二度目の異世界、三度目の勇者
南風
一章 『二度目の』
□ □
玉座の眼前、勇者が脚を大きく踏み出す。
相対するは王──竜の魔王。
鱗は雷光を反射し、まるで
そして、竜の象徴である両角に大気の魔力が集った。
美しく、靭やかな体躯──竜尾がゆっくりと持ち上がり、筋繊維の爆発を抑え込むように、引き締まる。
瞬間、周囲の空気が静まり返った。
尾が空を一閃し、切り裂く。石壁が崩れ、半壊した城が揺れる。
両断された空間は鋭利な斬撃となり、勇者の衣服を切り裂いた。
だが、彼の歩みは止まらない。
勇者が持つ剣、その剣身に沿うように、炎が走る。炎が螺旋状に回転するように、燃え盛る。
「責任は……果たさなきゃ」
勇魔を決する闘いが──始まった。
□ □
□
──雷撃と炎刃が衝突し、周囲に衝撃波が発生する。
「勇者ァァァァァァ!!」
竜の魔王は吠える。魔物の王に仇なす者──勇者を殺すために。
猛攻を受け、膝をつく俺に向かって、右腕を構えた竜魔王が突き進む。
奴の手には、竜魔王の血統だけが振るうことを許された、魔剣フラガラッハが握られている。
魔以外の総てを滅ぼすための剣が、雷鳴の如く閃き、空間を裂くように疾る──!
その斬撃が俺に吸い込まれる直前──金色の風が吹いた。
始まりから俺と、俺たちと歩んできた偉丈夫、騎士だ。
「やらせはせん! 進め、勇者!」
綺麗な金髪を血に染めた騎士が、魔槍ゲイボルグを振るい、魔剣の斬撃を相殺する。魔槍は踊るように振るわれ、魔剣を捌き、竜魔王の右腕を貫いた。
だが、竜魔王が吠えて、魔槍が砕かれた。竜魔王の左腕による一撃──質量を伴ったそれは、魔槍をも砕き、騎士を打つ。彼は真横へ吹き飛ぶ。
「騎士……!」
だが俺は、聖剣を両手で握りしめ、足下に突き刺した。
そして、地脈に通る魔力を剣に集める為に、注ぐ。
竜魔王を倒すための魔力を。
竜魔王の右腕は、だらりとぶら下がっていた。
騎士が振るった魔槍ゲイボルグの呪いが、奴を蝕んでいるのだろう。
だが、竜魔王の身体はまだ、俺を殺すために躍動している。
──殺される!
「ひひっ! まだまだ甘いね、キミは!」
後衛の賢者が竜魔王に掌を向けながら、俺の隙を指摘する。
振り向くと、彼女がいつも身に付けていた首飾りがバラバラに砕け散っていた。
──きっと、切り札だ。
旅の途中、賢者のことを横目で見ていたら、一瞬でバレてしまったことがあった。
仕方がないだろう、彼女のスタイルはとても良いのだ。
篝火に照らされた銀の髪。澄み渡る碧の瞳を細めて、白い歯をこぼす賢者。
俺は必ず、顔を赤らめた。スケベ心で見ていたことを誤魔化すために、首飾りについて聞いたことがあるのだ。
それは、灼けた故郷から持って来られた唯一の物だと。
「ごめん、賢者……!」
竜魔王周辺の空中に、複数の魔術陣が展開される。そこから鎖が射出され、竜魔王の身体を締め上げる。束縛魔術だ。
俺は瞼を閉じ、魔力を練り上げることに集中する。
心/心臓から全身へ、血流にも似たモノが駆け上がっていく。
これ以上、言葉にはしない。
大気/元素から心象へ、具現化したイメージを両手に集める。
みんなを信じている──!
「戦士さんは左を!」
「任せてください!
