海に沈むジグラート 第64話【シャルタナ家の人々】
七海ポルカ
第1話 シャルタナ家の人々
ラファエルが彼のことをなんて言っていただろうか。
アデライードは思い出していた。
(そう……確か、芸術の女神の寵児、だわ)
画家としての素質は言わずもがなだが、
ネーリ・バルネチアは芸術において、万能の才能を発揮する人だとラファエル・イーシャが言ったのだ。
ラファエルも自らは作品を生み出す芸術家ではないとは言え、芸術を見る目に恵まれ、若くしてフランス王さえ感嘆させるほど芸術に造詣が深い。
その彼が芸術の女神の血筋、と讃える人物がネーリだった。
絵画は勿論、多言語を理解し、操り、数多の文学を楽しむ素質を持ち、
様々な楽器を奏で、美しい声で歌い、芸術を見る彼の慧眼は、対象物を問わない。
ラファエルはそう言っていた。
「オペラも、骨董品も、刺繍も、ジィナイースには美しい物を見抜く、豊かな感性がある。
美しい配色、造形、音感……とにかく彼が読み解けない芸術の謎なんてまるでこの世に一つとしてないようだよ。
あの人にだけ、芸術の女神が優しく囁いているように、
ジィナイースは芸術ならば何でも読み解ける。
楽しむことが出来るし、
彼自身が優れた観客であり、批評家で、そして創造者なんだ」
王立劇場で観劇中に、ラファエルが舞台を眺めながらそんな話をしてくれた。
「なぜ、そんなことが出来るのでしょう?」
「分からない……。とにかく才能の成せる業というしかないけど……。
でも敢えて言葉にするなら、五感が非常に優れているんだと思う。
ジィナイースは昔から一度見た舞台の役者の台詞や仕草の気に入ったものを、その場ですぐに真似して見せてくれたりした。複雑な踊りも歌も、彼は数度で完全に覚えられる。
祖父の貿易船で色んな国に行っている時も、知らない言語を瞬く間に脳に記憶し、反芻することが出来たと周囲の人間が言っていた。
耳や目から入ってくる情報を刻み込む感覚が特別優れているんだと思う。
食事も些細な味付けを見逃さず、色んな素材を見抜くし……
それで尚すごいのは、創造者として、彼がオリジナルを生み出す力を持ち合わせていることだ。そこまで感性が優れていると、普通はもっと色々なものに影響を及ぼされ、創造者として臆病になるものだよ。
でもジィナイースは素晴らしい芸術の出会いを自らの創作の原動力にも出来る」
ジィナイース・テラを語る時、
ラファエルはこの世のどんな愛しい人を語る時より誇らしそうで嬉しそうで、
……そして愛しそうな顔をする、とアデライードは思った。
確かこのドラクマ・シャルタナという人物は、名門貴族でありながら怪しい事件に関わり、もしかしたらネーリに害を成そうとしている人物ではなかっただろうか。
くれぐれもネーリに何もないように気をつけてあげてほしいと兄に依頼されて、多少緊張した面持ちでシャルタナ邸に入ってきたアデライードだったが、そのドラクマに、自慢の美術品の数々を説明されながら、目を輝かせている青年に今は若干、呆気に取られてしまった。
何でも、シャルタナは人身売買に関わってる可能性があるという。
アデライードは修道院育ちだったが、そういう悪しき仕事が表の世界には存在することは知っていた。修道院には様々な苦難から逃れようとしてやって来る人達もいるからである。人身売買は子供や女性を奴隷のように遣り取りをする、非常に悍ましい行為だった。
人を物のように売り買いしているということは、彼らの人生や命まで、売り買いをしているのである。それも、本人達が決して望まないやり方でだ。
ヴェネトの貴族に出回る、ある特殊なリストに、ネーリの名前が載っていたのだという。
そこにはすでに無惨に殺されたり、行方不明になっている人間達が実際載っていて、自分の名前がそんな所にあったら、普通は恐ろしくて、不安でたまらなくなる。
しかしネーリは自らドラクマ・シャルタナに会ってみたいとラファエルに言った。
あの人はただ守られる存在では無いとも言っていた、その意味が分かった。
