第38話 新しい提案

人物

唐立 エマ 48:元ホテルマン、現在Peony & Wisteria Travel Agency代表取締役

朴(パク・ユジュン)  49:韓国の実業家

黒田 泰蔵(タイゾー先生) 73:故・世界的陶芸家

※エマとパクの会話言語は英語ですが、便宜上すべて日本語で書かれています。





朝の7時。

エマとパクがいるホテルの部屋は、窓から朝日が差し込み、とても清々しい雰囲気。窓の外にはビル群を縫って朝日が輝いている。

スーツのジャケットに袖を通したエマは、ベッドのわきに座って、バッグの中を整理している。一方パクは横でのんびりベッドの中で寝ており、静かに寝息をたてている。


音をたてないようにゆっくりと立ち上がると、背後から声がかかる。薄目を開けて、パクはエマを呼び止めた。



パク「エマ?」


エマ「あ、オッパ、おはようございます」


パク「おはよう。 どこへ行くの?」


エマ「あの・・・私のホテルに、荷物を取りに戻ろうかと思って」


パク「ここの部屋番号は、覚えましたか? ここへまた戻ってこられそうですか?」


エマ「あ・・・番号は覚えていません。 廊下に出たら写メをとっておこうかと」



パクは少し起き上がり、エマの手を握り、ゆっくりと引っ張った。



パク「写真を撮る必要ありません。 このあと一緒にゆきましょう。

今はもう少しゆっくりしませんか?」


エマ「・・・はい」




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銀座の、もともとエマが予約していたビジネスホテル。

エントランスにある椅子にパクが腰掛け、パンフレットを眺めている。彼の足元には小型のスーツケース。小さなフロントデスクには、スタッフが一人もいなかった。

奥に見えるエレベーターの扉が開き、白いブラウスにカラフルな花模様のスカート姿のエマが現れる。トランクを引いてフロントデスクの前までやってくると、パクはすぐに立ち上がって近づいてきた。エマはつい条件反射のように、即座にパクに頭を下げてしまう。



エマ「お待たせしました! 遅くなってごめんなさい」


パク「どうして謝るの? こんな素敵な服に着替えていたのに」



笑顔のパクにふわっと抱擁されて、腕の中で少し戸惑うエマ。



エマ「あの、この服は・・・新しくないんですよ」


パク「新しくない? 全く問題ありません。

今朝の雰囲気にぴったりで、素敵です」


エマ「ありがとう・・・あなたは褒め上手ですね」


パク「思ったままにそう言っただけですよ」



パクは器用に彼自身の小さなスーツケースをエマのトランク上に積み重ねた。すると偶然にも、二個の連結トランクのように具合よく上下に収まった。 



エマ「ちょうどぴったり積み重なりましたね!」


パク「すばらしい! これは運びやすい」



それを楽々と片手で持ち、もう片方の手を、手ぶらになったエマに差し出す。



エマ「あの・・・荷物、いいんですか?」


パク「どうして?」



エマは少し困ったような笑顔をしてみせる。



エマ「あまり、そういうのに、慣れてなくて」


パク「あなたは・・・」



そっとエマの背に片手が添えられる。



パク「このくらい、させてくださいね」




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松村と買い物をした時の回想。 

ドラッグストア、レジ脇の台上にかごをおき、買ったものを袋に詰めるエマ。二つの袋はすぐに大きく膨らんでいっぱいになる。松村を探すと、彼はもう出口に向かって歩いていた。




エマ「ねえ、重たいから、荷物手伝ってよ!」



松村「・・・」




仕方なく自分のバッグの他に重いビニール袋を両手に下げて、外に出るエマ。

松村はもうエマの車のそばにたっている。




エマ「どうして荷物、手伝ってくれないの?」



松村「俺はそういうもの持つのが、大嫌いなんだよ」



後部座席に荷物を積みながら、エマは財布を彼に返す。

松村は財布を開けて、いちいち札の枚数をチェックしている。



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回想から戻り、エマはこめかみあたりに片手を当てている。

パクは、具合を気にしているようにエマの顔を覗き込む。



パク「大丈夫? あなたは、重たいものを持つ必要はありません。

私がいればこのように持てますし、私でも重たいと感じるものは、配送してもらえばいいだけの話です。

無理はしないこと、いいですね?」



小さく笑顔をつくりながら、軽く頭を下げるエマ。



パク「この荷物は、配送してもらいますか?」


エマ「あ・・・いいえ、持って帰ります。

戻ってからすぐに使いたいものがあるので」



そういいながらエマは差し出されたパクの手を取り、二人は手を繋いで外にでた。



パク「朝食は、なにを食べたいですか?」


エマ「うーん、サンドイッチが食べたいです」


パク「では、それを食べに行きましょう」


エマ「あなたの希望は?」


パク「あなたが食べたいものなら何でも」



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街角のカフェ。 通りに面した窓際にテーブルがあり、そこで朝食をとるエマとパク。

エマがサンドイッチをほおばる姿を、パクは頬杖をついて眺めている。

ペースは明らかにエマの方が早く、最後の一切れに手を伸ばすときに、パクが自分の皿をエマの方に寄せる。

びっくりして手を振り、どうぞどうぞと勧めるエマ。

そこでパクはやっと、微笑みながら目を細めて、サンドイッチを口に運ぶ。

それをみてエマもにっこりして、アイスカフェラテのストローをくわえる。




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ローカル・伊東線の列車の座席に並んで座る二人。

そこはボックス席で、窓際にいるエマは、隣にいるパクと手を繋ぎながら、流れ去る窓の風景を眺めている。



エマ「本当によかったのですか? ここまで来ていただいて」


パク「はい、もちろんです。 あなたのオフィスをみてみたいし。

ついでに、チョイたちをびっくりさせようとも思っていますよ」


エマ「あはは、それは素晴らしいサプライズですね!」



ちょうど二人の窓の向こうに、青空と大海原の景色が大きく開かれた。



エマ「わあ、今日は海が特に輝いています! きれいですね」


パク「この太平洋が、私はとても好きなのです」


エマ「私も好きです。

どうしてあなたは、太平洋を好きになったのですか?」



車窓の大海原を眺めながら、少し考えるパク。



パク「海は人の心を開放する力があるからです。

この太平洋を見ながら、私はタイゾー先生と色んな話をしました」


エマ「どんな話をしたのですか?」


パク「仕事について、プライベートについて、なんでもです。

色んなことを、聞いてもらって、教えてもらいました」


エマ「タイゾー先生は、あなたにとって、メンターのような存在だったのですね」


パク「はい、まさしく。 彼は私のメンターでした」



突然パクがエマの目を正面から見つめる。



パク「・・・ねえ、エマ?」


エマ「はい、オッパ?」


パク「私たちは、結婚しましょう」


エマ「え?!・・・」


パク「嫌ですか?」



無言で首をぶるぶると振るエマ。パクはにっこりと笑っている。



エマ「全然・・・嬉しいんですが、あまりに急すぎて。

本当ですか? 私、騙されていませんか?」


パク「はい、本当です。 私、あなたを騙したこと、ありましたか?」


エマ「いいえ、いいえ・・・失礼しました」


パク「どうか謝らないで。

それで私は、あなたの指のサイズが分からないので、

エンゲージリングは、今度二人で選びに行きましょう?」


エマ「は・・・はい」


パク「新婚旅行は、どこへ行きたいですか?」


エマ「・・・」



パクから目を逸らして、黙り込むエマ。



パク「お金の心配はしなくていいです」


エマ「いや、それは私が気にしてしまうんですよ。

お金持ちの生活には慣れていないので。

あなたの好きな場所でいいです」


パク「では、今あなたの手に、世界周遊のフリーチケットがあるとします。

だれでもフリーで、好きな場所へ自由に行くことができるチケットです」


エマ「好きな場所、一か所でしょう?」


パク「いいえ、何度でも、どこへでも行けます。

その場合、どこへ行きたいですか?」



エマはパクの顔をみたあと、また考え込む。



エマ「だれでも好きなように自由にゆけるなら。

アイスランドと、ベルリンと、セドナ、かな」


パク「アイスランド?」



エマは恥ずかしそうにうなずいて、スマホのSNSを開く。

そこには水色の濁った露天温泉に、水着姿で浮いている男女の画像が映る。



エマ「こんな屋外の地熱スパがあるらしいんです。 私、本当にここが好きです。

ブルーラグーンというらしいです。 ここへ行ってみたくて」


パク「素敵ですね! ぜひ一緒に行きましょう!!!

夜はオーロラが見られるかもしれませんよね」


エマ「オーロラ! ああ! みてみたい!」


パク「では、アイスランドは候補地として決定ですね。 あと、ベルリン?」


エマ「あ・・・ベルリンは、昔仕事で行った場所です。

ペルガモン美術館という所で、ギリシャのパルテノン神殿のパノラマ展覧会を見ました。 展示室の中央にやぐらが建てられて、それに上って、360度のパノラマで神殿が映像化されるんです。