俺の左右後方から、前方へと駆け抜ける二つの刃。
戦姫と戦士だ。
魔物特有の、筋肉が詰め込まれた巨躯を切断する音が響き渡る。
片方の刃は、圧倒的な重量に身を任せ、鍛え上げられた膂力を全開にして引き裂いた音。
そしてもう片方の刃は、鋭く、凛とした美しさを持っていた。繊細な技量を用いた細剣を舞わせ、優雅な軌跡を描きながら、肉を斬り落とす。
魔斧ヘクトールと魔剣エイリークによる、力と技の二重奏。
──総ての魔力が、勇者の聖剣に集った。
剣身に沿うように、炎が走る。炎が螺旋状に回転するように、燃え盛る。
俺は目蓋を開けた。
騎士、賢者、戦士、戦姫が、俺を護るために全力を尽くした。
膝を崩し、前傾となった竜魔王。
竜人の王を象徴する、黄金の大双角が差し出された──俺は、聖剣を上段に構える。
「俺は──俺たちは、責任を果たすよ。この世界を良くしてみせる」
語気を強めて、言い放つ。
「だから、お前も──自分の責任を果たせ!」
竜魔王の眼は、俺を一目流し、そして戦姫を貫いた。
「ハ──ハハ──ハハハハ──!!」
「何がおかしい」
「魔器ト言ウ強大ナチカラニ頼リ切ッタ貴様ラニ、世界ヲ良ク出来るモノカ──! ──アア、特ニ」
最後にこう言った。
「勇者、オ前デハナ」
「そっか……」
俺は、勇者の証である剣を振り下ろす。
何度も振って、練習してきた袈裟斬りを。
竜の双角を叩き斬る。
竜族の生命を終わらせるためには、双角を破壊するしかない。
それは、竜人もそうであるし、純粋な竜族もそうだ。
魔物を使役し、世界を脅かした竜魔王も──。
竜魔王の大双角が落下する。
竜魔王の生命が地面に堕ち、地を割ると同時に、竜魔王の肉体から炎が噴き出した。
勇者の剣ラーハットは、聖剣だ。
魔の生命を終わらせた時、残ったモノが呪いとならないように、復活しないように、荼毘に付す。
──決着だ。
仲間たちが、灰となり霧散していく魔王の周りに集まった。
騎士が俺の肩に手を置く。
「終わったな……」
戦姫は祈るように手を組み、涙で濡れた瞳で俺を見つめた。
「ええ……やっと……やっと……!」
戦士が大斧を放りだして、その場に倒れ込み、大の字になる。
「ふぅ……疲れたぁ……」
「戦士……それ、魔斧でしょ。大事にしないと駄目じゃないか」
そう言って苦言を呈するのは賢者。豊満な胸の前で腕を組む。
──ああ、いつもの感じだ。
「ふはっ、わはははは!」
俺は笑い出してしまった。
つられて、騎士が笑い出す。続けるように賢者が、戦士が。
そして、涙を流した戦姫が、俺に笑いかけた。
「勇者様……私、私っ!」
俺に何かを言おうとしていた戦姫。
瞬間、彼女の表情は、凍りついた。
「勇者様!?」
悲鳴を上げるように叫んだ戦姫。俺に駆け寄って、右腕を取った。
右腕には感覚は無かった。
勇者の剣を取り落としていたことに、いま気がついた。
俺の右腕は半透明になっていたのだ。
「勇者、お前……身体が消えていくぞ!?」
騎士も近づいてきて、べたべたと俺の身体を触る。
賢者は悔しそうに指先を噛む。
「……自動転移魔術か。ここまで高度な魔術を行使できるのか、神は……!」
「え!? ってことは、勇者さん……帰っちまうってことですか?」
戦士は俺を見て、そして賢者を見て、騎士を見てから戦姫を見る。それを繰り返すもんだから、首だけが大回転していた。
「ま、そういうことなんだろうな……」
俺は元々、現代に生きていた。
神様──自称だけど──の導きによって、この異世界に転移し、勇者となった。
よくあるあれだな。
「俺に出来ることは、これ以上無いみたいだ」
戦姫が慌てふためいている。
「ま、まだですよ! これからも、私たちと一緒に、復興とか……お手伝いしてもらわないと……私だって、まだこれから……」
感極まってしまったのか、戦姫は涙を流す。
騎士がそれを見て、俯いた。
「その通りだ……オレたちにはまだ、お前が必要なのに」
戦士と賢者が、力強く頷いた。俺も、彼女を見つめ返す。
寂しいよ。離れたくない、俺だって。
でも、これがきっと摂理なんだろう。俺みたいな異物が、なんとかしていい世界じゃない。
──だけど、想い出があった。沢山の記憶が、俺を引き留めようとした。
それを振り払うように、大きく首を振る。
「もう少し残っていたかったけど、自分の居場所に帰らなきゃいけない」
徐々に透けていく自分の肉体。
ふと、頭上に鎮座する玉座へと視線を向けた。
