第27話 彩芽とハイキング
家庭教師が来た日の夜、僕は彩芽にメールしてみた。
こちらがどれだけ心配しているのかも知らず、昔話で盛り上がっていたのかもしれないのだからな。
「家庭教師が帰ったら返事を下さい」
心配だから、一刻も早く声が聞きたいとは言えなかった。
その日の十時過ぎ、彩芽から電話が来た。風呂から上がったばかりで、急いで自室に入りばたんとドアを閉めた。数回の着信音の後、電話に出た。
「あ……忙しかった?」
「そうでもない」
「やっと家庭教師が帰ったの。昔の知り合いなんだけど、もう大変だったんだ」
「そっか、熱血指導でしごかれたんだろ。特に数学は」
「そういうわけじゃなくて……まあ」
「ひょっとして、そいつに心を動かされたとか! 口説かれたとか?」
「ない、ない、それは絶対にない!」
「本当?」
「ほ、本当よ、あんな人……態度ばっかり大きくって、口ばっかりだし……」
と彩芽は口ごもってしまった。
「そうなのか」
「親父に押し付けられた家庭教師になんて惑わされないから大丈夫。私には健士君だけしかいないんだから」
「まあ……そんなこと言われなくてもわかってるけどさ」
やっぱり一度会って、真偽のほどを確かめたい。都合はどうかな。
「今度の日曜は?」
「空いてるよ」
「どこかへ遊びに行こうか?」
「わっ、待ってました。行きたいな」
姉貴にもおばあちゃんにも邪魔されない場所がいい。
「たまには映画を見に行くとか、ショッピングとか、そうそう水族館なんかはどうかな?」
定番のデートスポットだ。
「動物園とか水族館とかもいいけど、屋外がいいかな」
「そうすると」
「ハイキングとかでもいいな、あんまり高い山に登るのは大変だけど」
そういう趣味もあったんだ。
「いいね、じゃハイキングにする。えっと、天気もよさそうだから」
スマホで天気予報をチェックすると、一日中晴れの見通し。絶好のハイキング日和のようだ。
「決めた。日曜日が楽しみ」
「待ってるよ! お休み、いい夢を見てね」
とスマホを切った。
日曜日の朝はからりと晴れあがり、絶好の外出日和だった。
駅で待ち合わせ登山口へ向かう。六月の日差しは思った以上に強く、暑くなりそうだ。日頃からスポーツで鍛えてはいるが、暫く歩き傾斜がきつくなってくると、ぐっと足腰に負担がかかってきた。
「ちょっとペース落とそう。後で膝が痛くなりそうだから」
「それがいいわね。ちょっと一休みしない~」
「おお、あの切り株で休むか」
葉が生い茂り、日陰はひんやりして気持ちがよかった。
「彩芽とハイキングするとは思わなかった」
「こういうところへ来るようなイメージじゃなかった?」
「まあ、そういうことかな」
座って水筒から冷水を飲むと、多少疲れが和らいだ。
「ここへは?」
「子供の頃家族と来たことがあるよ。久しぶりだなあ」
「色々久しぶりなことが多いね、最近」
「そうね、久しぶりにあった人もいたし」
「まったく……」
思い出させてしまった。今自分が一番気になっていることを。
「頂上でお弁当にしようね。作ってきたんだ」
「おお、やった!」
コンビニのおにぎりを買ってきたことは黙っていよう。彩芽も汗をぬぐいながら冷たい水を飲んでいる。登山用のキュロットだろうか、膝から伸びた足も輝いて見える。
付き合い初めのころは、彩芽と付き合っているということだけで興奮していたが、今は彼女の人柄やしぐさすべてが可愛らしく思える。それだけ、彼女のことがわかって来たのかと思うと誇らしい。誰も知らない一面だって、自分だけが知っているのだから。
「こっちはスポーツドリンク。普段の癖でね」
「ああ、いつものやつね」
不意に話しかけられて、どきりとする。
「健士君、どうかしたの?」
「なんで」
「ボーっとして、あさっての方を見てるみたい。私の後ろに亡霊がいるみたいに……」
「ああ、ごめん、ごめん。彩芽に見とれてたんだよっ」
「ええ~~っ、嘘ばっかり」
再び沈黙の時がくる。森の中は静かすぎる。時折、鳥の声が響く。
「本当に私と付き合ってよかったのかな?」
「どうしてそんなこと聞くんだよ、決まってるだろ。良かったに」
「私で……よかったのかな?」
「もう、そんなこと聞くなよ」
心配される気持ちはよくわかる。
変な親父に、無理やりやってくる家庭教師。嫌がらせをする友人。だが、そんな奴らには負けない。俺は強い男だ。
「なんか、今度は顔が怖くなった」
「あれ、ヤバイ」
「健士君の顔も七変化で面白い」
闘志が顔に出ていた。まあ、確かに不愉快なことも多いいけど、それ以上に楽しいことが多いんだから、プラスマイナス……大いにプラスだ。
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