第36話 アデラインショック
人物
唐立 エマ 48:元ホテルマン、現在Peony & Wisteria Travel Agency代表取締役
朴(パク・ユジュン/ユージーン) 49/23:韓国の実業家
Georg von Rheingold(伯爵/ゲオ) 54/25:リチャードの父
Adaline Wei(アデライン・ウェイ) 24:歌手、当時有名な歌姫
パクの父
パクの母
※エマとGeorgとの会話言語はドイツ語、ならびにパクとアデラインとの会話言語は英語ですが、便宜上すべて日本語で書かれています。
銀座のカフェにて。
神妙な面持ちで、向かい合って座る、エマとRheingold伯。
エマ「アデラインショックですか? その言葉からは、まるでオイルショックやリーマンショックのような、とにかくショッキングな出来事が想起されますね」
伯爵「左様・・・それら、社会的なショックとまでは行かぬものの、我ら二人にとっては大層ショッキングな出来事でしたから、我らの間だけでそう揶揄したのです。
アデラインというのはその当時有名だった歌姫でした。 名を、アデライン・ウェイという」
エマはスマホを開いてその名前を検索する。
画面に、華やかな笑顔の、赤いドレス姿のアジア人女性が映る。
さらに検索を掛けるエマ。
エマ「この方、『君の憂鬱~Ton mélancolie~』の映画主題歌を歌った方だったんですね! 私、あいにくこの映画を見てないんですが、名前だけは知っています。 豪華キャストばかりで構成された映画だというふれこみで」
伯爵「そうでしたね。 私もその映画は見ていませんし、今もみたいとは思いません。 主題歌を聴きたくありませんから」
エマ「この人・・・この映画の主題歌を歌ったあと、引退した? それ以降のヒット曲はありませんね」
伯爵「ええ」
エマ「クロスオーバー歌手ですね? ソプラノ歌手としての歌唱はそのままに、ポップソングを歌うという・・・このジャンル、昔から人気があったように思います。
イル・ディーヴォやサラ・ブライトマンは私もよく聴いていました。 彼らは長くヒットソングを出していましたし。 でもどうして、このアデライン・ウェイは、この映画曲以降ヒットがなく、音楽界から消えてしまったのでしょうか」
伯爵「その世界で生き続けるには、あまりにも情熱的すぎたのです。
非常に感情的で、周りを焼き尽くさんばかりの、激しい情熱を持っていました」
カフェラテのカップを、あたかも苦いコーヒーを飲んでいるかのような表情で口元へ運ぶRheingold伯。
伯爵「アデラインはユージーンと出会い、彼のことをよく知らないうちから、勝手に彼に恋をした。 そして彼を得ようと懸命になった。 しかし失敗したんです。
彼を得られないことが分かると、彼女は自身のキャリアを省みず、彼を社会的にzerstören/ruin(破滅)させようとした。
実際彼女はその思惑通り、恋をした相手に、一時的ですが大きな痛手を負わせることに成功しました。 そして彼女本人も、その罪深い陰険な行いによって社会的に失脚したのです。 まあそのあと、一般人の妻として生きているような噂話をききましたが」
エマ「・・・」
伯爵「若かりし頃のユージーンは・・・例えるなら、大地に憧れる研究室の培養苗。 まるで純粋培養のような若者でした。
成人した暁には複数の支社を傘下におく、大企業の社長として君臨するために、彼は物心がつく前から両親によって英才教育を受け、両親の意志という鎖によってがんじがらめに縛られた若者だったわけです」
エマ「AIビジネスの、リーディングカンパニーでしたね」
伯爵「左様・・・優れたラボとエンジニアを有する、彼の会社が開発したAI技術から派生して、その他多くの企業がAI技術を、この20年ほどで飛躍させたと言われています。 でもその騒動が起きる前、彼のお父上の代には、その技術についてまだ独占的な面が強かったのです」
エマ「・・・」