──俺はそこまでの段差を、一気に駆け上がっていく。
そして、玉座の前に立ち、腰に手を添え、背筋を伸ばし、胸を張った。
大きく息を吸って、声を上げる。
「俺の責任は果たした!」
仲間たちに、高らかに名乗る。
「俺の名前はイサム! 俺たちの名はきっと、永劫に残り続けるさ!」
勇者一行は、魔王軍への情報漏洩を防ぐためか、役職名でしか呼び合えなかったんだ。
騎士は俺を見上げながら、ふっと笑う。
「オレは……オレの名は、バルムンクだ! イサム!」
俺に向かって、騎士──バルムンクは拳を突き出した。
俺も拳で返す。
「おう! 今までありがとな、バルムンク!」
鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった表情の戦士が、大声を上げた。
「オイラは、ゴンザレス! 『戦士の里』のゴンザレス!」
俺は、戦士──ゴンザレスの顔を見て、笑ってしまった。
「へへっ……鼻水拭けよ、ゴンザレス!」
賢者をチラリと見ると、彼女は顔をそむけていた。
だけど、目元を指で拭って、賢者は顔を上げる。
「私はメルルだ。……なんだよ、意外?」
「まあ……そんなことはないよ、メルル」
そして、俺は戦姫を見つめる。
戦姫も、頬を濡らしながら俺を見つめて──。
「イサム……私の名前は────」
突然、耳鳴りが襲ってきて、何も聞こえなくなって……そして、俺の視界は白く塗りつぶされた。
五感が、消えてゆく。
だけど、彼女の最後の言葉だけが、耳に残響する。
「……イサム様……またお会いしましょう……」
俺は、異世界から消失した。
■ ■
帰還してから一年後。
俺──風間 勇が異世界で過ごした時間は、二年だった。
意外だったのは、異世界も元の世界も、進む時間は同じだということ。
二年間、俺は日本から消失していた。
高校の校庭で転移して、勇者だったころの格好で同じ場所に帰還したのだ。
未だに思い出すけど──真っ暗な校庭に転移し、呆然としてたら、巡回していた警備員さんに捕まって連行された。
俺の口から出てくるのは異世界語なもんで、傍から見たら意味の分からない言語を振りかざす、中世チックな服を着た不審者だ。
勇者の剣を異世界に置いて行けて本当に良かった。そこだけは安心した。剣を持ち込んでいたら、逮捕だ逮捕。
すぐに警察が駆けつけ、事情徴収を受けることになった。だけど、彼らが俺を、行方不明になっていた元男子高校生だと気付くまで、そう時間はかからなかった。
数分も経たずに家族と連絡がつき、再会のハグ。
その後、即病院送りだ。
検査は一週間程度で終わって、その間に日本語も思い出せた。今でもたまに異世界語が出てしまって、まるでお笑い芸人のネタみたいになる。
まあ、それも歳の離れた同級生に話せる鉄板ネタになったからありがたい。
俺は、かつて在学していた高校に転入した。
青春時代真っ盛りの高校二年生で異世界転移し、二年が経過、そして一年が過ぎた。
──俺は今年で、二十歳になる。
クラスメイトだった奴らは全員高校を卒業してしまった。
ありがたいことに、二年前の卒業写真の右上辺りには俺が映っている。休んだ生徒用の丸抜きだな。
教師陣は変わっていなくて、快く俺の転入を喜んでくれた。
当時の担任は、変わらず二年を担当しており、俺を自分のクラスに転入させてくれた。
知らん十九歳が転入してきて、十六、十七歳たちは困惑しただろうに……。ただ、彼らは俺にとても良くしてくれた。
数学なんか忘れてしまった俺に、親切に教えてくれるもんだから、とても恥ずかしかった。本当に付いて行けない。こんなに馬鹿だったのか、俺。
そんな歳下のクラスメイトたちと三年生に上がったのが、現在である。担任も変わっていない。
そうして俺はいま、窓際の席で
──ああ。平和で、退屈だ。
異世界を思い出す。
魔王領の赤紫がかった空には、竜魔王の眷属である魔竜が飛んでいた。それは、王国領の空にまで侵食していた。
いま、仲間たちの空は碧いのだろうか。
……碧空と同じ眼を持った彼女は、元気にしているのだろうか。
「風間くん。よそ見してないで、教科書の四行目を読んでください」
ピンと指を立てて、片眉を吊り上げていた先生に指名される。
眼鏡をかけてはいるが、なんだか背丈と雰囲気が王国の宰相に似てるんだよな。
俺は立ち上がって、鉄板のネタをやることにした。
「【■■──!】」
と、俺は異世界語で、下級回復魔術を唱えた。
教室が静まった。
やっちまったか……?
静けさが煩く感じてくる中、最近の不良っぽい子が、
「勇くん、それ禁止っしょ。マジ勇者だわ」
とフォローしてくれた。
──そうだ。
「やめてよ風間くん~」
そんな事を言いつつも、笑いを堪えきれない子。
──俺は。
「静かにしたまえ!」
委員長タイプだ。
──俺は、勇者だったんだ。
先生に怒られながらも、俺は夢想する。
いつか、この詠唱も忘れてしまうのだろうか? と。
■ ■
六限が終わった。
「また明日」
俺はクラスメイトに挨拶をし、重い紙袋を持って教室を出た。
周りに耳を傾けると、今から買い物に行こうだの、カラオケの約束だの、映画とアニメの話だの。そういった話題が聞こえてくる。
俺も、転移前は映画とかアニメとかを見まくったり、漫画を読みまくっていたりしたな。その後は勢いのまま、友人とファーストフード店に行って、朝まで語りまくって、オールして登校──なんてこともあった。
家族には、迷惑をかけた。両親と妹は、二年間も俺を探し続けてくれたらしい。
妹なんか俺と同じ学年だ。気まずいったらありゃしない。
でも、当時は喧嘩ばかりだったけど、今じゃ衝突することはなくなった。意外と素直なやつだったんだと、そう思った。
一年経った今でも、家族は俺の身体を心配してくれている。
なんだか、俺の中から『なにか』が抜け落ちたみたいだ。
がらんどう。
革靴に履き替え、夕暮れに染まった校庭を練り歩く。
野球部とか陸上部とかの掛け声が聞こえてきて、俺は走り出したくなった。
持っている荷物と上着をそこらへんに置いて、グラウンドに飛び出す。
勇者になった頃、騎士バルムンクには鍛えに鍛えられた。あいつからは剣も、身体の動かし方も、飯の食い方までも教えて貰った。
戦士ゴンザレスからは、動物の狩り方と、サバイバル術を教わった。
賢者メルルからは、魔術の使い方と魔力の練り方を……あと、異世界の人間は全員、瞳が綺麗だってことも教わった。
それと、戦姫──彼女には、言葉を教えてもらったんだ。
もしかしたら、異世界語は忘れていくのかもしれないけれど、彼らの名前は絶対に忘れない。
野球部と陸上部の連中が、度肝を抜かれたような顔で俺を見てくる。
またしつこく勧誘されないよう、俺はそそくさと校門に向かった。
「よっ。勇」
「お! よう、龍一」
校門に背中を預け、きざったらしく片手を上げたのは、かつてのクラスメイトだった親友だ。
現在は近くの大学に通っているらしい。
俺が行方不明となった期間の、二年分の漫画を貸してくれている。俺が持っている紙袋はまさにそれだ。
二年前だったらすぐに読み終えたのだろうけど、何故か最近は読むスピードが落ちている気がする。
同級生だった頃みたいに、二人で帰路を歩いた。
「おい勇。どこまで読めたよ?」
「あ~、あそこだ。いいトコまでいったぜ? ほら、先生が封印されちゃうところ」
「全然まだまだじゃん……」
