第4話 木田流石
4 木田流石
私の家は、マンションの一室だ。
家賃は十五万程で、如何にも中流家庭と言える。
その我が家の隣の部屋には――木田流石という男子が住んでいた。
木田家も実に平凡な家庭なのだが、流石は一寸だけ普通とは違っている。
ヤツがサッカー部に入部しただけで、私が通っていた中学は県大会を勝ち抜いたのだ。
流石にはそれだけの運動神経が具わっていて、忠信も流石に憧れている。
流石の後輩である忠信もサッカーを嗜んでいて、流石は忠信の目標なのだ。
「しかし不思議よね。
何で幼馴染って、存在するんだろう?
近所の子供が私と同じ年とか、どういう確率でそうなるの?」
私がブツブツ呟いていると、背後から声がかかる。
高くも低くもないその声は、確かに木田流石の物だ。
実際、そこにはジャージ姿の、さわやか系イケメン男子が居るではないか。
「何を、ブチブチ喋っている?
響って、偶に独り言が多くなるよな?」
「は、い?
私は別に、知恵と勇気だけで祖国を救った侍女ではないわ。
私にそんな能力はないから、彼女と一緒にしないで」
私はむかし読んだ本の内容を、自分と混同する。
と、流石は眉を顰めて、肩を竦めた。
「今日は普通に、反応してきたな。
響って偶に話しかけても、ぼーっとしている時があるから困るんだよ。
お前ってさ、ああいう時、何を考えているの?
もしかして――エロい事?」
「………」
こういう軽口を叩ける辺りが、幼馴染である証拠だ。
普通の女子なら、ドン引きする場面だぞ。
「エロい事?
エロい事って具体的には、どういう事?
もしかして、流石がいま考えている様な事かしら?」
「そう切り返してきた、か。
さすがは、響だ。
俺の事が、よく分かっている。
因みに俺が、どんなエロい事を考えていたかと言うと――」
「――はい、ストップ。
調子に乗らない。
どうせ私とキスする事を、考えていたとでも言うんでしょう?
そういう冗談は、聞き飽きたの。
流石も、もう少し成長した方がいいわね」
「……冗談じゃ、ねえんだけどな」
と、何かをボソリと呟く、流石。
今度は、私が眉を顰める。
「は、い?
何か言って、流石?」
「別に、何でもねえよ。
今日も響はぼーとした面をしていると、思っただけ。
……本当に響は愚鈍だよな」
「はい?
だから、もう少しハッキリ喋って。
流石の方こそ、偶にボソボソ呟く癖があるわ」
私が窘めると、何故か流石は困った様な顔になる。
経験上、これは流石の地の表情だ。
つまり、私は流石を困らせている?
一体、何を困っているんだ、コヤツは?
「いや、マジで何でもない。
それより、さっさと学校に行こう。
バスに乗り遅れる」
「というか、流石は朝練とか無いのね。
忠信は、今日も朝練なのに」
私が疑問符を投げかけると、流石は本気で呆れた。
「……本当に響は、他人に興味がないよな?
前に言っただろう。昨日練習試合があったから今日の朝練は休みだって。
大会も近いし、休める時に休むのも、スポーツマンには必要な事なの」
「………」
スポーツマンとか、随分偉そうになったな、コヤツも。
昔は私の、子分みたいな立場だったのに。
うん。
妖怪で例えるなら、大妖怪を前にしたネ○ミ男。
「そっか。
大会が近いのね。
なら、交渉次第で応援に行ってあげてもいい」
「何でそんなに、上から目線なんだ?
響って自己評価が低い割に、時々偉そうだよな。
というか、それって俺の前でだけ?」
「そういう流石は、今日も自己評価が高いわね。
自意識過剰とも、言える感じだわ。
ま、別にいいのだけど。
私が応援に行ったところで、何かが変わる訳でもないし」
「……そういう所が愚鈍で、自己評価が低いって言うんだ」
「は?
