第5話 金色のカード
まったく夫は、嵐のようだ。
いきなり帰って来たと思ったら、こちらの都合も関係なく
まあ大金を積んだ女なのだそうだから、都合の良い娼婦のように思っているのだろう。これが結構しつこいのだから、参ってしまう。
結婚した以上は躰を求められるのは覚悟していたが、これほどとは……
どれくらいしたら、飽きてくれるだろうか?
お腹が空いた……昨日は午後のお茶くらいの時間に帰って来て、それからずっとだった。今はまだ夜が明けていないから、夜中の3時くらいだろうか。
痛む体を起こし、乱れた髪を指で
ベッドサイドのランプを明るくして、寝衣を探す。
寝衣を着ていたわけじゃなかった、と思い出して素肌の上にガウンを着た。
お腹が空いていたが、この時間ではまだ用意ができていないだろう。先に少しでも脚本の続きを書いておこう、そう思って窓際の机のランプに火を灯した。
机の上に何か、キラリと光る物がある。長方形の小さなカードがランプの光を反射して金色に輝いている。
よく見るとその横に紙が置かれていて、こんな走り書きがあった。
乱暴にしてしまってすまない。
それとほかに、ジュエリーも買うといい。
詳細はエルに伝えておく。
エアハルト
(意外ときれいな字を書くのね……)
それが最初に思った印象だった。あの容貌と強引さから想像もできない。
だけど、“乱暴にしている” という自覚はあったんだ……
日頃、文章を
このたった数行の文字が、何故かリーゼロッテの心を少しだけ温めたのだ。
そこに存在したほんのわずかな気持ちを感じて、彼女は嬉しくなった。
それから夜が明けるまで、集中して脚本を書くことができた。
明け方、家の前から馬車が出ていくのが見えた。エアハルトが仕事に行ったのだろう。次にいつ帰ってくるかは謎だが、気にしても仕方がない。
「奥様」
エルが部屋にやって来た。
「もう起きていらしたのですね。ベルを鳴らしていただければ参りましたのに」
「いいのよ、勝手に早く起きてしまったんだもの」
「先にお食事になさいますか? それともお風呂に湯を張りましょうか?」
「先に軽く食べてもいいかしら? 先晩、夕食を食べそびれてお腹が減ってしまったの」
「そうでございましたね。すぐお持ちいたします」
ガウンから部屋着に着替えていると、カートを押してエルが現れた。
「お
「気にしなくていいのよ、これくらい自分でできるわ」
ティーポットからお茶を
「そうそう、エアハルト、いえ旦那様からこれをいただいたのだけれど……」
そう言って金色のカードをエルに見せた。
「旦那様から伺っております。今日、参りましょう。近々ドレスが必要な行事もありそうですし」
「そうなの?」
「詳しくは旦那様からお聞きください」
この言葉から、何か行事があるらしい、ということだけはわかった。
「あとでその……湯浴みを手伝ってもらえるかしら?」
「はい、かしこまりました」
いつもは湯浴みの手伝いを断っていた、貧乏貴族の嫁が珍しいことを言うとエルは思ったが、浴室でその
(まったく主人ときたら、どれだけこの女が気に入っているんだか……)
赤紫の小さな花が咲いたような
歩き方が少しぎこちないように感じたのは、気のせいではなかったらしい。相当に
「新しい替えの下着はお持ちではないですか?」
と問うと、申し訳なさそうな声が返って来た。
「替えはうっかり忘れて来たようなの……」
「それでは、それも買い物リストに入れましょう」
この貴族の娘も苦労しているんだな、と思った。
伯爵家の令嬢が、
ドレスを作る際は採寸があるため、下着姿にならざるを得ない。ならばまず、下着を先に入手せねば……
そして下着から見える手足、胸元にこういった痕があるのは……少しならご
バスローブ一枚を着せて、見える場所に付いた痕を、化粧で消していく。
結構時間がかかってしまった。
ひと世代前のドレスだが、一番ましなものを着付ける。確かにドレスが必要だ、それもたくさん。
髪を結い上げて、
家紋が入っていないけれど豪華な馬車に御者が二人、メイド兼ボディーガードのエルと向かい合わせに乗って久しぶりに邸宅の外に出た。この家に来て初めての外出だ。
「最初にアンダーウェアを
エルに言われて、最初の店に来た。
見かけは、貴族向けの商店街の一角だが窓がない。扉も立派で一体何を扱っている店なのか、外からは一切
エルが店の者に何やら耳打ちして、中に通された。そこはロビーのような空間になっていて、奥に向かって長い廊下が続き、左右に扉がたくさん並んでいる。
その中の一つに通された。紺色の制服を着た女性店員が、エルに一言二言ささやく。
「奥様、あれを……」
とエルに言われ、夫から預かった金色のカードのことかと気付き、ハンドバッグから出した。
店員がカードを確認したのち、『本日はどのような物をお探しですか?』と問われる。
「上品で質の良いアンダーウェアを1ダースほど、
リーゼロッテが言葉を発するより早く、エルが言った。
「かしこまりました。それではお先にサイズの確認をさせていただきます」
と言われ、リーゼロッテはエルに手伝われて下着姿になった。
バスト、アンダーバスト、ウエスト、ヒップなどとメジャーで測られて、
まもなく、先程の店員とは別に二人ほどの店員が、大きな箱を抱えてやって来た。箱の中身は、色も形もさまざまな
荷物持ちの店員が退出すると、商品をずらりと机に出して説明が始まった。
「こちらは只今流行の、隣国産高級シルクを使った商品でございます……」
「適当に、あなたが良さそうと思う物を選んでくれるかしら」
エルは説明を途中で切り上げさせて、これとこれ、それとあれ……というようにテキパキと選んでいった。
「またのお越しをお待ちしております」
気に入った下着を一式、身に付けさせてもらって店を出た。
エルのおかげで、短い時間で済んだ。できれば次もそうしてもらいたい。
「それでは次はクチュールですね」
「お願いします……」
思わず言ってしまったが、顔を上げるとエルがにっこりした。
頼もしい従者で良かった……
見たところエルはリーゼロッテより4〜5才は年上ではないだろうか?