「なんか、前より読むのが遅くなっちゃったんだよな……大人になったからかな」
「なんだよ、それ。てかさ、いま俺んちにジャンプ全部移しててさ──マジ、壁みたいになってんぜ? ちょっと忘れ物したから大学戻るけど、後で俺んち来いよ。前みたいに漫画読みながら話そーぜ」
俺は、表情を作った。人生で一番、真面目を体現したかのような表情を。
「エロいやつある?」
「ねーよ!! 最近はなぁ、エロ表現なんかも規制されててよぉ……過去の時代の余熱に生かされてるのよ、俺たちはよ」
ねーのか。でも、
「ごめんごめん。冗談だって。いいよ、楽しみにしてる」
心からそう言った。三年前の自分に戻れると信じて。
「じゃ、飲み物でも買って、持っていくよ」
気が付いたら、駅に到着していた。
「サンキュー! んじゃ、三十分後にここ待ち合わせでもいいか? 俺んち先行っててもいいぜ。鍵渡すからさ」
「いいや、流石にそれはな……そこら辺で暇でも潰してるよ」
「そう? じゃ、また後でな」
龍一は駆け足で改札の奥に消えていった。
さて、どうしたものか。
帰還してからの一年、放課後は一人で映画館に行ったり、ゲーセンで暇つぶしをしたりしていたが……三十分となるとなかなか中途半端である。周りにゲーセンは無いし、映画を観るには時間が足りなすぎる。
財布の中身を覗くと、喫茶店に行くには心許ない中身だった。
散歩でもしながら、人間観察に洒落込むとしよう。
■ ■
缶コーヒーを片手に、俺は街を練り歩いていた。あと十分ほど。
そろそろ駅に戻ろうか。
俺は踵を返す──右脚のほうから、カランと何かが落ちたような音がする。
音の鳴った方に眼を向けると、そこには缶コーヒーが落ちていた。
俺が右手に持っていた缶コーヒーが落ちていた。
右手が、右腕が、俺の身体が、半透明になっている。不透明度がゼロ%に近づいていく。
ああ、この感覚は、あれだ。
──どくんと跳ねる鼓動。
また、異世界に行くことになるんだ。
三年前に自分に起こった現象を、再び味わう。
俺は、この世界から消失した。
□ □
以前とは少し違う、神様との問答を済ませ、目蓋をゆっくり開ける。
「二度目の、異世界……」
森だ。初めて転移した場所と同じ────俺はすぐに横へ跳ぶ。
一人と一匹が飛んできたからだ。
金と黒の塊は、耳を劈く様な鳴き声と共に木々を薙ぎ倒し、飛んで行く。
瞬きの瞬間、金色が黒色に叩きつけられ、俺の近くまで吹き飛ばされた。
その呻き声を、懐かしく思った。
彼と視線が交差した。
「イサム!?」
騎士──バルムンクが俺を見て、眼を見開いた。
眼の奥から湧き上がるモノを我慢する。まずは、状況の確認だ。
バルムンクが戦っていたと思われる黒色を見る。
それは……それは、魔物だ。熊を三周りほど大きくしたような見た目。
強大な魔物なのだろう。竜魔四天王ほどではないが、彼らの眷属と同レベルなのが、魔物の纏う魔力から感じ取れる。
武器は!?
