還章① 勇者

 馬の蹄音と、木製の車輪が土砂にぶつかる音がする。


 オレの名前はバルムンク。メルキセデク王が統治する、ボレアス王国の騎士団長だ。

 姓はウェルバインドと言うが、滅多に名乗りはしない。

 上級貴族ではあるが、この家の人間であることに誇りを持ったことはない。あんな男の血筋など……。


 それはさておき、当然、武器を扱う腕には自信がある。このオレより強い奴など居ないというのに……何故、勇者に選ばれたのがオレではなく、ぽっと出の人間なのだ!


「なんだか、難しい顔をしていますね? バルムンク」


 星々煌めく夜を想起させる瞳を向けられ、雑念を振り払う。


「失礼しました、姫様。……ですが、ここは城の外です。私のことは本名ではなく、騎士団長とお呼びください。出発前にも、そう言ったでしょう?」


 オレは対面にいる姫様――騎士団の明星である戦姫ヴァルキリー……リリス様に頭を下げた。


「もう! 私は姫ではありません! そう呼ばないでください! お父様にも言ってるのに、あなたまで……。部下として扱っているみたいにしてください!」


 ぷりぷりと頬を膨らませ、腕を組む姫様。そっぽを向いてしまわれた。

 オレからすれば、幼少の頃に姫様が王族だと判明してからの習慣……今更変えることなど。


「それは……いえ、すぐに変えることはできないかと。申し訳ありません」

「まったく……もういいです!」


 オレは焦った。


「た、たいへん申し訳ありません……なんとお詫びすれば……」


 姫様は口元を隠し、フフッと声を漏らす。


「冗談ですよ!」


 そうだった。彼女はよくオレを揶揄うのだ。


「……そろそろでしょうか? アリアスタ村の預言者が仰られていた、この世界を救うとされる勇者の転移先は」

「大樹の森は、もうすぐのはずです」


 オレは御者に話しかけようと、客車の前面に移動する。


 ――王国では、神を信奉している。

 世界の危機がやってきた時、神は預言者を選定する。

 その預言者いわく、世界を脅かしている『魔王』を滅ぼす存在が、神より遣わされるという。


 勇者。


 異世界より現れ、神から王国に与えられた伝説の聖剣を使用できる唯一の存在。

 ……オレは、聖剣に選ばれなかった。幼少期からの貴族教育で、全てをこなせるオレがだ。父上に頼み込んで、聖剣に触れた日を思い出す。


 聖剣はオレを拒絶した。いまもこの掌にある火傷が、それを忘れさせまいと鎮座している。

 自分は勇者ではない。そう突きつけられた夜は荒れに荒れた。

 一種の心的外傷と言ってもいいだろう。今でも、心の底には靄のかかった場所がある。

 ――ああ、だがオレは騎士団長だ。


 護りたい人が居る。

 立場と責任もある。

 成し遂げなければならないことがある。


 不服ではあるが、そうしてオレは、その勇者とかいう奴を迎えに行く羽目になったのだ。

 しばらくして、馬車が停止した。もう少し歩いた先が勇者の転移先だ。

 オレは御者に金銭の入った小袋を渡し、ここに待機してもらうよう伝えた。


「此処から先は念の為、戦姫と呼ばせていただきます」

「これからもずっと、そう呼んでくださってもいいんですよ? 身分を隠すのであれば、口調も変えてください。ほら、部下と接する時みたいに。……そもそも、私はバルムンクの部下なのですけど?」


 腰に手を当てた姫様。

 口角をくっと上げて、してやったりという顔でオレを見ている。


「ぐっ……。承知した。行くぞ、戦姫」

「はい! 騎士団長殿!」


 風に吹かれ、葉が重なり合う音を聞きながら、オレたちは深い森へと踏み込んでいく。

 預言者が指定した大樹。

 そこに少年が座り込み、寄りかかっていた。


「彼が、勇者……」


 姫様は呆けている。勇者という存在が半信半疑だったのかもしれない。

 目蓋を閉じた少年に、彼女が声をかけた。


「こんにちは~……?」

「……戦姫、オレの後ろに」


 姫様と勇者の間に割り込み、オレは鞘から剣を抜き放つ。王国一の職人が製作した逸品。

 こいつが本物の勇者なのか、確認する。

 ここは魔王領に近い。魔王軍による罠の可能性もある。

 姫様はオレの背後に下がり、腰にぶら下げた細剣に手を添えた。


「は、はい」

「……」


 オレは少年に近づき、その見た目を観察する。

 ……年齢は、オレと同じくらいか? 十六、十七の歳といったところだ。

 見たことのない衣服だ。首を覆うように伸びた鋭い襟。紺の布地で肉体を隠し、そして金色のボタンが幾つも前面に付いている。

 貴族の礼服に近いと思ったが、どちらかというと、城の警備兵に似た衣服だ。

 眠っているのか、死んでいるのか……微動だにしない少年の頬を、鞘でつついてみる。


「――!」


 少年は飛び起きて、オレの顔を見た。その身体を大樹に押し付けている。

 表情は驚愕に満ちていて、直後、今にも泣きそうな顔をした。

 オレは、そんなに怖い顔をしていたのだろうか?

