ではない。

「殺家ー」の一員だ。

自分を騙すことができればボスも騙せる気がした。


ボスの目を見返した。

そよ風ひとつ吹かない草原をイメージした。

無数の草が不動のまま起立していた。

イメージを頭に描くことで平静を保ち、疑念が入りこむ余地を防いだ。


ボスは潜入がシロだと判断したのか、視線を隣の男に移した。潜入の緊張がわずかに緩んだ。


潜入は隣の男に見覚えがなかった。

背が高く痩せていて、顔色が悪く目の下の黒ずみが目立った。


突然、銃声が響き、男が悲鳴を上げた。


「ああああっ!」


男は左肩を抑えた。着ていた白シャツがみるみる赤く染まった。抑えた手の下で赤い染みが広がり、指の隙間から血があふれ出た。


「裏切り者はお前だな!」


「はあ?」


男は額に汗を浮かべた。

なぜ俺が?という疑問と打たないでくれという懇願の表情でボスを見た。


再び銃声があがった。


「あああああっ!」


今度は右肩だった。


男はひざまずき、ついには横たわった。


「なんで・・・」


男は涙声だった。


「裏切者はお前だ」


「ちがう・・・どうして・・・俺なんすか・・・」


苦痛に呻きながら男は言葉を発した。


「違うなら、証明してみろ」


「・・・証明って・・・」


ボスは男の左足を撃った。


今一度の悲鳴を上げ、痛みにのたうち回った。


「なるほど、これだけ撃たれて白状しねえってことはどうやら俺の間違いだったようだ。お前は裏切者じゃねえ。だとしたら他にいるってことだな」


ボスは男をまたいで彼の額に銃口を向けた。


「おい!」


一同を見渡しながら、この中にいるはずの裏切者に呼びかけた。


「お前は警官だろ。いいのか、無実の市民を見殺しにして。お前が名乗り出れば、こいつは死なずにすむ。でもお前がだんまりを決め込むならこいつは死ぬことになる」


潜入は葛藤していた。

名乗り出れば自分が殺される。

名乗り出なければ男が殺される。

うまく切り抜けたつもりだったがそうはいかなかった。

ボスを丸め込めたと思った自分が甘かった。


「10数える。それまでに名乗り出ろ。もし名乗り出なかったらこいつは殺す。お前は無実の人間を見殺しにする。それでも警官と言えるかな」


ボスは不敵に笑い、もてあそぶようにゆっくりとカウントダウンを始めた。


「10!」


「9!」


「8!」


「7!」


「6!」


「5!」


「4!」


「3!」


「2!」


「1!」


「0!」がカウントされようとしたときだった。


ついさっきボスの眼差しをパスした男が飛び蹴りを放った。


ボスは床に尻餅をついた。

なぜ自分が尻餅をついたのか理解できなかった。

しかし、そばに立っている彼を見て、これ以上はないくらいに目を見開いた。


「まさか、お前が…!?」


(つづく)

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