左を向き、バルムンクを見た瞬間、眼の前にそれは現れた。
バルムンクは背中から何かを振り抜き、俺に放ったのだ。
──勇者の聖剣ラーハット。
右手で剣を受けとめ、グリップを握る。
色褪せていた聖剣が、煌めいた。思わせるは雪原に反射する銀光。
同時に、反時計回りで身体を捻る。
その勢いで走り出し、残光を伴った俺は、魔物に向かって聖剣を突き出した。
──ああ、この感覚だ。脳細胞が活性化して、視界が拓けるこの感じ。視野狭窄の反対はなんて言うんだろうか? 難しいことは分からない。そんな感じだ。
剣先が、魔物の心臓に吸い込まれる。
懐かしいと思ってしまった。
ぽっかりと空いていた空洞は、埋まる。
そうだ。俺はこんなにも、この世界が好きだったんだ。
勇者の剣は、魔物を貫く。
魔物の身体は燃え盛り、そして灰となって崩れ落ちた。
手首を使って、剣を勢いよく回転させ、灰を落す。
後ろから足音がする。ゆっくりと、俺に近づくように。
それに応えるよう、ゆっくりと振り向く。
バルムンクの姿が見えた瞬間、我慢できなくて駆け出した。
かつての相棒を、全身で抱きしめる。
「お前ッ……! 本当にイサムか? 本物なのか!?」
「ああ! バルムンク、一年ぶりだな!」
バルムンクは恐る恐る、俺に腕を回して、そして俺の存在を確かめるかのように、強く抱きしめた。
「一年……ああ、一年ぶりだ……」
「わはは! 痛いって!」
「────」
耳を澄ますと、彼は小さく、俺の肩で泣いていた。
バルムンクの背中を何回か叩く。それが慰めになると信じて。
「……俺も、会いたかったよ」
俺の眼からも、涙が流れ落ちた。
□ □
二人で焚き火を囲む。
そこらに落ちている木枝を投げ込むと、ぱちり、と音がした。
「なんか……まだ一年しか経ってないのに、懐かしく感じるよな」
「オレも同じだ。征伐戦時もこうして、イサムとオレ、ゴンザレスとメルル、……そして姫様の五人で、焚き火を囲った」
「そうそう。でさ、戦士──ゴンザレスが踊り始めるんだよな。『戦士の里』の伝統だとか言ってさ。大体、続いて戦姫も踊り出すんだ」
「懐かしいな」
会話がそれで途切れて、しばらく沈黙が続いた。
大きく火が爆ぜる音が何度かしてから、バルムンクが口を開いた。
「なぜ魔物が復活してるか、気にならないのか?」
「大体は、神様から聞いてる」
□ □
バルムンクと再会する直前。
視界は、白く塗りつぶされ、耳鳴りのような音が残響して、そして消えた。
「久しぶり」
と、声がする。
瞼を開くと、眼の前には神様が居た。
神様の顔を見ようとすると、白光がその顔を覆い、よく見えなくなる。認識阻害系の魔術だろうか?
だけど現代人のような格好をしている神様には、なんだか親近感が湧く。
初めて異世界転移をしたときと同じ状況だ。
「お久しぶりです。三年ぶり? ですかね」
「まあ~、それくらいだろうね。君たちの時間感覚は、私/ワタシにはよく分からないのだけれど」
神様は頬を掻く。なんとなく、彼/彼女は頼りがないのだ。
「俺が現代に帰るときにも、顔を見せてくださいよ」
「どうせ見えないでしょ。異界へ行くにはここを通るしかないんだけど、帰りはどちらでもいいのさ。てか、もう二度と会うこともないならいいかと思うじゃん、湿っぽいのもあれだし? あんまり話すこともないし。キミを選んだのだって、八十二億面ダイスを転がしただけだから、特に理由もないし」
「ほら感想戦的なやつとか……いえ、まあ、それもそうですけど」
冷静に考えてみると、俺は巻き込まれた側じゃないか。
まあいい。
俺が今回の転移について切り出そうとすると、
「今回の転移についてだけど」
先回りをされる。
神様は、誰かの真似をするように、声を高くして言う。