何か言って?」
私が問うと、流石はやはり素知らぬ顔をする。
「何でもない。
分かった、いいよ。
なら響には、思う存分俺の応援をしてもらう。
条件は、何でも良いぜ。
俺に出来る事なら、な」
「は、い?
私が応援するのは、我が校のサッカー部よ。
流石だけじゃない。
普通にそう言う事が言える所が、流石って感じよね」
「………」
「ま、条件については、考えておくわ。
……流石に出来そうな事、か。
今の所、全く思いつかない」
「それって、完全に俺も過小評価しているだろう?
俺は大抵の事なら、出来る男だぜ。
もう少し本気を出せば、プロのサッカー選手にだってなれる。
そうなった時、後悔するのは響だからな」
「は、い?
御免。
言っている事が、よく分からない」
「………」
母といい、流石といい、なぜ私を困惑させるのか?
しかし加害者である筈の流石こそが、被害者の様な顔になる。
「いや、いい。
これも、何時もの事だから。
やっぱ、ハッキリ言わないとダメか。
でも、やだなー。
今更、こんな事を言うの。
……マジで、何とかならんかね?」
「………」
本当に思い悩んでしまう、流石。
第三者である私としては、そんな彼を見守るしかない。
それが如何に非情な態度であるか私が思い知るのは――この後の事だ。
◇
「他人に、迷惑をかけるな」
「は、い?」
一緒に登校している木田流石が、妙な事を言い始める。
何の前置きも無いその言葉は、素直に私を怪訝にさせた。
「俺の両親は事あるごとに、そんな事を言っていてさ。
響を見て、その事を思い出した」
「………」
唐突過ぎる流石の話は、何故か私に直結していた。
やはり、私の周囲の人々は、よく分からない人間ばかりだ。
「それは、どういう意味?
いえ、今朝、母さんにも言われたのよ。
私は無自覚に、他人に迷惑をかけているって。
これってやっぱり、無自覚だから私自身では自覚出来ないって事?」
「……また、難しい事を言い始めたな、このアマは。
響は物事を、複雑に見過ぎなんだよ。
世の中は、きっとそこまで複雑じゃない。
響が思っているより、シンプルなんだ。
いや、響の場合、単純に考える位が丁度いいのかも」
「何か、諭されている気がするわね。
流石の分際で、私を諭すってどういう事?」
私が不満を口にすると、流石は眉間に皺を寄せた。
「いや、例えば男女の幼馴染がいて、どちらかが一方に恋心を抱くとするだろう?
でもその幼馴染は、今更過ぎてその思いを口に出来ないんだ。
けど、第三者から見れば、その幼馴染の気持ちは丸わかりなんだよ。
気付いていないのは、もう一方の幼馴染だけ。
これってある意味迷惑をかけていると言えるだろう?
皆、幼馴染の好意に気付いているのに、もう一方の幼馴染だけ気付いていないんだから」
「は、い?」
流石の方が、余程難解な事を言い出した。
いや、言っている意味は分かるのだが、何故その話を私に振るのかがまるで分からない。
一体、何を言っているのだ、コヤツは?
「……すげえぇ。
ある意味、感動した。
ここまで言っても、まだ気付かないなんて、最強を通り越した最悪だろう。
お前、本当に頭いいのか?
常に学年トップクラスの成績を誇っている成尾響が、本当にそれで良いの?」
「え?
もしかして、私いま、存在レベルで批判を受けている?」
何やら流石に感心されている私は、けれどディスられている気もする。
褒めながら貶すとか、私の母か、コヤツは?
「いえ、勉強が出来るのと、頭がいいのは別次元の話なの。
実際、勉強は出来ても人付き合いは苦手な人を、私はよく知っている。
本当に頭がいいなら、そういう事も簡単に熟せるでしょう?
私は勉強が出来るだけで、頭がいい訳じゃない。
流石は、そういう事も念頭に置いて喋った方がいいと思う」
「………」
今度は私が、流石を諭す。
ヤツは言わなくてもいい事を、言い始めた。
「その〝よく知っている人〟って、お前の事か?
自分自身の事を、響は語っている?」
「まあ、否定はしないわ。
勉強は出来ても、私としては分からない事だらけだもの。
現に、流石って何で私に構ってくるのか、まるで分からない。
私みたいな陰キャラは相手にしないで、桂さん達みたいなギャルと話した方が楽しいでしょ?」
「………」
と、流石は遂に、無言で頭を抱えてしまう。
……何か酷く、バカにされている気がする。
「……外堀を埋める作戦は、無意味か。
やはり、本丸に突っ込むしかない?
でもなー、これでも俺、特攻精神で事に臨んでいるつもりなんだけど」
〝それでも理解を得られないのか〟と、流石は何やらぼやく。
私としては、彼を元気づけるしかない。
「何だか分からないけど、元気を出して、流石。
本当に何だか分からないけど、私でいいなら相談に乗るから。
本当に何だか分からないけど、私でも力になれる事はあると思うの」
「……最低最悪の、切り返しだな。
お前はやはり……無自覚で迷惑をかけるタイプだ。
というか、俺、もう泣いてもいいですか?」
「………」
え?
私、何か対応を間違えた?
やはり私には、流石の思惑が掴めない。
と、流石は何やら、別の事を言い始める。
「……時に、響って結構モテるよな?」
「は?
それはどういうレベルの、面白くない冗句?」
「いや、冗句ではなく」
「いえ、冗句でしょう」
「………」
「………」
その後、私達は暫く無言で街を歩く。
先に業を煮やしたのは、流石の方だ。
「……ダメだ。
この女、マジで自己評価が低すぎる。
自分の事が全く分かっていない奴程、厄介な人種はいない。
頭がいいのに――頭が悪すぎる」
「え?
何か今、流石は私に最大級の屈辱を与えなかった?
もしかして、流石は私に喧嘩を売っているの?」
「………」
私が事の真理に辿り着くと、何故か流石は右手で顔を覆う。
「……何でそういう、結論になる?
此奴はマジで、人の気持ちを考えられない奴なの?
ヤベエよ。
やっぱりこの人、ヤバすぎる。
信や文香さんの、言う通りだ。
成尾響は、マジでヤバい」
「………」
因みに文香というのは、私の母だ。
〝信〟と略されているのは、忠信。
いや、誰もが略するならもう〝信〟という名前でも良い気がする。
「いえ、それでも私は、ちゃんと忠信と呼ぶけどね。
忠信なんだから忠信って呼ばないと、気持ちが悪いでしょう?」
「……なに言ってんの?
何で話が、そこまでとぶ?
俺は今まで〝恋愛について・小学生向け編〟について語っていたのに」
「………」
流石の方が、意味不明な事を言い出した。
〝恋愛について・小学生向け編〟って何だ?
「そういう流石は、誰かと付き合った事があるの?
あるなら、聴いてみたい物だわ。
いえ、仮に好きな人が出来たら、紹介してね。
応援するから」
「……ゴフゥ!」
「………」
え?
吐血した?
今、この男子高 校生は、吐血したの?
「……いや、吐血まではしていないが、ここまで来ると〝死〟さえも身近に感じる。
無自覚の狂気ほど、恐ろしい物はない。
俺は今日、その事を再確認した」
「………」
どうでもいいけど、流石って偶に面白い反応をみせるよな。
本当に、どうでもいいけど。
「というかさ、もうハッキリ言うけど、俺は響の事が――」
――と、木田流石が真剣な顔で何かを言い掛ける。
だが、彼が皆まで言う事はなかった。
何故なら私達は次の瞬間、それどころではなくなったから。
前方から、悲鳴が聞こえる。
それは、女性の物だ。
彼女から鞄を奪い取ったその強盗は――真っ直ぐこちらに向かって走って来た。
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