伯爵「彼は・・・将来への期待により、幼少期から強い監視下におかれる生活を余儀なくされていたのですが、唯一自由にできたことがあった。 それは、自社のAI技術で遊ぶことだった。
彼はその技術に触れ、さまざまに愉しむ中で、ふとしたきっかけで自身の嗜好を発見してしまったのです」
エマ「彼自身の嗜好?」
伯爵「左様・・・抑圧された欲求が、フェティシズムとして発露したのですな。
それは音声に関するもので、秘匿されていればなんら問題は起きなかったのです。
私の目からみても、そんな実害を成すような嗜好ではない。
ところがアデライン・ウェイは、自身を否定されたことへの腹いせに、ユージーン個人のフェティシズムを、彼が会社を正式に踏襲するのと “ほぼ同時期に” マスコミに流布したのです」
顔から血の気がひくエマ。手に持つナフキンを強く握りしめる。
エマ「・・・くだらない! でもそんなことを就任直後に知らされて、会社の傘下にいる人たちは、どんな気持ちがしたのでしょうか」
伯爵「個人にまつわることなど、本来は瑣末なことではありましょう。 しかし就任直後、まだなんの実績も持たぬ若者が彼らの上に立つ、あまつさえ彼らにとっては喜ばしからぬことであるのに、変な嗜好まで持っているとクローズアップされ ”人間性が疑わしい人物である” とか吹聴されれば、尚更、歓迎しづらいものであったでしょう」
エマ「ええ、分かります。 どちらの気持ちも」
伯爵「まさに風評被害ですな。 タイミングもあいまって、そのトップにまつわるゴシップにより、企業全体の、株の評価額が落ち込んだのです」
エマ「そういう状態を、日本では “針のむしろに立たされる” あるいは中国の故事に倣って “四面楚歌” とか言われるんですよ。
それで、パク様はどうされたのですか?」
伯爵「一旦就任しました。 しかし、それにあたり彼は自らを崖っぷちへ追いやったのです」
エマ「・・・どういうことでしょう?」
伯爵「 “一年以内に、グループ全体の収益を倍にする。
それが叶わなければ、一年後に即刻退任する。”
株主総会で、自らそう宣言したのです」
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およそ25年前のソウル。 ある高層ビルの上階にある静かな執務室で、パクは無表情でラップトップPCに目を通している。
扉がコンコンとノックされ、ギィっという重い音が。 扉が秘書によって開けられ、若いRheingold伯が入ってくる。 巻き毛の金髪が額の上で弾み、相変わらず仕立ての良さそうなスーツ姿・・・秘書は彼の背を見て外から扉を閉める。
伯爵「ハロー、ユージーン! お前の声明を聞いたぞ。 大丈夫なのか?」
パク「幸いにして、まだ生きているよ」
伯爵「生きてるって、お前・・・ストレスで死にかけてるんじゃないかと思って、気になって駆けつけてきたんだぞ?」
パク「拍子抜けさせてしまったか? だとしたら謝るよ」
伯爵「謝ることじゃない! ただ、あんな毒女のまいたゴシップなんて、気にする必要ないのではないか?」
パク「この状態を気にしないなど、それは不可能だ。 事が大きくなり過ぎているし、本社幹部や支社長達の不安や困惑も理解できる。 だからそれを踏まえて対処するつもりだ。 これ以上、俺の周囲に敵を作るつもりはない」
伯爵「どう対処するんだ?」
パク「プランがある。 それを実行するだけ。 勝算があるからここにこうしているんだ」
伯爵はうんうん、とうなずく。
伯爵「強気だな、ユージーン」
パク「気を、強くもたねばやっていられないよ。
この会社の収益を上昇させるための構想は、着任する何年も前から練り上げてきた。
周囲が簡単に掌を返しかねない今、実行するにはうってつけの環境といえる。
それはある意味、企業という体に施す、外科手術みたいなものだから」
伯爵「既存のなにかをひっくり返すつもりだな。
俺にできることはないか? お前を手伝うために、はるばる故郷から飛んできたんだ」
パク「ありがとう、ゲオ・・・もしよければ、裁判関係の雑多なことを任せてもいいか?
