第13話 ついで真相へ

     13 ついで真相へ


「――私が、犯人? 

 それは、どういう冗談ですか?」


 と、菫さんは、笑みを浮かべる。

 彼女はただ、事実だけを告げた。


「いえ。

 そもそもこの件は、本当に殺人? 

 だってご当主の部屋は、密室だったんですよ? 

 ご当主の死の際に、第三者が近くに居た形跡は一切ない。

 それは誰もが、証言するところです。

 ご当主が亡くなった時間帯、私達はご当主の部屋の前に勢揃いしていた。

 だったら、私達にご当主を殺害するのは不可能という事です。

 大体あの時間帯は、既に朝食を終えた後でした。

 第三者が、ご当主の部屋に行く理由なんてないんです。

 犯人はどういう口実を設けて、怪しまれずにご当主の部屋を訪ねたと言うんですか?」


 矢継ぎ早に問い掛ける菫さんに、私はこう返答する。


「神島さん、あなたはさっきこう証言しましたね? 

〝主人が亡くなる直前まで、自分は本を読みながらお茶を飲んでいた〟と」


「……え、ええ。

 それが、何か?」


「はい。

 私達が問題視したのは、本ではなくお茶の方です。

 今は家庭内別居状態である神島さんと道明氏ですが、生活習慣は同じだったのでは? 

 奥様である神島さんがお茶を飲む時刻に、道明氏もお茶を飲んでいたのではないですか? 

 金子さんはその事を知っていて、菫さんも後にその事に気付いた。

 だから菫さんは今日に限って、金子さんにこう申し出たんです。

〝今日は自分がご当主に、お茶を持っていく〟――と」


「………」


「でも金子さんにとってそれは、受け入れがたい提案でした。

 何故なら金子さんには、毒見係を熟す必要があるから。

 いえ。

 お茶は金子さんが用意する物なので、金子さんは毒など入っていないと確信している。

 彼女が不審に思った事は、今日に限ってなぜ菫さんがお茶の配膳を申し出たのか。

 金子さんは咄嗟に、こう感じたのではないのでしょうか?

〝もしかしたら菫さんが、道明氏を殺してくれるのでは?〟――と」


「………」


 私が再度金子さんに視線を送ると、彼女はやはり微笑む。


「そう。

 金子さんにも、道明氏に対する殺意はあった。

 何故なら、金子さんは道明氏の毒見係を一年も続けながら、何の見返りもなかったから。

 命を賭して道明氏に尽くせば、また道明氏は自分に振り向いてくれるかもしれない。

 金子さんのその大いなる期待は、しかし結局、実る事はなかった。

 だから金子さんは菫さんの突然の申し出を、受ける事にしたんです。

〝或いは菫さんが――自分の願いを叶えてくれる〟と思ったから」


 と、金子さんは笑みを見せたまま、反論する。


「憶測ですね。

 完全な、言いがかりです。

 私が菫ちゃんにお茶の配膳を頼んだ、証拠でもある?」


「はい。

 証拠なら、あります。

 道明氏の部屋から、あなたと菫さんの指紋が検出されましたから。

 しかもこの犯行は、菫さんではないと絶対に無理なんです。

 常人では、決してこの犯罪は成し遂げられない」


「………」


 僅かに、菫さんの顔が引きつる。

 私はまず、外堀を埋める事にした。


「私達が菫さんに目をつけた理由は、あなたの証言が矛盾していたから。

 あなたは自分の事を大雑把だと言っていたのに、実際は神経質な振る舞いばかりしていた。

 明らかに緊張していて、私達の挙動にも神経を尖らせていました。

 自身を大雑把と言って憚らないあなたは、その実、何を気にしていたのです。

 仮にそれが〝己の犯罪〟だとすれば、合点もいく。

 普段は大雑把なあなたも、殺人を犯した後はさすがに気が気ではなかった。

 ――そうでは、ありませんか?」


「……それ、は」


 言いよどむ、菫さん。

 だが、彼女は直ぐに抗弁する。


「それこそ、言いがかりです。

 そんなの、あなたの心証にすぎないじゃないですか。

 私の事は、私自身が一番分かっています。

 私はあの時も、普通に振る舞っていました。

 私本人がそう言うのだから、間違いありません」


 だが、私はこのとき冷淡とも言える程、淡々と事を進める。

 私は一気に、核心をついた。


「いえ。

 これは、菫さんの犯行です。

 先程も言った通り、これはあなたにしか出来ないトリックですから。

 だってあなたは事情聴取の時、こう言っていたでしょう?