「なぜか、君を呼ぶ声が俺の頭の中に響いてさ。耳障りなんだよね~。イサム様、イサム様って」
「なんで俺の名前が?」
「さあ……あまり、魔器異世界を見つめることなんてしないからさ。ちょっと現代世界の事で忙しくて──いま、それは関係ないか。でも、君を呼んでおきっぱなしなのはあれだから、説明のためにちょっと覗いたけど、竜魔王が復活してるっぽいね。僕/ボクにとって、それはどうでもいいんだが、人口が減るのは困る」
「竜魔王が?」
竜魔王は俺たちが倒した。竜魔王が滅びたことにより、魔物はすべて消滅したはずだ。 もちろん、竜魔王の血族である竜魔四天王も。だから、竜魔王を継ぐ存在はいないはずなのに。
「ま、君にはブランクがあるし、当時の身体性能に戻すくらいはしてあげるよ。神様からのギフトだ」
ありがたいけども。もっと詳しく説明がほしいな。
「ありが──」
「じゃ、あとは頼むね~」
間髪入れず、俺は再び異世界に堕とされた。
□ □
神様とのやり取りを思い出す。
「竜魔王が復活したんだろ?」
遠くの空──赤紫の空を見ると、眷属である魔竜の影が飛び交っている。
オレたちは火を消して、歩き始めた。
「やれることをやろう。状況はどうだ?」
俺は、自分の責任──それを果たす。
バルムンクは俯きながら説明を始めた。
「イサムが消えてから、六ヶ月が経った頃……突如、王国に魔物の軍勢が襲ってきた。オレたち勇者一行が解散し、王国軍も縮小、ようやく落ち着いてきた頃にだ。オレは王の近衛騎士として勤めていた。王城に魔物を寄せ付けまいと戦っていたが、城下街はそうもいかなかった……」
バルムンクは拳を強く握った。
「縮小した王国軍じゃ抑えきれないほどの数だったのか?」
「ああ」
「メルルたちはどうした?」
「…………」
バルムンクは突如立ち止まる。
──嫌な予感がした。
「まず、襲撃の直前に、戦士ゴンザレスが死んだ。魔物の軍勢は、王城を襲う前に、『戦士の里』を襲ったんだ」
何言ってんだ? 俺の脳が、理解を拒む。
「冗談言うなよ。俺たちの中で一番頑丈だったのがゴンザレスだぜ? あいつには魔斧もあるし、そこらの魔物に負けるわけがないだろ」
ゴンザレスの笑った顔が思い浮かぶ。
あいつは村を護るために、魔斧ヘクトールの試練を受けた。受け入れられなかった、自身の弱い部分を乗り越えたんだ。
そして、あいつにはあの腕輪がある。
「だが、戦士の里を襲い、先導したのは、竜魔四天王なんだ」
「! 奴らが復活したのか!? だけど、ゴンザレスの遺体を確認したわけじゃないんだろ? だよな?」
あり得ない。絶対に。
つまらない冗談を言うな。
「何故オレがいま、王国を防衛せずに、こんな所を彷徨いているのかと思わないか? ゴンザレスの遺体は、現魔王領に持ち去られている。オレは、ゴンザレスを取り返しに行く道中なのだ」
立ち眩みのように、視界が揺れた。強い耳鳴りがする。
──本当に死んだのか? ゴンザレス?
走馬灯のように、彼との思い出が駆ける。
彼が開いた宴を、五人で楽しんだ光景だ。あれから一行の結束が強まった。
俺はその場で崩れ落ちる。
「なんで……なんでだ……」
「すまない……オレが里に到着した頃には、遅かった。四天王が彼を連れ去った直後だった」
バルムンクは、静かに俯いた。その言葉からは、悔恨を感じる。
「じゃあ、メルルたちはどうしてたんだよ? 襲撃から時間があったんだ、駆けつけてくれるはずだろ?」
彼女たちまで死んだなんてことはないはずだ。絶対に。そう信じさせてくれ。
「メルルは消息不明となっている。王国が襲撃された日、その日からだ。宰相は、メルルが魔物を先導したんじゃないかと──」
俺はバルムンクの胸ぐらを掴んで、睨み付けた。
彼女が魔物を引き連れるなんて、それこそあり得ないだろ。彼女の故郷がどうなったか分かってるよな?
