第2話 結婚式をすっぽかされた花嫁

「お兄様、どういうことですの? 説明してくださいませ!」

 長い藤色の髪をなびかせ、白磁はくじの肌に印象的な菫青色きんせいしょくの瞳、その頬はいきどおりで赤みを帯びている。

 マイヤーハイム伯爵家令嬢リーゼロッテは今年十九才になった。

 貴族令嬢が結婚を決めるには遅すぎるくらいの年齢だ。

「いい話じゃないか、リーゼロッテ。お前ももう行き遅れになる年齢としだ。相手は子爵と少々格下の貴族だが、帝都で成功している大商人でもある。いい話だと思うがな」


 ……つまり、嫁に行けということだ。リーゼロッテはその桜色の唇をキュッと噛み締めた。


「幸い、子爵は輿入こしいれの際の持参金もらず、準備のための支度金したくきんをポンと出してくれたんだよ。お前には悪いが、この支度金は我が家の領地の借金に回させてもらいたい。このままでは我が家は廃爵はいしゃくになってしまうんだよ。そんなことにでもなれば、父上や母上、この僕も住む場所が無くなってしまう……」


 兄の声が悲痛だ……

 これまでもいろいろやり繰りし、この帝都の古い我が家も修繕もできず、従者も次々と辞めさせざるを得なかったのだ。今はもう、執事とメイドの2人しかいない。食事の支度すらリーゼロッテとメイドが二人してやっているほどなのだ。

 帝都の端に古びた屋敷を構える伯爵家は、遠く離れた領地の経営に失敗し、父は多額の借金を抱えてしまった。そのため両親は領地屋敷に引っ込んで、何とか借金返済の期限を引き延ばそうと画策している。


「リーゼロッテ、お願いだ。お前だけが頼りなんだ……」

 兄が預かって来たお相手の子爵様の絵姿は、二十代後半くらいの立派な青年だった。

 青みがかった灰色の髪に、黄色に近い金色の瞳の眉目秀麗びもくしゅうれいな男性である。


「ところで私の絵姿ってどうしたの?」

 兄に聞くと言いよどんだ。画家に絵姿を描いてもらったのは随分と昔のことだ。五年ほど前かもしれない……それを渡したのだろうか?

「だ、大丈夫だよ。絵姿は少し前のものだって言っておいたから」

 本当に大丈夫だろうか、後で『詐欺さぎ』とか言われないだろうか?


 こうしてあっという間に決まった縁談は、婚姻の日を迎えた。

 母の婚姻のドレスを自分で手直しして着た私は、兄と二人子爵家から向けられた馬車に乗り、帝都の中央にある屋敷に向かった。


 そこは『屋敷』とは言えない、恐ろしく大きな邸宅だった。

 敷地の周りを高い塀がぐるりと取り囲み、中が見えない。立派なアーチの門を潜ると、手入れの行き届いた庭園がどこまでも続き、その先に四階建ての豪奢な建物が威圧するように建っている。いったいどんな商売をしたら、こんな邸宅が買えるのだろう……

「こ、これが子爵様のお屋敷?」

 伯爵家うちとは比べようもない大きさだ。


(こんなに大きいと、中で迷ってしまうだろうな……)

 などとのんびりしたことを考えていると、正面の車留めに着いた。

 先に降りた兄にエスコートしてもらって馬車を降りると、入り口の前には三十人ほどのお仕着せを着た使用人たちがずらっと並んで、頭を下げた。

 列の中央を進んで玄関の高い柱の間をくぐり建物に入ると、また中にも二十人ほどの使用人が並んでいる。

 リーゼロッテは花嫁衣装のドレスの裾をつまんで、しずしずと奥へ歩みを進める。

 すると中央へ、ビシリと黒い燕尾服を着込んだ中年男性が進み出て来た。


「ディートハルト様、リーゼロッテ様、当ノイエンドルフ家へようこそお越しくださいました。大変申し訳ございません、主人のエアハルト様は “火急かきゅうの用事” ができまして、今朝早く出立いたしました。婚姻の式はできませんが、すべての手続きは完了しております。どうぞリーゼロッテ様は、当家にてお過ごしくださるようにと、ご主人様からの伝言でございます」

「……え?」

 その言葉に、リーゼロッテもディートハルトも固まった。


(結婚式を、すっぽかされた……)

 婚姻の式の日に用事、って……そもそも歓迎されていないということか……

 帰っていいだろうか?