今、どうやらそれが常設化して、パルテノンパノラマという美術館ができたようなんです」


パク「パルテノン・・・ギリシャで本物をみたくはないの?」


エマ「本当はギリシャこそ、行くべきでしょうね。

でも、そのベルリンに作られた常設の施設が気になっていて」


パク「なるほど。 そのペルガモン美術館が、あなたのお気に入りなのですね?」


エマ「はい・・・でも本当は、少し嫌な思い出もあって。

行くべきではないのかもしれません」



しばしの沈黙。パクはエマの肩に腕をかけて答えた。



パク「ベルリンという場所は、あなたにとって、嫌な思い出があり、行きたい場所でもあるのですね?」


エマ「はい・・・もし自由に行き来できるチケットがあるなら、もう一度そこを訪れて、新たな良い思い出を作り直したいです」


パク「分かりました。 では、あなたにとって嫌な思い出が残る場所を、すべて一緒に訪れて、二人で過ごした良い思い出に変えましょう」


エマ「え・・・そんなことが」


パク「できますよ。 ペルガモン美術館のほかに、どこにそんな思い出が残っていますか?」


エマ「ええと・・・パリスバー、というレストランがあります」


パク「パリスバー。 パリのビストロの雰囲気が体験できるところ?」


エマ「そうです!」


パク「ベルリンは、おもしろいですね! 本場に行かずして、ギリシャもフランスも体験できるなんて!」


エマ「そうなんです・・・ベルリンは楽しい場所なんですよ」


パク「私も体験したくなりました。 まずはベルリンですね。

では、本場のギリシャとフランスは、いつか二人でゆきましょう。

それから、セドナ? そこはアメリカですか?」


エマ「はい、そうです。 アメリカです。 ネイティブアメリカンの聖地と呼ばれる場所で、そこへ行くと神秘体験ができるらしいです。

あ・・・それは多分、私一人で訪れる方がいいかもしれない」


パク「なるほど。 ではセドナは、あなたが個人的に何かを達成できた記念日にゆく候補地として残しましょう」


エマ「はい・・・それがいいと思います」



パクはうんうんと、満足そうにうなずいた。



パク「どうやら新婚旅行は、ごくヨーロッパ寄りになりそうですね。

では、そこへゆくための、資金の話ですよ」


エマ「あ・・・そうですよね。 自分勝手に色々と話してごめんなさい」



ぎゅっと、パクはエマの肩を抱きしめた。



パク「だから、あなたは私に謝ってはいけません。

あなたは、とてもまじめで、謙虚で、頑張り屋な性格ですね。

人から物をたくさん与えられるだけでは、居心地が悪くなってしまう。

そうでしょう?」


エマ「はい・・・その通りです。 よくお分かりで」



パクは再びうんうんとうなずきながら、優しいまなざしをエマの顔に注いでいる。



パク「だから私は、ちょっと考えたんです」



パクはポケットからスマホを取り出して、操作をし始めた。



パク「エマ、これを見て・・・」



パクが顔を近く寄せて、エマに画面を覗かせる。

画面には、チャートらしきものが映っている。

スマホの画面を切り替えると、なにやらボタンがいくつか映っている。



パク「ああ、これにしようか・・・エマ、ここを押して?」


エマ「え?」


パク「ここ。 ここを押してみて」



パクに促されるまま、エマがパクのスマホに映ったボタンを押すと、韓国語の文字と、₩9,416,200が映る。

興奮したように、再びぎゅっとエマの肩を抱いて頬と頬をつけるパク。



パク「おめでとう!」


エマ「なに?」


パク「いま、₩9,416,200、利確されましたよ」


エマ「り、利確?! え・・・あ、これってもしかして、株ですか?」


パク「その通り! あのね、エマ。 私はこの口座をあなたに預けますから」


エマ「え?! こ、口座?!」


パク「はい、口座です。 あなたはここで同じように、あなたの好きな銘柄の株を買ったり売ったりして、利益をだしてください。

その利益が、私たちの新婚旅行の費用になるんです。 どうですか?」


エマ「け、結婚式の方がいいのでは?」


パク「結婚式は、私がすべて負担します。

私の都合で、呼ばなくてはならない方が大勢いますからね。

あなたは、新婚旅行のことだけを考えてもらえますか?」


エマ「はい!」



エマは先程告げられた₩9,416,200をスマホで日本円に換算している。

スマホ上の円ウォン為替換算画面に、およそ100万円とでる。

その数字にエマは目を見開いて驚く。



エマ「あ、オッパ!・・これって、ものすごく責任重大じゃありませんか?」


パク「いいえ、そんなに重く考えることはありません。 失敗しても良いですよ」


エマ「いやいやいやいやいやいや・・・ちょっと待ってください。

ええと、その・・・私、株式投資は素人なんです」


パク「ケンチャナヨ(大丈夫)」


エマ「いいえ! 全然、ケンチャナヨ(大丈夫)じゃないと思います!」


パク「ケンチャナヨ(大丈夫)です。 私が教えますから」


エマ「う・・・あ、オッパ! 伊豆高原駅につきましたよ!

はやく降りないと!!」



列車が停車し、急いでエマとパクは立ち上がり、列車の外にでた。

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