俺と弁護士とのパイプ役をやってくれるだけでいい。
俺はできるだけ、ビジネスのみに集中したい」
伯爵「いいとも。 毒女への名誉棄損の裁判だな? いくらでもサポートするよ」
パク「本当にありがとう、ゲオ」
伯爵「いいんだよ、ユージーン」
パク「もう・・・こりごりだ」
伯爵「え?」
パク「縁談も、女性も、もうこりごりだ。 俺自身が望んだことではなかった。
親の名誉のために、どうしてこんな苦しい思いをして、よく知らぬ他人を受け入れる努力をせねばならなかったのか。
俺はこれまで、自分の人生をずっと親に捧げ続けてきた。 その結果がこれだ」
伯爵「そんな親もまた、世間体の奴隷ってな。 これ以上馬鹿々々しいことはない」
パク「もう、気心の知れた人間しか、身近に居てほしくない。
もしお前が女性だったなら、俺はお前と結婚するよ。
そういうものだろ、結婚なんて」
伯爵「お〜ほほほ〜、光栄ですわ~。
持参金代わりにお馬三頭と、爵位を差し上げますわよ〜!」
ゲラゲラと笑うRheingold伯に、つられてパクも小さく笑みが溢れる。
パク「ふぅ・・・久しぶりに笑った」
伯爵「笑うのは健康にいいんだぞ、ユージーン。 そういえば、お前の母上は今・・・」
パク「倒れて、入院している。 意識が戻っていない」
伯爵「心配だろう?」
パクは暗い表情で目をPCに移して黙り込む。
パク「全部、俺のせいでこうなったのだけど。
ああでも言わないと、女たちは俺を、地面に跪かせて引きずることをやめなかった」
伯爵「ああ」
両手で顔を隠してうなだれるパク。
目は隠れていても、歯を食いしばっているのがRheingold伯の目には見えた。
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回想のまた回想。
ある夕、街のフレンチレストランでの食事風景・・・テーブルをはさんで、パクの目の前に、清楚なクリーム色の総レースのドレスを着たアデライン・ウェイが腰掛けている。
ゴージャスに長い濃茶色の髪を結いあげて、はた目にも美女、といえるいでたち。
いかにも香港出身らしい、中国人とイギリス人のハーフであるくっきりとした顔立ちに施されたメイクはいささか濃く、彼女の気の強さが表面に現れているかのようだ。
パクは上機嫌でも不機嫌でもなくほぼ無表情で、皿のテリーヌにナイフを入れている。
一方、アデラインは終始笑顔で、パクの顔を見ながら料理を口に運ぶ。
アデライン「私たち、宮合・・・四柱推命で、世に珍しいほど相性がいいと聞いています」
パク「そうですか」
アデライン「そういうのに興味は?」
パク「残念ながら、ありません」
アデライン「あら、そうなの・・・」
パク「・・・」
何事もないようなすました顔で、グラスの白ワインを飲むアデライン。
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高級住宅街のとある大きな邸宅の前に、銀のBMWが停車する。
車内には、パクとアデラインが乗っている。
アデライン「つぎは、いつ会えるかしら?」
パク「Miss Wei、申し訳ありませんが、あなたと会うのはこれで終わりにしたい」
アデライン「どうして? 私たち、今日が初めてのデートよ?」
パク「だからこそ、です。 望まないご縁をこれ以上続けるのは、お互いに時間の無駄です」
アデライン「私は、あなたとまた会いたいのよ?