 兄に向かって『帰りましょう』と言いかけて、引き留められた。


「若奥様、申し遅れました、私、当家の家令を務めさせていただいておりますクラウス・ローゼンタールと申します。主人の留守中、リーゼロッテ様には何一つご不便をお掛けすることはございません。どうぞ、お部屋にご案内させていただきます」


 そう言われて、承諾の言葉をべるよりほかなかった。

「はい……よろしくお願いいたします」



「良かったじゃないか、リーゼロッテ。そうだ、言い忘れていたが、子爵殿のご商売は『戦争に必要な道具を売る商売』だそうだ。それじゃあ僕は帰るから、しっかりやるんだぞ!」

「ちょっと、お兄様、それって……!」

 確信犯だ。知っていて今まで言わなかったのだ。


 『戦争に必要な道具を売る』って、つまりは『』ではないか。

 商家から子爵までのし上がったとは聞いていたが、まさかその商売が『武器の売買』とは。

 危険な物を売れば、それだけ利益も大きい。しかしその分、危険も大きい。自身や家族が害されるなどという可能性もあるだろう。

 それも分かっていて、自分の妹を売り飛ばしたのだ。

 兄は明るく手を振って、そそくさと帰って行った。いまさらリーゼロッテに帰って来られても、返す支度金も無いということだろう。

(お兄様、この仕返しは必ずさせていただきますわ……)


 広大な敷地の “高い塀” の意味がわかった気がした。もしかしたら、庭に番犬とかも放してあるかもしれない。



 リーゼロッテがここまで婚期を逃してしまったのには理由があった。

 第一に婚活に力を入れなければいけない時期に、領地問題が発覚し、両親が揃って領地に行ってしまったためだ。

 両親や近縁のバックアップがなければ、良縁探しは難しい。しかも、領地にそんな問題を抱えている伯爵家なんて、あっという間に良くない噂が広がった。


 そしてもう一つの原因は、リーゼロッテの隠れた趣味だ。

 リーゼロッテは無類の歌劇オペラ好きだ。しのバリトン歌手に入れ込み、何回でも舞台を見に行く。だが、歌劇は貴族の高尚な娯楽だ。その舞台公演のチケットはもれなく法外な値段である。

 没落してしまったリーゼロッテにはとても払えぬ金額だった。仕方なく、パーティや茶会で知り合った殿方に連れて行ってもらう作戦を取った。おかげで “手あたり次第に男と遊び歩いている” という噂ができあがった。


 最初のうちは下心でデートに応じていた相手の男たちも、そうそう安くないチケットの代償をしつこく求めて来るようになった。

 暗いボックス席で、スカートの下に手を入れられたり、胸を触られたり、さすがにリーゼロッテも我慢ができなくなった。


 “ああもう『劇』と名がつけば、歌劇オペラでなくともいい” とさえ思い、地味な服で変装し、『大衆演劇』を見に行ってみた。

 行ってみれば、これがしてしまい、内緒で通い詰める日々となる。


 歌劇オペラは歌がメインとなるため、話の筋に内容が無いものが多い。歌声こそ美しいが、言っている内容は『いまひとつ』なのだ。

 その点、大衆演劇は歌メインでなくお話メインで、その話のすじもシンプルでわかりやすい。

『騎士と村娘の恋』『貴族と娼婦の恋』など、わかりやすいものが多い。通い詰めるうち、話が同じようなものばかりなのに気づいた。

 どうやら、話を書く者がおらず、以前に上演した話を少しだけ変えたりしてしのいでいるらしい。


(そうか、私が自分で書けばいいんだわ!)

 リーゼロッテは一念発起いちねんほっきし、物語を書き上げた。

『悪女と王子の恋の駆け引き』は彼女が最初に書いた脚本だ。

 ヴィルヘルム・ショーペンハウアーという男の偽名を名のって密かに売り込んだところ、見事に気に入られて脚本代も支払われた。


 可憐な令嬢に恋する王子に、あの手この手で妨害をする悪役令嬢。しかし実は可憐な令嬢は王子を騙していたのだ。悪役令嬢は自らの身をおとりにして王子の目を覚まさせる、というドンデン返しの物語だった。

 この話が小屋に掛かると、大衆は大ウケした。

 そこからは定期的に脚本の注文が入り、伯爵家の内情だいどころを支えていたわけだ。

 脚本家ヴィルヘルム・ショーペンハウアーは、あっという間に売れっ子の劇作家になっていった。



 リーゼロッテは、家令のクラウスの案内で部屋に落ち着いた。婚礼衣装を着たままだったので、着替えてから邸内を案内してくれるそうだ。


 家令にリーゼロッテ付きのメイドを一人紹介された。

 エルケ・ウーレンフリートと言う金髪・碧眼へきがんの美女だ。なんでも、ノイエンドルフ家の遠縁で、護衛の訓練も受けているらしい。

 伯爵家からのメイドの同伴は遠慮して欲しい旨、申し入れがあったのでリーゼロッテは単身で嫁入りした。まあ、実家のメイドは一人しかいなかったから、連れては来れないんだけれど。

 どこへ行く時も彼女をお供にするようにと言われる。

「奥様、エルとお呼びください」


 彼女に着替えを手伝ってもらって、化粧直しをしていると家令がやって来た。

「それではご案内させていただきます」


 自分に割り当てられた部屋は三階だったが、そこから順繰じゅんぐりに下の階へ案内されて行った。隣の部屋はドアが両開きになっており、とても広そうだ。そこが夫婦の寝室らしい。

「夜はこちらでお休みくださいませ」

 と言われた。

 その反対側もかなり広そうな部屋で、そこが夫のエアハルトの自室だそうだ。

 どうやら夫婦の寝室は、どちらの自室からも入れるようになっているらしい。まあ、夫婦なら当然か。


 他は執務室、秘書室、侍従の控え室、などが並んでいる。ここから上の四階は使用人たちの居室だそうだ。

 二階は商会関係の部屋、それに客室やダイニングルームがあった。

 一階には広いパーティルーム、奥には警備室や図書室まである。

 地下は半地下の厨房ちゅうぼう食料保存庫パントリー、ワイン蔵などだ。


 案内を終えて、自室でエルにお茶を淹れてもらう。

 当面どこにも行く予定はないが、脚本を書く仕事は続けたいので、馴染みの大衆劇場の興行主に手紙を書いた。

『滞在先が変わったので、用事のある時はご一報ください』という短い物だ。

 それをエルに託す。

 どこまでこのメイドを信用して良いのかわからなかったが、偽名を使ってやり取りしているので、自分で出向くわけにもいかない。


「この “ヴィルヘルム・ショーペンハウアー” と言う名はどなたなのですか?」

 と聞かれて、嘘をつくのも面倒くさく、本当のことを告げてしまった。

 変な嘘をついて、バレた時が面倒だ。


「私は “劇作家” でヴィルヘルム・ショーペンハウアーという名で脚本を書いているの。なので、仕事をいただいている興行主に居所を知らせたいのよ」

「そうなのですか……私は構いませんが、いずれ旦那様がお帰りになったら、お話ししてくださいね」

 あっさりそう言われて、拍子抜けした。


 夫も同じように納得してくれるかはわからないが、その時はその時だ。

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