親戚筋ということだが、結婚はしていないのだろうか……
聞いてみたい……という表情が顔に出ていたのだろうか、『何か?』と問われる。
「ごめんなさい。さっきは助かったわ。私、着るものにはあまり興味が無くて。ドレスもエルが選んでくれた方が、ふさわしい物を選べると思うわ」
「……そうでございますか。でしたら、お任せいただければ奥様にふさわしい物をお選びいたします」
「そうしてくれると助かるわ。私が選んで、夫に恥をかかせるようなことがあっては困るもの」
エルがその言葉に、
「……旦那様の好みは
「聞いていいかわからないけれど、エルは旦那様の縁者なのでしょう? 旦那様の子供の頃とか、知っているの?」
そう
「……亡くなったエアハルト様の
「そうなのね……それでは、夫のことをよくご存知なのね」
なるほど、それならばリーゼロッテのことをよく思っていなくとも、変なドレスをわざと選ぶことはないだろう。
そうこうしているうちに次の目的地に着いた。
クチュールに来るのは本当に久しぶりだ。
そこでもリーゼロッテは言われるままに採寸をされて、ほとんどエルに生地選びや色選びをお願いした。
エルがエアハルトの髪の色に似た
「このドレスに
『菫の花』と言ったときに、僅かにエルの目が見開かれたのに、リーゼロッテは気づかなかった。
正式なパーティドレスを数着、他に普段着やお茶会用のドレスも何着か頼んだ。ドレスとお揃いの色の小物なども言うまでもない。
「エル、あの、こんなにたくさんいいのかしら?」
と心配してみたのだが、逆に言われてしまった。
「旦那様に恥ずかしい思いをさせないためですから」
その後は、宝飾店に連れて行かれ、ドレスに合わせていくつかのネックレスやイヤリングを注文する。どこへいってもあの金色のカードを見せれば、
最後に夫の瞳に似たゴールデンベリルという宝石を選んで、今日の買い物を終え、外に出るともう午後のお茶の時間になっていた。
お腹も空いたが、リーゼロッテには行きたいところがあった。
久しぶりの外出だ、ちょっとくらいは許されるだろう。
「エル、お腹も空いているとは思うのだけれど、どうしても行きたいところがあるの……」
「……聞いて差し上げられるかわかりませんが……どこですか?」
「前にあなたに手紙を届けてもらった大衆劇場、覚えているかしら?」
「ああ、あの不届きな劇場ですね」
「……っ、確かに名前はちょっと
「わかりました。ここは、ひとつ貸しとしましょう」
そう言うとエルは御者に行き先を伝えた。
(ひとつ貸し、って?)
と疑問は残ったが、今は劇場だ!
エルが言っていた『不届き』というのは、劇場の名前が “ライゼン劇場” という名前だからだ。現皇帝の名『ヘルムート・ライゼンスタイン』から取った名前と言われている。単に覚えやすいということだからだろうが、
「これを着てください」
エルにフード付きのマントを差し出される。いつの間にこんな物を用意したのだろう? それともお出かけの際の『標準装備』なのだろうか?
劇場は平民街にあるので、近くで馬車を降りて、エルと二人で劇場へ急ぐ。
劇場へ着いたとき、ちょうど
今日のお題は『屋根裏のチェロ弾きと王女様の恋』だ。
お忍びで庶民の街を訪れたお姫様が、遠くから聞こえて来るチェロの音に
もちろん、この話を書いたのもリーゼロッテだ。ペンネームのヴィルヘルム・ショーペンハウアーが書いたことになっているが。
貧しいチェロ弾きは、お姫様と知らずに知り合い、お互い恋心を募らせていくが、お姫様は隣国の王子と結婚させられてしまう。
恋した相手がお姫様で、しかも隣国へ嫁に行くことを知り、嘆くチェロ弾きがお姫様のために弾くチェロがもの哀しく響いて、物語はエンディングを迎える。
悲しい恋の結末に、観客は涙で
「ううっ、ぐすっ……」
エルが泣いている。
「かわいそう……ううっ」
意外だ……
「そんなに感動した?」
リーゼロッテがエルの隣で背中を撫でながら聞く。
「だって……お姫様もかわいそう……」
「そんなに感動してくれて、嬉しいわ」
エルがハンカチで涙を拭きながら尋ねる。
「あのお話、奥様が書いたのですか?」
「そうよ。気に入ってくれた?」
「……今度は、ハッピーエンドの話を書いてください」
「そうね。そうするわ」
それからエルは劇場への手紙を頼んでも、快く引き受けてくれるようになった。
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