 自分は大食いだと」


「――っ?」


「ええ。

 大食いの人は、常人からすると信じられない量の食事がとれます。

 それは血糖値が上がり難く、満腹中枢が刺激され難いから。

 普通の人では胃に一杯食べ物が入る前に、食事を断念してしまう。

 ですが大食いの人は、別です。

 大食いの人は、直ぐに便を排泄してしまう為、栄養が常人に比べ上手くとれない。

 その為大食いの人は、食事を多くとらなければならないんです。

 そうしなければ、彼女達は栄養失調を起こし〝餓死〟してしまうから。

 菫さんは自分のこの体質を、利用したんですね?」


「………」


 目を細める私を見て、菫さんは黙然とするばかりだ。

 いや、彼女が何かを言う前に、私は一気に畳み掛ける。


「あなたはまず事前に胃が一杯になるまで、食事をとった。

 そうすれば、胃に満たされた食事が毒の吸収を阻止してくれる。

 その状態で菫さんは道明氏の前で、毒入りのお茶を飲んでみせたんです。

 結果、毒は直ぐに胃に吸収されず、道明氏はお茶に毒が入っていないと判断する。

 なら後は道明氏が毒入りのお茶を飲むだけで、事は済む。

 現に彼は毒物の中毒によって、死にました。

 毒を飲みながら死に至らないトリックを行えるのは、あなただけです、菫さん。

 前述通り、常人では満腹中枢が邪魔をして胃に食べ物を満たす事は出来ないから。

 何度も言いますが――これはあなただけが成し得る事が出来る犯行なんです」


「………」


 そう断言する私に対し、菫さんは眉根を歪める。

 だが、彼女は直ぐに微笑んだ。


「では、私はどうやって、ご当主のお部屋を密室に変えた? 

 ご当主が金子さんに犯人にとって都合がいい電話を入れたのは、偶然ですか? 

 その辺りのトリックを解いてもらわなければ話になりません」


「ええ。

 菫さんの言う通りですね。

 でも、あれは本当に簡単なトリックです。

 何故ならあなたは道明氏の主観を、少しだけ狂わせただけだから」


「くっ?」


「はい。

 あなたは道明氏に、ただこう囁くだけで良かったんです。

〝今、部屋の外で物音がした。強盗かもしれないから、部屋の鍵を閉めて待機して〟――と。

 更に〝何かあったらスマホで連絡する様に〟と道明氏に言い含めた。

 なまじお金持ちであるが為に、菫さんの言う強盗という状況はあり得る物でした。

 道明氏が警戒しても、何らおかしくはない。

 お蔭で、この時点で道明氏の部屋は密室と化したんです。

 あの密室は――道明氏自身が作り出した物だった」


「………」


「毒を飲んだとはいえ、薬が効くまで猶予はあったでしょう。

 その間に道明氏は部屋の鍵を閉め、自分の体に異変が起きた所で、電話をしたんです。

 それも全ては、菫さんがそうなる様に誘導した為。

 あなたはきっと、気付いていたんでしょうね。

 食事やお茶の配膳を行っていた金子さんが、道明氏の毒見係だと。

 その金子さんが自分にお茶の配膳を任せた時点で、菫さんは金子さんの殺意に気付いた。

 金子さんも道明氏を殺したがっていると知った菫さんは、その状況を利用したんです。

 だって菫さんは、金子さんが道明氏に信頼されていると知っていたから。

 道明氏なら、必ず金子さんにSOSの電話を入れる。

 でもその金子さんは、半ば自分の共犯者です。

 金子さんなら菫さんの都合がいい様に、道明氏の〝遺言〟の内容を脚色してくれる。

 そう判断したが故に、あなたは道明氏を気遣うふりさえ出来た。

 何かあったら電話で連絡する様に、彼に言い含める余裕さえあったんです。

 結果、菫さんの計算通り、その電話が道明氏の自殺を印象付ける物になりました。

 金子さんが〝俺はもう死ぬ。何とか〟という電話の内容を証言する事で、この事件は自殺に傾きかけた。

 これが、この事件の真相。

 ……ああ。

 もう一つ付け加えるなら、勿論あなたは胃の内容物を全て吐き出しています。

 そうする事で、毒による中毒死を防いだ。

 ――違いますか?」


「………」


 と、菫さんは、もう一度口を噤む。

 けど彼女は直ぐにもう一度、笑顔を浮かべていた。


「実に素晴らしい、想像力です。

 本当に探偵にしておくのが、惜しいと思える程に。

 ええ。

 それって全部、あなたの推測ですよね? 

 私がそうしたという証拠は、まるで無い。

 だって私の指示を受けたとされるご当主は、既に亡くなっておられるのだから。

 彼の証言をとれない以上、今の話は憶測の域を出ない。

 仮に私が毒を吐いたとしても、その痕跡はもうトイレに流されて出てこないでしょう。

 ティーポットも、ティーカップも綺麗に洗われ、やはり毒の痕跡は出ません。

 だというのに、あなた方は私を犯人だと決めつける? 

 何の物証もないのに、状況証拠だけで立件すると言うのですか? 