自分なら、自分の人生や命を奪おうとしてるかもしれない人間と、それを知っていながらこんな自然体に話すことは出来ないだろうと、アデライードは思った。
最初はネーリも、形式上は貴族令嬢に連れてこられた画家、という感じで後ろに控えていたのだが、シャルタナ家自慢の美術品を集めた別邸に案内されると、ヴェネトの、そして世界各国の、様々な価値ある美術品が最高の状態を保つために万全の状態で管理され、飾られている光景に、目が輝き出して、一つ一つを熱心に見つめるものだから、最初はアデライードに主に丁寧に説明していたドラクマも、余程彼が気になったのか、恐らく普通の客人にはしないような一歩踏み込んだ説明などもネーリに話し始めた。
ドラクマ・シャルタナの人柄は何一つ分からないままこの家に来たが、美術品などを収集して、誇らしげにひけらかすことが好きな道楽貴族なのかと思ったが、意外にも、客人に自らの知識を無駄にひけらかすようなことはそんなにしない人物だった。
これはいついつ誰が作った物か、特徴などを分かりやすく説明してくれる。
あとは客人がゆっくり鑑賞し、楽しめるように気を遣っていることがちゃんと伝わって来た。
本当の作品の価値を知った収集家なのだとアデライードにも分かったのは、熱心に美術品を見るネーリの為に、一歩踏み込んだ詳しい作品の説明をドラクマがするようになったからである。つまり物珍しい美術品をただ楽しみたいという客をもてなす時と、同じ収集家相手では、ちゃんと言葉をドラクマは使い分け、ホスト役として相手が付き合いやすいよう自分の言動の方を変えているわけだ。
それが、初めて分かった。
そしてドラクマ・シャルタナが優れた美術品を見極める目を本当に持ち、その作品の価値や魅力さえ、きちんと理解している人物なのだということは、彼の話を熱心に聞いているネーリの表情から伝わって来た。
ネーリはラファエルの話では、余程古今東西の美術品を見る目に肥えているということだったが、彼もこの場では決して自分もこれだけの知識を知ってる、というような雰囲気は一切出さなかった。
けれど知識などひけらかさずとも、美術品の美しさを読み解く優れた感性で、その作品の特徴を掴み、それがこの美術品の魅力なのですよと喋るドラクマにも、単なる若い画家ではないという彼の非凡さが伝わったようだ。
こういう相手には、話す方も話し甲斐があって、楽しいのである。
骨董品の壺、楽器、美しい首飾り、衣装、名のある武具、宗教画、風景画、肖像画……ラファエルの言ったとおりだ。
ネーリはありとあらゆる美術品に対して理解の才能を発揮した。
『瞬く間に惹かれた』
ラファエル・イーシャは幼い日のネーリとの出会いをそう表現していた。
(私にも分かりますわ。ラファエル様)
ドラクマの話に目を輝かせて頷きながら、隣にいるアデライードに綺麗だねと嬉しそうに笑いかけてきてくれる。彼女はあまりに美術品鑑賞などをしてこなかったので、何も知らなくて恥を掻いたらどうしようかと多少不安だったのに、ネーリの隣にいると知らないことの不安などどこかへ飛んで行った。
彼の隣で一緒に珍しく美しい美術品を眺めて、それが生まれた背景や伝えられてきた歴史や、物語を聞いていることがこんなに楽しいとは思わなかった。
アデライードはその日から、美術鑑賞に深い興味を持つようになった。
ドラクマ・シャルタナの企みを全て知った後、ネーリ・バルネチアの命が脅かされた出来事の後、兄であるラファエルの膝に泣き伏せてアデライードはあの時、あの飾られていた短剣であの男を刺すべきだったと彼に詫びるのだが、ラファエルは優しく妹の髪を撫でるだけで咎めないでいてくれた。
『君が美術品を嫌いにならなくて良かったよ。
きっと一緒にいた芸術の女神が君を守ってくれたんだね』
芸術を愛する心に目覚め、
それを生み出すことの出来る人間を心の底から尊敬することを覚えた時、
同じ人間を心から敬愛した時、
アデライード・ラティヌーは片方の血しか繋がっていない兄と、やっと本当の兄妹になれた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます