第一章 革紐の誓約 ー5

 指名を受けたからには、聖女とは知らずに会話をするなり、何か接点があったのだろうと思った。少なくともリネッタ側はクウィルを認識しているという話なのだ。

 しかし今こうしてリネッタと対面しても、クウィルには何ひとつ記憶を揺さぶられるものがなかった。

 色恋に無関心と自他ともに認めるクウィルですら、ひと目で見とれかけたシルバーブロンドの髪も青の瞳も、アイクラント王国にありふれているとは言い難い特徴だ。あれほどの美人にどこかで出会っていれば、さすがにクウィルでも覚えていられる。

「心当たりすらない。何かの間違いじゃないかと思う。だから、あとで彼女に確認を」

「お願いですから聖女さまにそんなことおっしゃらないでくださいませね! きっとがっかりなさいます!」

 アデーレが慌てたようにクウィルのそでつかみ、ぐいぐいと引っ張る。

「しかし……勘違いだったら申し訳ないじゃないか」

「兄さまのひとみいとわないかたがやっと現れたのに、どうしてそう後ろ向きなのですか!」

「落ち着きなさい、アディ」

 ラルスがアデーレを愛称で呼び、彼女の興奮を抑えるように小さな両肩に手を置いた。

「ここでそんな大声を出しては、リネッタ嬢に聞こえてしまうよ」

 アデーレは両手で口をばふっと押さえ、こくこくと小刻みに頭を上下させる。

「クウィル。リネッタ嬢をお連れしてダイニングへおいで。それから、せめて私服に着替えなさい。婚約者との初めての会食に騎士服とは味気ないだろう? 誓約錠を渡したのなら、皆でリネッタ嬢をきちんと迎えてさしあげよう」

 そう言われ、このあとのばんさん会に向けてきちんと身支度を済ませている兄と妹を見て、なるほどと思った。つまり今日という日は、ただ誓約錠を渡し、ともに夕食の席に着いて形さえ整えればいいというものではなかったのだ。ようやく自分の失態を正しく理解してきて、クウィルはため息をつきつつ騎士服に手を当ててうなずいた。

 すると、ラルスがアデーレの両耳を軽く押さえ、クウィルに耳打ちしてくる。

「クーがどうしても無理だと思うなら、そのときは皆で考えればいい。これは私も父上も同じ意見だよ。まぁ、母上は多少気落ちするだろうけれど」

「ですが、我が家だけでなく、上のご生家にまで飛び火しかねない問題でしょう」

 聖女との婚約は王命なのだ。クウィルから破棄するなどあってはならない。

 けれど、ラルスはクウィルを安心させるように微笑んだ。

「大丈夫だ。ヒルデも同じことを言うよ」

 ラルスが結婚して三年になるが、義姉のヒルデは当初から変わりなくクウィルにもアデーレにもよくしてくれる。兄の言葉に偽りがないとわかるからこそ、クウィルは申し訳なくなる。夜会を避けられるという誘惑に負けた自分がつくづく情けない。

 クウィルはアデーレの耳をラルスの手から解放して、ぎこちないながら笑顔を作った。

「アディにも兄上にも、心配をかけてすまない。大丈夫だから。自分にこんな縁談が来るとは思わなかったもので、それに……正直、たいへん容姿の優れたご令嬢で、我が身には余る気がして、それだけだから」

 すると、アデーレがくるみ色のつぶらな瞳をことさら大きく開いて、ぱちぱちとしばたたかせた。

「兄さま、大丈夫。世の中は兄さまが思うほど美男好きばかりではないのよ」

「うん、アディ。私たちはダイニングで待とう。ね」

 ラルスが少々ひきつった笑みでアデーレを抱えて去っていく。とお退いていく妹の声が「兄さまだって愛想よくすればいくらか輝きが増して見えるわ」と、いまひとつ慰めになりきらない慰めの言葉をくれた。

 軽く疲労を覚え、廊下の花台に手をついた。花台に載った花瓶はよく磨かれていて、クウィルの顔を鏡のように映すから、映り込んだ黒髪赤目の憎らしさにまゆをひそめて顔を背けた。この暗赤色の目が厭わしくて、日ごろから鏡は避けている。そろって金髪にくるみ色の瞳をした家族の中で、この黒髪も赤目も、クウィルひとりだけを異質なものとして浮き上がらせる。

 この容姿は、遠くさかのぼるとアイクラント王国を離れ、ベツィラフトという失われた小国に行きつく。単一民族国家であったベツィラフトの民は魔獣を使役する術を有していたために、国が失われた現在に至ってもなおアイクラントの人々から忌むべき国といわれる。そんな亡国の民の特徴をクウィルは色濃く継いでいた。

 アイクラントは多民族国家だが、金髪寄りの明るい髪色の者が多く黒髪は珍しい。そこに唯一といっていいほど珍しい暗赤色の瞳まで同居させたのがクウィルである。珍獣みたいなものだ。

 リネッタの生家、セリエス伯爵家はアイクラント建国以前から王家に仕えていた伝統ある家門だ。いかに近年の旧派貴族が勢いを失くしているとはいえ、こんな変わり種を婚約者に指名するほど相手探しに困ってはいまい。巡礼の間には白騎士団に所属する貴族令息らと交流する機会もあっただろう。彼らは、黒騎士よりも家柄の良い者が多い。

 リネッタには他にいくらでも選択肢があったはずだ。王家より上位貴族令息よりこの珍獣を選ぶとは、物好きにもほどがある。

 そんなことを考えていると、クウィルの背後で扉が開いた。まず出てきたニコラがクウィルに会釈し、次いでリネッタが姿を見せる。

 十人にけば十人が、彼女を美しいと評すだろう。聖女の選定基準には容姿が含まれているのではないかと思うほどだ。聖女という運命を押し付けられなければ、間違いなく社交界で引く手あまただったに違いない。そんな令嬢が何を誤って、こんなクウィルの元に来てしまったのか。

 リネッタは考え込むクウィルのそばまでやってくると、まっすぐに赤目を見上げてきた。背だけは人に誇れるほど伸びたクウィルだから、決して小柄ではないリネッタと並んでも頭ひとつ差がある。そんな位置から見つめられては落ち着かず、クウィルのほうから口を開いた。

「騒がしかったでしょう。妹が失礼をいたしました」

 いくらクウィルとラルスが声を抑えたところで、アデーレの声量があれではだいたいの内容は察せてしまっただろう。傷の手当てもないのに部屋から出てこなかったのは、こちらの話が落ち着くのを待っていたからかもしれない。

 クウィルの謝罪に、リネッタはあの器用な笑みを張り付けてゆるゆると首を振った。

「アデーレ様は、お可愛らしいかたですね。わたしをこのお部屋まで案内してくださいましたし、クウィル様がご到着なさるまでにいろいろとお話ししてくださいました」

 その出迎えは本来、クウィルの役目だったのだと今ならわかる。かといってアデーレのしたように話を弾ませることが自分にできたとは思えない。

「歳が離れているぶん、私も兄も甘やかしてしまいまして。あのとおり、おしやべり好きのにぎやかな妹です。失礼がありませんでしたか」

「とんでもない。十歳なのにとても大人びていらっしゃいます。わたしが十の頃なんて、木から落っこちるような子どもでしたもの」

 思わぬ言葉に、クウィルは内心驚いた。今のリネッタの姿からはおよそ想像がつかない。聖女にも少女のころがあったのだと当然のことを思いながら、エスコートのためにリネッタに手を差し伸べた。

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