私、今日のために、アルバムのレコーディングもキャンセルしたの。 あなたのために!」
パク「それは・・・すべきではなかった。 あなたはご自分のキャリアを大切に」
するとアデラインは、パクのジャケットの襟元をつかんできた。 驚いて振り向くパク。
べったりとすがるようなアデラインの声に、思わず不快気に眉根をよせるパク。
アデライン「なぜ? なぜよ? 私のことが気に入らないの?」
パク「あなたに落ち度はありません。 ただ、私があなたとそうなる気がないだけです」
アデラインは突然強引に、パクにキスを迫った。 彼はそれを避けようとしたが、襟元をつかまれて身動きが取れず、不覚にも唇が重なってしまった。
キスを終えて気が済んだのか、彼女はその手を襟元から離した。
ジャケットの前を整え、さも息苦しそうに咳き込むパク。
アデライン「私、あなたのことが好きなの。 次もまた、あなたに会うわ」
吐き捨てるようにそう言い、大きく助手席のドアをあけ、アデラインは出て行った。
パクは即座に、取り出したハンカチで唇をぬぐい、忌々しそうにバックミラーに映る彼女の後姿をみやった。
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数日後のある午後、パクは彼の執務室で数人の幹部と打ち合わせをしていた。
すると突然、ノックもなく扉が開き、ピンクのドレスのアデラインが入ってきた。
驚く一同に、アデラインは笑いかけた。
アデライン「ごきげんよう、パク・ユジュン」
パク「あなたは、なにをしに来たのですか?」
決して歓迎していない顔で彼女をみるパク。
幹部たちはアデラインとパクの姿を交互に見て、打ち合わせのソファから立ち上がる。
幹部1「あの・・・専務、この方はいったい?」
アデライン「私? 彼のフィアンセよ」
パク「違う! あなたとはなんの関係もない!」
アデライン「あら、だって・・・あなたのお母さまからも、是非にと望まれて、私はあなたのフィアンセになっているのよ」
パク「荒唐無稽なことを言わないでください! 今は大切な会議をしているんです。
あなたがもしフィアンセを名乗るなら、わたしの邪魔はしないでいただきたい!」
不敵な笑みで彼らを一瞥するアデライン。
アデライン「そう? 分ったわ。 私はあなたのフィアンセなのだから、邪魔をしないでいてあげる。 お仕事がんばってね」
颯爽とその場を立ち去るアデライン。 頭をかかえるパクと困惑した表情の幹部たちがその場に取り残された。
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その夕。 大きな門を持つ邸宅、その門の脇に停まる銀のBMW。
中ではパクが自身の父母と向き合っていた。
彼の父は、背は高いがその身長はパクよりほんの少し低い。一方彼の母は、日頃の贅沢によるものか、とても大柄で肥え太った体を持つ女性だった。
パクは彼の母を見据えて話をする。
パク「あの女は、仕事の邪魔をしに、オフィスにまでおしかけてきたんですよ。
いったいどういうつもりなんでしょうか」
パクの母「どうして、そんなことを言うの、ユジュン?
あなたは、この母が決めた女の子を、否定するの?」
パク「もう早くから、俺は彼女に付き合いを断っているのです!」
パクの母「それは、アデラインから聞いたわ。 可哀そうに・・・あの子、電話越しにシクシク泣いていたのよ。
初めてのデートで女の子を泣かせるなんて、あなたは悪い男の子よ!
ユジュン、あの子を拒否するなんてね・・・それは、あなたを産んだこの母を拒否することと同じなのよ?」
目に怒りの色をたたえるパク。 その声にも怒気が移ろっている。
パク「では俺には、この縁談の拒否権は一切ないのですか?
あの女の傍若無人さには、我慢ができません!」
父は立ち上がり、パクの両腕に手を触れて、説き伏せるように話をする。
パクの父「落ち着きなさい、ユジュン。
アデラインをお前の嫁にと選んだのは、私たちだ。
彼女の行いは、それは突飛だったかもしれん。
でもそれは、お前に受け入れてもらえないから、不安で胸が一杯になっているだけなんだと、気づかないのか?