 そうかもしれない。何せ、『勇者』だ。オレが目指した、『勇者』の眼前に立っているからだ。


「……貴様は、勇者か?」


 そう問うと一瞬、間が空いて――その後、少年は高速で首を何回か縦に振った。

 オレの背中から姫様が顔を出す。喜色満面の笑みを浮かべて、瞳を輝かせた。


「言葉が分かるみたいですね? こんにちは!」

「戦姫……! まだ勇者と確定したわけでは……! む?」


 少年は、姫様を見て硬直した。

 不敬ではあるが、初見では仕方があるまい。異世界から来たというのが真実なら、尚更だ。

 彼女の頭には竜族の持つ角――それも双角が聳え立っていた。

 重ねて、腰と臀部の間には、竜の尾が伸びている。

 だが、お顔とお体は紛れもなく人間のもの。姫様は半竜人なのだ。

 そして、彼女自身は否定しているのだが、ボレアス王国王族の血を引いている。

 その事実は、王族以外だと、幼い頃から彼女と交流をしていたオレしか知らない。


 オレは騎士として、何者か分からない奴から彼女を護る必要がある。

 例えば眼の前に居る、怪しい少年とかな……!

 そう考えた直後、少年は予想外の行動に出た。


「こんにちは! 俺は神様に選ばれた、勇者です!!」


 少年はこの場で高らかに、人好きのする表情で、自分が勇者だと宣言しやがった。


「おい! こんなところでそんな大声を――」


 急いで少年の口を抑えたが、遅かった。

 狼型の魔獣が三体、森の奥から飛び出してくる。


「クソッ……!」


 狡猾な奴らめ。気配を抑え、機を伺っていたな……! 獣の割には高い知性――魔王軍か! いや、この勇者と名乗る少年が魔物を呼び寄せた可能性も……!


 目の前に居る魔物は四肢を固定し、口腔に炎を集める。

 大抵の魔物には、元素を溜めて放出する魔力器官が存在しない。だから奴らは、魔力の代わりに自らの生命力を削り、魔術を行使する。

 放たれた炎魔術を斬る。炎は、オレの左右に着弾した。

 魔術では倒せないと悟ったのか、正面から飛びかかった――それを一閃する。

 残りの二体は、オレを横目に旋回した。姫様と自称勇者を攻撃するためだ。


「姫様!!」


 振り返った頃には遅かった。

 赤の花が咲き、そしてそこには、骸となったばかりのモノが二つあった。



 ――魔物の死骸だ。

 姫様は驚愕の表情でへたり込む。

 死骸の前には、姫様の細剣を握った自称勇者が立っていた。


「無事か?」


 少年は屈託のない笑顔で、オレを見た。


□ □ □

 馬の蹄音と、木製の車輪が土砂にぶつかる音がする。

 揺れている客車の中、オレは肘置きに腕を立て、頬に手を当てながら姫様を見つめる。


「イサム様は【ニホン】? という国から来られたんですねぇ……どういった場所なのですか?」

「結構良い国でさ。平和で、飯も美味いっていう……」

「へぇ~……。それにしても、先程の剣技は素晴らしかったです。情けない話ですが……私が驚いて動けないうちに、私の鞘から剣を抜き取って二体の魔物を屠った……平和な国と仰られていましたが、独学なのでしょうか?」

「いやいや、立派な師匠がいたんだよ。俺じゃあ、到底及ばない人がさ」

「まあ……いつかお会いしてみたいです。ね、騎士団長殿?」


 膝の上に手を置いて、姿勢を正しながら勇者の雑談を一生懸命聞いていた姫様は、突然オレに話を振ってくる。

 びくりと身体が反応してしまった。

 イサムと名乗る少年は、オレに顔を向けた。


「ごめんな、騎士団長様。俺が大きい声を出したせいで」

「……随分と話し上手なようだな」


 少年に皮肉めいたことを言った。

 ……オレは、姫様と雑談をしたことがあまりない。したことがないと言うか、振ってくださる話題に、話題を返せないのだ。

 それは姫様どころか、同僚や部下に対してもだが。


「おお! そうだな、これも神様からのギフトってやつなんだろうな……」

「まあ、神からの寵愛を受けてらっしゃるのですね! お父さ……王様が聞いたら喜びますよ。あの方ったら、信心深いですから」

「へ~……。あ、信心深いと言えば、【ニホン】にはこんな言葉があってさ……」


 姫様がまたもや眼を輝かせる。オレの前では、そんな眼をしたことはないのに。


「ふん……」


 もやりと、心の底に何かが浮上する。

 オレは城にたどり着くまで、黙り込むことにした。

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