第1章:波濤の目覚め
強い日差しが瞼を刺した。
「おい、ハンノ! いつまで寝ているつもりだ?」
粗野な声が耳をつんざく。崇平は目を開けた。見慣れない天井。木材の匂いが鼻をくすぐる。
「は……?」
体を起こそうとして、違和感に襲われる。手足が、妙に軽い。若々しい。
「この体は……」
自分の手のひらを見つめる。荒れた肌。マメだらけの指。しかし確実に、若者の手だ。
「ハンノ! 師匠が怒っているぞ!」
再び声が響く。崇平は周囲を見回した。粗末な小屋。作業道具が散らばっている。窓から差し込む光は、間違いなく地中海の太陽光だ。
記憶が二重に重なる。自分は鳳凰院崇平。45歳の造船技術者。しかし同時に、紀元前247年のカルタゴに生きる15歳の船大工見習い、ハンノでもあった。
「来たぞ、来たぞ!」
誰かが叫ぶ。どうやら、これは現実らしい。タイムスリップ。しかも、単なる時間移動ではない。15歳の少年の体に、魂が転生したのだ。
不思議なことに、言葉の壁は存在しなかった。フェニキア語が自然に口をついて出る。ギリシャ語も理解できる。まるで、生まれながらにその言語を知っているかのようだった。
「ハンノ!」
今度は怒声だった。がっしりとした体格の男が、小屋に入ってきた。髭面で、腕には太い筋肉が盛り上がっている。記憶が告げる。メルカルト。自分の師匠だ。カルタゴでも指折りの船大工である。
「申し訳ありません」
崇平は咄嗟に答えた。声が若い。そして何より驚いたのは、体が自然に動いたことだ。まるで長年の習慣のように、適切な礼儀作法で師匠に対応できた。
「またぼんやりしているな。早く来い。補修作業を始めるぞ」
「はい」
崇平は立ち上がった。体が軽い。若さってこんなものだったのかと、しみじみと感じる。現代では、デスクワークで凝り固まった体に、毎日悩まされていたのに。
小屋を出ると、そこには活気に満ちた造船所が広がっていた。複数の船台に、様々な段階の船体が並んでいる。職人たちが忙しく動き回り、金槌の音が響き渡る。潮風が頬を撫でる。
「まさか、本当にカルタゴの造船所に……」
目の前に広がる光景は、間違いなく古代カルタゴの造船施設だった。研究者として夢見ていた世界。しかし今、自分はその世界の一部として存在している。
「おい、ハンノ! 工具を持ってこい!」
メルカルトの声に、崇平は我に返った。
「はい、すぐに!」
工具置き場に向かいながら、崇平は考えを整理する。なぜ自分がここにいるのか。どうやってここに来たのか。そして何より、これからどうするべきなのか。
しかし、そんな思考を巡らせる暇もなく、現実が待っていた。カルタゴの造船所で、一人の見習い職人として、仕事が始まるのだ。
最初の仕事は、三段櫂船の補修作業だった。老朽化した外板の交換である。メルカルトの指示の下、崇平は黙々と作業に従事した。
作業をしながら、崇平は気づいた。現代で研究していた船体構造が、目の前で実際に組み上がっているのだ。しかし、予想していた構造とは微妙に異なる部分もある。
「ハンノ、そこの継ぎ目はしっかりと!」
「はい!」
返事をしながら、崇平は木材の接合部を注視した。現代の造船技術では考えられないような方法で、部材が組み合わされている。しかし、その技術には確かな理由があった。限られた工具と材料で、最大限の強度を確保する工夫が施されていたのだ。
その日の作業が終わる頃には、崇平の体は疲労で震えていた。15歳の体とはいえ、慣れない肉体労働は堪える。
「今日はこれまでだ。明日も早いぞ」
メルカルトの言葉に、崇平はほっと息をついた。夕暮れの造船所を見渡しながら、今日一日の経験を反芻する。
現代の造船技術者としての知識と、古代カルタゴの技術。その違いに戸惑いながらも、崇平は確信していた。この体験は、きっと何かの意味があるはずだと。
宿舎に戻る途中、港に停泊する三段櫂船を眺めながら、崇平は誓った。この機会を無駄にはしない。古代カルタゴの造船技術の真髄を、この目で、この手で学び取ろう。
そして、できることなら……この偉大な海洋文明の知恵を、何らかの形で後世に残したい。
潮風が、若き船大工見習いの髪を優しく撫でていった。
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