五章Ⅰ 『好きだから』

□ □

 彼の形見を握り締めたまま、俺はアリアスタ村に辿り着いていた。


「……灼けたのか」


 目に映るのは、村と呼ぶにはあまりにも無惨な光景だった。

 家々は煤に覆われ、地面の草木は黒く朽ちている。

 人災か、天災か、魔物か。

 それは分からないが、ただ、燃え尽きていた。


「メルル……」


 最後の仲間の名を呟きながら、俺は歩き続けた。

 大気の元素を感じ取る。

 なんとなくだけれど、教会に集まっている気がした。

 教会――俺たちが事件を解決した場所だ。


 この村は、予言者を輩出するために、非人道的な儀式を繰り返していた。

 裏で手を引いていたのが、黒幕である教会だったという訳だ。


 俺は教会に踏み入り、素手で、灼け焦げた講壇を持ち上げる。

 講壇は劣化に耐えきれずに、ボロボロと崩れていく。

 目の前にあった長椅子を退ける。それも、崩れ落ちる。

 それを、繰り返す。

 繰り返す。

 

    繰り返す。


      繰り返す。


        繰り返して――。


 どれほどの時間が経ったんだろうか。

 思考は鈍り、ただ身体を動かしているだけだった。

 気がつけば俺は、床材を引き剥がしていた。


 ――見つけた。

 地下への入り口だ。いったい、何が隠されているんだろう。

 鋼鉄製の板で、蓋がされている。

 動かない脳みそで考える。

 叩いても、引っ張っても、爪を立てても、ビクともしない。


 ――めんどうだな。


 俺はおもむろに聖剣を取り出した。

 魔を灼くはずの炎は、何の抵抗もなく、その刃に熱を通す。

 鋼鉄板はドロドロに溶けて、階段が姿を見せた。

 ゆっくりと降りていく。


 扉が見えるまで、そう時間はかからなかった。

 扉を開ける。――ああ。彼女だ。


 名前を口にする。会いたかった。君に、会いたかったんだ。


「メルル」


 彼女は、聖堂の中央にある椅子に座っていた。

 周りには乱雑に、テーブルとか、寝台とか……生活に必要そうなものが置かれていた。

 名前を呼ばれた彼女が、ゆっくりと立ち上がる。

 一年前よりも伸びた、柔らかそうな髪が、ふんわりと浮いた。

 その碧眼が、碧空のような瞳が、俺を射貫く。


「イサム……? 久しぶりだね。これはもしかして、夢なのかな」


 彼女の声を聞いて、

 俺は安心感からか、

 虚脱感に包まれて、

 崩れ落ちた。意識はそこまでだった。


 □ □

 ふと、目が覚める。

 身体が軽い。それだけではなく、脳までクリアになったようだった。

 鎧は脱がされているみたいだ。

 目蓋が重くて、開けられない。それでも、後頭部に、柔らかくて、ひんやりとしたものが当たっているのを感じた。

 甘いような、良い匂いもする。


「あれ――?」

「起きた? イサム」


 彼女の声を聞くと、脳が覚醒を始める。起きる意思を強めて、おもむろに目蓋を開く。 俺はメルルの膝を枕をしていた。いや、されていた。

 聖堂は、蝋燭の優しい明かりによって、暗く、淡い明るさだ。


 芳醇な果実を思わせる乳房が、視界の半分を邪魔していて――彼女の匂いで、俺の理性は痺れるかのように麻痺し始めた。

 この場から退避しようと、起き上がった……起き上がれなかった。

 彼女が俺の肩を押さえている。同時に、視界を占領していたモノが大きく揺れて、俺の顔に近づいた。

 脳裏に浮かぶは、森の奥に隠された禁断の木苺。


「ちょ、ちょっと……メルルさん……?」

「もう少し休んでおきなよ。まだ、三十分も経っていないんだよ」


 避けがたく、肉体が反応を始める。俺の下半身に血流が集まって――仕方ないだろう。

 ああ、白状するよ。俺は前から……三年前から、彼女のことが好きなんだ。

 その綺麗な碧に、一目惚れしたんだ。


「駄目だメルル! ちょっと、離れてくれ……!」


 無理矢理に、彼女の膝から離れる。

 尻尾を踏まれた猫のように、全身を使ってメルルの反対方面に移動した。


 メルルは、しゅんとしていた。怒られた大型犬みたいだった。


「嫌だった……?」

