第46話 一つ屋根の下で③
俺は大きく息を吸い込む。磯の香りが体中に行き渡り自分が海の一部になったような気がする。ただ自分の指だけが彩芽を探っている。
指はひとつの意思を持った生き物のようになる。緩やかな山をなぞり、谷へと降りていく。自分にはない不思議な感触にさらされ体が震える。波のようにうねり、深い谷間へ降りていく。
彩芽が言葉を発したら、指は動きを止めてしまいそうだがその心配はない。瞳は閉じられている。こうして砂浜に体をつけていると、自分自身も大地の一部になったような気さえする。だから俺も大地の一部を指先で撫でているのと同じだ。
温かさがじんわりと腕にも伝わり、ふっと意識が遠のく。なぜだろう、目の前には実態のある彩芽の体があり、自分の分身のようにつながっているのに。それは自分という人間とは別の世界の生き物のようだ。柔らかな砂の感触にも似て、指先に心地よさを残す。全神経が指先に集中している。
随分と高尚な思索をしているようだが、いつまでも触れていたいような抗いがたい感覚にとらわれているだけだ。
俺はそっと手を離した。もっと触れていたいのに、なんだか自分が滑稽なことをしているようで照れ臭くなってしまったのだ。
「あ……」
彩芽の唇が動き小さく声が漏れた。その声はあまりに現実味を帯びていて、幻想から現実へ引き戻された。手に触れた感触も現実のものとなった。
彩芽は俺の手を取り自分のお腹のあたりにそっと置いた。今度は彩芽のお腹の柔らかな感触が伝わってきた。あまりの柔らかな感触に、すっぽりと包まれているような安堵感を覚えた。もっと触っていたい、という強烈な思いが自分の脳を突き抜け、思わず掌で包み込んだ。
「不思議な感じがする……」
そうなのだ。目の前に海が広がっていると、自分も大地と繋がっていて、体が海へ引き寄せられるような気がするのだ。
「体中が潮で満たされそう」
「えっ……」
予期せぬ言葉。
「横になろうかな」
「……じゃ、せめてタオルを敷こうか。あっ、なかった。ハンカチしか」
「頭の下だけでもいいわ、砂が付かなければ」
二人でハンカチを広げ頭の下に敷いた。
「気分は……最高」
「そうかな……ごつごつしてて寝心地悪いけど」
「そんなこと言わないでよ」
「……まあ、そうだね。ごめん」
背中が砂まみれになりそうで、気持ちが悪くないのかな。俺はまた、彩芽のお腹のあたりに手を置いた。誰もいないことが気を大きくする。
「砂と同じくらい温かい」
「……ふっ、よかった、生きてる証拠」
抵抗感はないようだ。彩芽の腹部をそっと指でなぞる。彩芽の腕も俺の方へ回された。俺の腹は彩芽のよりは筋肉質で張りがあるはずだ。ぐっと力を入れる。
「腹筋あるう」
「そりゃ筋トレで鍛えてるからね」
褒められて気持ちが高揚する。
彩芽の手は腹筋からその下へ移動している。うっ、そんなに下へ移動すると最も敏感な部分に到達してしまう!
「ここも……」
「鍛えてるから……うっ……ふっ」
はあ……。危ないところだった。もう少しというところで指の動きは止まった。
彩芽が突然こちらを向いた。俺も横向きになり彩芽の腰に手を回した。地面はごつごつして固く、彼女の体だけが柔らかい。二人が寝転がっているのは遠く離れた四人にも見えるかもしれないが、どんなことをしているかはわからないだろう。
グイっと体を引き寄せた。
彩芽の体温と息遣いが伝わる。髪の毛から首筋背中へと指を滑らせる。腰のあたりでぐっと腕の力を入れると体は完全に密着し、二人を隔てるものは何もなくなった。
地面に触れている側の彩芽の手は自然と俺の腹部の下の方に来る。大きく呼吸すると、彩芽の髪から甘い花の香りがしてくる。自分が蜂だったらこんな気分なんだろう何だろうなと想像した。
「いい香りがする」
「花の香り……」
俺だけの秘密の香りだ。どんな邪魔をされても、離れることはないだろう。波のうねりに合わせて、体までがうねりを始めているようだった。
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