第4話 早すぎる夫の帰宅

 三日ぶりに家に帰ると、驚かれた。

「お早いお帰りでございますね、旦那様」

「ん、意外と早く片付いたんだ。妻はどこかな?」

「奥様でございますか? ええ、今頃はご自身のお部屋でくつろがれているかと……」

「そうか」

 エアハルトは挨拶もそこそこに階段を登っていく。

 妻の部屋は三階だ。階段を一段抜かしで駆け上がっていく姿に家令は驚きを隠せない。後から入って来た護衛のギルベルトと家令の目が合った。

「ずっとあんな調子だ……」

「……そうでございますか」


 階段を駆け上りながら、ふとエアハルトは思った。

(妻の……名前はなんだっただろう? ……まあいいか)

 名など呼ばなくとも、俺が買った女だ。


 三階の妻の居室に辿たどり着いて、とりあえずノックをするが、返事を待たずにドアを開いた。

 窓際の机の上に、たくさんの紙が散らばっている。

 驚いた妻は顔を上げてこちらを見た。

「旦那様、もうお帰りになったのですか?」


” とはどういう意味だ、俺が早く帰って来るのは迷惑なのか。

 少しムッとした。こちらは早く会いたくて、いや、『抱きたくて』だろうか、帰って来たのに。


「お前を抱きたくて帰って来た。俺は今から風呂を浴びて来るから、ベッドで待っていてくれ」

 帰って来たばかりの夫はこう言い放った。何という言い草……

 うん……そのセリフ、覚えておこう。次の新作で使ってやる。


 だが、一方的に告げられてその通りにするのも腹立たしい。

 とりあえず書いていた原稿はまとめて、机にしまう。

 しかし、妻を抱くために早く帰って来たなんて、可愛いところもあるではないか……でも、三日前のあれはない。

 初めて会った、色ごとの経験のない妻にひどい要求をした挙句あげく、朝まで抱きつぶした。

 思い出しても怒りと恥辱で身が震える。あんなこと許せはしない。こちらにも一応、貴族令嬢としての矜持プライドがあるのだ。


 リーゼロッテは呼び鈴を鳴らすと、二人分のお茶を持って来るようにエルに頼んだ。お茶が来たところでゆっくりとたしなたしなんでいると、タオルを腰に一枚巻きつけただけの格好で夫が浴室から出て来た。


「今度からこちらの部屋にも、俺のバスローブを置いておくよう言っておいてくれ」

 髪と肌の上をしずくが伝っている。明るい日差しの中で見ると、夫の体は古代の戦士の彫像のように美しい。引き締まった腹筋、盛り上がった胸筋に、肩から上腕と続くたくましい筋肉に思わず目を奪われた。


「なんだ、男のからだが珍しいのか? 見たければこれからいくらでも見せてやるぞ」

 思わず赤くなって目をらすと、ニンマリされた。

「俺の妻は、意外と純情なのだな」

「い、意外ととはどういう意味ですか?」

 夫は向かいの椅子にどっかりと座ると、足を組んでお茶に口をつけた。

 タオルがめくれて、大事なところが見えてしまいそうだ、いや見えている……


「噂では……」

「噂がどうだというのです?」

 目をそむけながら問い返す。

「お前は、男を取っ替え引っ替えして結婚相手を選り好みしている毒婦だと聞いていた」

「な、なんですって?」

「だが俺は真実を知っている。お前の初めての男が、俺だということを」


 途端に顔から火が出そうなくらい、恥ずかしくなった。

(そ、そうですけど!)

 それにしてもいったいどうしてそんな噂になったのか? う〜ん、思い当たらなくもない……確かに歌劇オペラ見たさに男を利用した覚えがある。


 夫はお茶を飲み干すと、言った。

「さあ、俺の相手をしてくれ。せっかく早く帰って来たんだ。たっぷり可愛いがってやる」


「ま、まだ明るいですけど?」

「明るい方がお前も俺の体がよく見えるだろう。俺もお前がよく見たい」

 こんな、どストレートに言われて言い返せない。

 言葉に詰まっていると、夫が立ち上がってそばに来た。

「なんだ? 立てないなら俺が運んでやろう」


“いえ、結構です” と言いかけたが、もう抱き上げられてベッドに運ばれている。もうこうなったら逃れられない。


 せめて……せめて一太刀ひとたち、言葉を浴びせたい。

「旦那様、どうか私のことは名前で呼んでください」


 一瞬、夫の目が丸くなったが、ニンマリすると嬉しそうに言った。

「わかった……リーゼロッテ。俺のことはエアハルトと」


 覚えてたんだ、私の名前……


 抱きかかえられてベッドに乱暴に降ろされる。

 そのまま唇を奪われ、さっそくドレスの胸元を強引に開かれた。白い胸がこぼれあらわわになる。

 キッ、と強い目で見据えてみるが、もう夫の目は爛々らんらんと輝いている。

 両手をまとめて手首を押さえつけられ、ゆっくりと胸に舌をわせて来る。


 舌先で胸のとがりをなぶられて体から力が抜けていく。尖った先端をパクりとまれた。

 声が出てしまうのを必死に堪えているが、頬が上気し息が荒くなってしまう。


 夫の力強い手が、スカートの裾をめくり上げた。

 思ったより優しい手つきで撫でられて、しびれるような感覚が細波さざなみのように体に広がっていく。

 腰の奥から熱い熱がい上って来て、思考ができなくなった。もう体に力が入らない。夫になされるまま、翻弄ほんろうされていく。


 ゆっくりと体をつなげられて揺さぶられている。


 ゆるゆると行き来していた動きが、だんだん激しくなって来た。

 私、こんなにされて壊れないかな……?

 そう思ったのが、その日の最後の思考だった。

 


 私室のベッドで、まだ半分頭が眠っている中で隣に手を伸ばすと、そこにはもう夫のぬくもりはない。

 けっして『恋しい』わけでもなんでもないのに。

 突然帰って来て、こちらの都合も聞かずに好き勝手に人を抱く腹立たしい男なのに、この気持ちはなんだろう?


 からだつなげる行為をしていることで情が移ったのだろうか?

 あれほどしつこくからだむさぼられて辟易へきえきしているはずなのに、夫のたくましい躰を思い出すと顔が熱くなるのは何故だろう? これは私自身の肉欲なのか?

 

 確かに翻弄ほんろうされるのには腹が立つのだが、躰に与えられる刺激に頭の中が陶然とうぜんとしてしまい、何も考えられなくなるのだ。そんなふうになりたくないのに、躰が頭の言うことを聞かず、思考をすっかり乗っ取って、悦楽の中に没してしまうのだ。

 肉体的に結ばれることは婚姻に必要なことで、ただ夫にされるまま我慢するものだと思っていた。結婚に付随ふずいする苦行のようなものととらえておけば、我慢のしようもあるとすら思っていたのに……

 

 こうして無意識に夫のからだを探すなんて、どうかしている……

 リーゼロッテはふたたび、眠りの中に落ちていった。

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