「そんなことない!」


 俺は全力で、手と首を振る。

 彼女は唇を尖らせて、不満そうな表情をした。


「……じゃあ、なんでだよ」

「なんでだよって言われても……」


 む、と声を漏らして、メルルは押し黙る。

 しばらく、気まずい空気が流れた。

 落ち着け。俺。


「……なんでだよ」


 もう一度、問われた。


「――あ」


 喉から、迫り上がる。

 それは本心。


「好き――だから」


 思わず、言ってしまう。

 勢いで言ってしまう。

 あ――――、勢いで言っちまった。

 まるで修学旅行の夜だ。勢いで告白しちゃうやつ。


 頭を寝台に付け、俯く。

 メルルから見たら、土下座しているようなポーズになっているだろう。

 返答は無い。


 それはそうだろう。こんな状況なのに、突然好きだと言われたら誰でもそうなる。

 上目遣いをするように、ちらりと覗く。

 彼女は、顔を手で隠していた。よく見ると、耳が赤い。


「メルル……?」


 彼女は指の隙間から、俺を見た。


「好きって、なんで?」


 深掘りするのかよ。


「なんでって……最初は、一目惚れだった。碧空みたいな、綺麗な瞳に吸い込まれそうだった」


 脳裏に浮かぶのは、異世界に来て、少し経ってからの事。

 キスでもするんじゃないかってくらい顔を近づけられて、眼が合った日。


「うん……綺麗だったんだ。元の世界に戻っても、その色だけは忘れられなかった。空を見て、君のことを想っていた」


 心の底から、そう言った。


「……私は、綺麗じゃないよ。だってこの身体は、沢山の男に犯されて、穢れてるから」

 そう言って、彼女は自分の身体を両腕で抱きしめた。

 ――なんだよ、それ。


「――――」


 言葉が出ない。

 無理矢理、喉を絞るようにして声を出す。

 彼女に、勘違いされたくなくて。

 綺麗じゃないなんて、思ったことはない。

 ただ、ショックだった。


「なん、だよ。それ……」

「アリアスタ村の儀式――私は、それの被害者だ」


 眩むほどの吐き気がした。

 オレは思わず駆け寄って、メルルの肩を掴む。


「なんで、なんでそれを一年前に言わなかったんだよ……! 早く知ってたら、あんな連中に頭なんか下げなかった! 会話なんてしなかった! ぜんぶ、俺が燃やし尽くしてやれたのに!」


 声を張り上げながらも、俺の言葉が虚しいことは分かっていた。

 もう、それは叶わない。

 村人も、村も、教会も、既に喪った。


 彼女の瞳が潤む。碧空が曇る。

 一番辛いのは、彼女だ。

 俺は肩に置いた手を静かに離して、深く息を吸い込む。


「……ごめん。辛いのは、メルルだよな。俺、無神経だ」


 彼女は俯いたまま、震える声で答える。


「言えなくて……ごめんね」


 しばらく、沈黙があった。


「……私も、イサムが好きだから……言いたくなかった」


 その一言によって、時間が止まった。

 思わずメルルを見る。

 聞き間違いか?


「――いま、なんて?」


 彼女は、膝に顔を埋めた。


「イサムが、好き。二年くらい前から、好き。……だから、言いたくなかったんだよ」


 その言葉が心に突き刺さる。

 全身が硬直して、血が沸騰しているみたいだった。

 脳がその一言を処理しようと動いている。ドクンと跳ねる鼓動。

 何かを、言わなくちゃ。


「――メルル」


 名前を呼ぶのが、精一杯だった。

 彼女の顔も、身体も、瞳も、その全てが目に焼き付いて、離れない。

 ……メルルが、俺の左頬に手を添える。

 それにすら、気が付かなかった。

 潤んだ碧空。

 冷たい、陶器のような指先。

 彼女の唇が、近づいた。お互いの息遣いが交わる。

 俺はまた、彼女の匂いで理性が麻痺し始めた。

 どちらからなんて、もう分からないけど、何度も唇を重ね合わせた。


 会えなかった時間を埋めるように、

 気持ちを確かめるように、

 互いを求めるように、

 身体を融かし合った。

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