第2章:技術の継承
カルタゴの造船所での生活も、早一ヶ月が過ぎようとしていた。崇平は徐々に、15歳のハンノとしての日常に順応していった。
朝日が昇る前から作業は始まる。まず道具の手入れと準備。そして師匠のメルカルトの指示の下、様々な作業をこなしていく。
「ハンノ、お前の腕は上がってきたな」
ある日、メルカルトはそう言って、崇平の肩を叩いた。
「ありがとうございます」
確かに、作業の効率は格段に向上していた。現代の造船技術の知識が、古代の作業にも活きている。特に、材料の特性を理解し、最適な加工方法を選択する点では、他の見習いたちの上を行っていた。
「おい、ハンノ!」
声をかけてきたのは、アドルバル。同じ見習いの少年で、最近では親友と呼べる仲になっていた。
「どうした?」
「昼食を一緒にしないか? 母が余分に弁当を作ってくれたんだ」
アドルバルは快活な性格の持ち主だ。技術的な面では崇平に及ばないが、その明るい性格で、職場の雰囲気を和やかにする存在だった。
「ありがとう」
二人は造船所の片隅で、持参した食事を広げた。潮風に乗って、焼きたてのパンの香りが漂う。
「ハンノ、最近の作業を見ていると、まるで何年も経験を積んだ職人のようだ」
「そうかな……」
「うん。特に木材の扱い方が違う。どうしてそんなに詳しいんだ?」
崇平は一瞬言葉に詰まった。現代の知識を、どう説明すればいいのか。
「本をたくさん読んでいるんだ」
「本? 高価なものじゃないか」
「ああ、でも図書館で借りることもできる」
カルタゴには公共の図書館があった。もっとも、一般の職人が利用することは稀だったが。
「すごいな……」
アドルバルは感心したように言った。そして、少し恥ずかしそうに付け加えた。
「実は、私には妹がいるんだ。エリッサという」
「エリッサ?」
「ああ。彼女も本を読むのが大好きなんだ。もしよかったら、今度紹介したいんだが……」
崇平は微笑んだ。この時代の15歳らしい、純粋な友情の表現だった。
しかし、その会話は作業の呼び声で中断された。新しい船の建造が始まるのだ。
作業場に戻ると、そこには巨大な船体の骨組みが姿を現し始めていた。三段櫂船の新造船である。
崇平は作業をしながら、現代の知識を思い返していた。流体力学、材料力学、構造力学……。そして、目の前で行われている古代の技術。両者を比較することで、新しい発見が次々と生まれる。
「この補強の方法は……」
ふと、崇平は気づいた。現代の知識を応用すれば、もっと効率的な補強方法があるはずだ。
「師匠」
作業の合間を見て、崇平はメルカルトに提案をした。
「この部分の補強を、こうしてはどうでしょうか」
砂の上に、簡単な図を描く。メルカルトは黙って見つめていた。
「面白い考えだ。だが、我々にはこれまでの方法がある」
その言葉には、伝統を重んじる古参職人の誇りが感じられた。
「しかし、この方法なら材料も少なくて済みます。そして、強度も……」
「ハンノ」
メルカルトは厳かな表情で言った。
「お前には才能がある。それは認める。しかし、技術には時が必要だ。積み重ねられてきた経験を、簡単に否定してはならない」
その言葉に、崇平は深く考え込んだ。確かに、現代の知識は優れている。しかし、それは数千年の試行錯誤の上に成り立っているのだ。古代の技術者たちの叡智を軽んじてはいけない。
「申し訳ありません」
崇平は深々と頭を下げた。
「謝る必要はない。お前の考えは間違っていない。ただ、時期が早すぎるのだ」
メルカルトは優しく微笑んだ。
「もう少し経験を積め。そして、伝統の中から、本当に必要な改良を見つけ出すのだ」
その日以降、崇平は古代の技術により深い敬意を払うようになった。そして、現代の知識をどのように活かすべきか、慎重に考えるようになった。
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