俺は気がつく。バルムンクの顔はもう、あの頃のように綺麗ではなかった。髭は整っておらず、目の隈は濃い。金色の髪にも、艶がない。
「ごめん」
俺はすぐにバルムンクを放した。彼がそれを信じているなんて思った、俺が情けなかった。
「大丈夫だ。安心してくれ、俺はそう思っていない。ただ、彼女が何かをしようとしているのは間違いないだろう……昔から、秘密主義だったしな」
「ああ……そう、だな……。あと、彼女は……」
彼女の名前は──。
あの時、戦姫は頬を濡らしながら俺を見つめてこう言った。
『イサム……私の名前は──』
「戦姫は──ごめん、彼女の名前を最後まで聞けなかったんだ……」
バルムンクは立ち止まるのをやめ、歩き出す。俺はそれに付いていく。
「彼女は……リリス様という」
「リリス。リリスはどうした? 彼女も
「彼女は、お前が消えてからひと月が経った後に、二対の魔剣を宝物庫から持ち出して、元魔王領へと消えた。……理由は、不明だ」
「魔剣って、フラガラッハとエイリークか。……本当に、何も言ってなかったのか?」
「ああ、何も……だ。王権を放棄したとはいえ、彼女も元は王族。メルキセデク王によって探索隊が組まれていたが、現状の王国では人手が足りなくてな。今は、オレ一人が彼女の捜索をしている」
「バルムンク……」
俺は、言葉を飲み込む。
きっと、バルムンクは何かを隠している。
それは、その真偽が不明だから言わないだけなのか、それとも、俺を鑑みて言わないだけなのか。
「いまから魔王領に行くんだろ? なら、俺が行くよ。お前は休め」
「! オレも行く、お前を独りにはしない」
バルムンクは俺を引き止めようと、立ち塞がった。
「大丈夫だって。お前、しばらく休めてないだろ。その身体をカバーできる魔器は無い。そして、俺は神からギフトを貰っている。元気いっぱいだ。危なくなったら逃げられるよ。もしお前を抱えてたら、逃げられない……だろ? それに、お前は自分の責任を果たした。これ以上は、背負いすぎだ」
バルムンクの胸に付けられた、『結束の紐飾り』に拳を当てる。
彼は、自身の胸を見ながら言い淀み、小声で呟いた。
「……そう言われたら、任せるしかないだろ」
バルムンクは、地図に目印を付けて、俺に渡してくれた。
「魔王城までの転送門だ。かつて、オレたちが利用した転送門はすべて潰されていた、ここ以外はな。もしかしたら、オレたちを──お前だけを呼んでいるのかもしれない……気をつけろよ」
「ありがとう。バルムンク」
俺は地図を受け取って、バルムンクと別れた。地図を睨みながら転送門を目指す。
心の中に、一つの予感を残しながら。
□ □
転送門に乗り込み、魔王城門へと転送される。
顔を上げた。
魔竜が鳴き声を上げながら、赤紫の空を滑空している。
かつては、魔王城に近づく者に向かって襲いかかって来たが、その気配はない。
まるで、俺を迎え入れているようだ。
城門を開ける。一年前の竜魔王征伐戦では、城の内部に魔物がこれでもかと言うほど敷き詰められていた。
屍竜人、単眼族、ドラゴンスケルトン、角人、屍竜、スライム、蝙蝠人、人面花、稼働鎧、ゴースト……。
俺たちは、数を競うように各個撃破していった。
そんな魔王城はいま、静寂に包まれ、革靴の足音のみが響く。
時間も掛からずに、玉座のある扉前へと辿り着いた。
俺は大扉を蹴破り、聖剣を構える。
玉座には、■■■が座っていた。
頭には、美しい両角が。
尾骨から靭やかに生える尾が。
だが、それは本来の竜人ではない。
内側に、入念に鍛え上げられた筋肉を内包し、だが柔肌で覆った美しい身体。
情欲を掻き立てられるより先に、美術品を見た後のような感覚──心に刻まれる静謐な余韻、あるいは言葉を失うほどの鮮烈な残響──が湧き上がる。そんな身体だ。
組んだ脚の太腿には、竜鱗が張られている。鱗は微かな月光を反射し、煌めく。
暗闇の中、冷酷に光る紅き眼と鋭く伸びる牙が、主を戦と竜の化身だと証明する。
信じたくなかった。
──心の底では、君だろうと思っていた。
「お前が竜魔王なんだな──戦姫、リリス」
玉座から立ち上がった彼女の頬が、紅く染まる。
「ああっ! やっと! やっと……っ!」
その瞳をしっかりと据え、言葉を待った。
「……やっと、お会いできましたね。イサム様」
リリスが魔王に成った理由を、探さなければならない。いや、思い返すんだ。
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