 それこそ――不可能です。

 この状況ではせいぜい、任意で警察に事情を聴かれるだけ。

 警察もあなた方も、私を裁く事など出来ません。

 だってあなた方には証拠と言える物は――一切ないのだから」


「………」


 それは、菫さんの言う通り、だ。

 この件に証拠らしい物があるとすれば、指紋だけ。


 菫明美さんは、間違いなく道明氏の部屋に入ったという事しか証明出来ない。

 毒の件も金子さんが毒見係をしていたと証言すれば、菫さんにも毒見係の件が適用される。


〝金子さんが毒見をしていたなら、お茶を運んだ菫さんだって毒見をさせられた。ならば、なぜ彼女は生きているのか?〟という事になるだろう。


 菫さんの言う通り、全ては私の憶測に過ぎない。

 いや、金子さんが毒見役の事を証言する限り、菫さんは無罪という事になる。


 私達には、菫明美さんを追い詰めるだけの証拠が、不足しているのだ。


「……おい。

 成尾」


 眉をハの字に歪めながら、宝屋君が私に声をかけてくる。

 だが、それはこの状況を憂慮した為ではない。


 彼は逆に〝奥の手〟を使えと、私に催促しているのだ。

 私はただ、嘆息した。


「そう、ですね。

 私達には物的証拠はありません。

 ――ですが、あなたを自白させる事はできるんです」


「な、に? 

 まさか――」


「――はい。

 私達が雇っている〝鑑識〟は優秀で、あなたの身元も調べてくれました。

 結果、興味深い事が分かったんです。

 菫明美さん、あなたは――」


 そこまで言いかけた時、彼女の態度は一変した。

 動揺と驚愕と焦燥を同時にその身を以って表現した彼女は、声を張り上げる。


「――待って! 

 分かったから――全て認めるから――その事だけは言わないで!」


「………」


 絶対的有利な立場だった筈の、菫さん。

 その彼女をこうまで焦らせた要因は、菫さんと道明氏の関係にある。


 結論から言うと――菫明美さんと宇野花道明は実の親子なのだ。


 戸籍を調べた結果、その事実が浮き彫りにされた。

 菫さんのお母さんもまた、道明の愛人だったのだ。


 問題は菫さんと彼女のお母さんが、とても似ていた事。

 つまり、道明は菫さんが自分の娘だと知っていた可能性が高いという事だ。

 

 だと言うのに彼は、菫さんと、関係をもった。

 異常性癖者である道明は、あろう事か、自分の娘にさえ手を出したのだ。


 それは菫さんに、お母さんの面影があったからかもしれない。

 彼女のお母さんを愛していた道明は、だから菫さんを彼女のお母さんの代りにした。

 

 部外者である私としては、そう邪推するしかないだろう。

 私に分かるのは、宇野花道明が人道に悖る真似をしたという事だけ。


 菫明美さんの殺意にも、一定の理解が出来るという事だけだ。


 その事実だけは、世間に知られたくない菫さんは、だからこうも素直なのだ。

 例え証拠がなくとも、私達がこの事実を掴んだ以上菫さんは全てを認めるしかない。


「……そう。

 やはり、あなたが――宇野花道明を殺害したのね」


 私の代りに、車奈さんがこの事件の結末を菫さんに宣言する。

 ならば、この時点で詰みだ。


 私達四人は見事にこのゲームをクリアして、白い人の魔の手から人類を救った。

 私達人類は――白い人に勝ったのだ。


 そう思うしかない私達に、彼女はこう断言する。


「い、いえ! 

 確かに私は計画を立てて、あの男に毒を飲ませようとしました! 

 でも、途中で怖くなって、計画を中断したんです! 

 私はあいつに毒を飲ませる前に〝お茶に塵が入っていると言って、部屋を出たんです! 

 その後の事は、本当に分かりません! 

 なんであいつが死んだのか、皆目見当がつかないんです!」


「な、に?」


「……何ですって?」


 ここまできて、菫さんが、犯行を認めない? 

 それはつまり、それこそが、事実だから?


 おぼろげにそんな事を感じた私は、次の瞬間、思わず震撼した。

 今頃になって――〝その事〟に気付いたから。


 これこそ、背筋が凍る思いと言っても過言ではない。


「……そう、か。

〝鑑識〟は胃の内容物に関して、殆ど言及しなかった。

 お茶の成分が検出されたなら、そう報告する筈なのに〝鑑識〟はその事に触れていない。

 つまり――」


「――そう。

 菫明美ちゃんの言い分は、全て事実と言う事。

 彼女はこの事件の――犯人じゃないよー」


「つっ!」


 背後から響いた声に反応して、私達四人は振り返る。

 そこには腕組みをする、あの白い人が居た。


 この時――私は己の過ちを思い知ったのだ。


「……そう、か。

 やっと、犯人が……分かった。

 ……犯人は、あなたね――白い人?」


 彼女は、ただ微笑むだけだ。


「正解。

 宇野花道明を殺害したのは――この私。

 つまりきみ達のミッションは――失敗したという事だね」


「バ、バカな!」


 車奈さんが、愕然とした声を上げる。

 流石や宝屋君も、困惑の表情を浮かべるだけだ。

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