お前が受け入れてあげれば、彼女は心から安心して、そんな行動もとらなくなるんだよ」
パク「そうでしょうね。 ですが俺の許しもなく、勝手に俺のフィアンセだと周囲に名乗ってまわるだなんて、あまりにも俺を、馬鹿にし過ぎてはいませんか?」
パクの父「彼女のキャリアをよく見たまえ。
ジュリアード音楽院を優秀な成績で卒業した、本当に才能あふれる女性だよ。
それに、新しい映画音楽のテーマソングにも抜擢されて、なんて素晴らしいことだろう。 お前にぴったりの女性じゃないか!」
パク「キャリアと人格は比例しないということの、好例かもしれませんよ。
俺はどうしても、彼女のことが好きになれないんです」
父はじっとパクの顔を見る。 見えない心の奥を探るような目つき。
パクの父「・・・もしや他に誰か、心に決めている女性でもいるのか?」
パクは一瞬固まったが、すぐに大きくかぶりを振った。
父は息子の腕を強く揺さぶりながら、もう一度説き伏せにかかる。
パクの父「だったら! 時間をかけなさい、ユジュン。
若い頃の私と母さんだって、じっくりと時間をかけて、お互いの良さを認め合ってから結婚を決めたんだ。
こういう人生の大切なイベントごとは、早急に決断してはいけないんだよ」
肩を強く揺さぶられ続けるパク。 次第に目がうつろになってゆくのだった。
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そしてある日の夕方。 オフィスビル内のスタッフがほとんど家路につく時間帯、エレベーターに乗り込むアデラインの姿が監視カメラに写されている。
赤いドレスのアデラインが執務室の扉を開くと、執務デスクの上に足を組んで座るパクがいた。彼女を待ち構えていた様子。
アデライン「来たわ。 ユジュン・・・私に会いたかった?」
パク「その逆です、アデライン。
このくだらない茶番劇を終わらせるために、あなたをここへ呼んだんです」
ひょい、とデスクから降りるパク。
アデラインは彼に近づき彼のスーツに触れようとするが、その手をはじかれ不機嫌な顔をする。
アデライン「なあに、終わらせるって」
パクはアデラインからすこし距離をとり、腕を組む。
パク「・・・まずはじめにききたいのですが。
あなたは私の携帯にあてて、連日、20コールも着信を残している。
昼夜問わず。 これはどういう意味ですか?」
アデライン「あなたと話をしたいからに決まってるじゃない。
逆に聞くけど、どうして通話にでてくれないの?」
パク「あなたと話をしたくないからです」
アデライン「は! 冷たいことばかり言うのね。 私はあなたが好きなのよ?」
パク「はっきり言って、迷惑です」
アデラインも腕を組んでパクと対峙する。
アデライン「あなた、そんなこと言って、いいのかしら?
私はあなたのご両親に認められているのよ。
私を無下にするってことは、それはあなたのご両親の意志を無下にすることと同じではないの?」
パク「そうでしょうね。 そして二つ目の質問ですが。
あなたは私のいないところで、あなた自身を私のフィアンセであると吹聴して回っている。私はそれを認めていないにも関わらず。 これはどういう意味ですか?」
アデライン「私はあなたのご両親によって、ゆくゆくはあなたの妻になるように望まれているからよ。 それをフィアンセと呼ぶのではなくて?」
はあ、とため息をつくパク。
パク「違うでしょう。 本来は、正式な婚約者をフィアンセと呼ぶんです。
私はあなたに婚約指輪を贈ったことは一度もない」
アデライン「いずれ、くださるでしょ? 指輪」
パク「初めてのデートの時から、繰り返し言っているではありませんか。
あなたとそうなるつもりはないって」
アデライン「・・・」
パク「どうして、分かってくれないのですか?
私の両親の許しを盾に、あなたは私にご自分の意志をおしつけているだけなんです」
アデライン「・・・本当に、私と結ばれるつもりはないの?」
パク「あなたと共に生きる道は、ありません」
アデラインは次第に、勝気な目つきから悲しい表情へと変ってゆく。
その変化を感じ取り、パクもようやく腕組みを解く。
アデライン「うそ・・・」
パク「あなたを言葉で傷つけてしまったことは、申し訳ありません。
でも、こうでも言わないと、あなたは私の言葉を聞いてはくれなかったでしょう」
アデライン「私の、あなたへの気持ちは一体」
パク「そもそも、です。 私たちはお互いほとんど話をしたことはありません。
それなのにどうしてあなたは、思いつめたかのように私に執着できたのですか?
私の、何が好きなのですか?」
アデライン「一目ぼれ、よ・・・あなたの全てが、私の好みだったの」
アデラインは、振り絞るような声で尋ねた。
アデライン「あなたは、どうして私のことを、初めから嫌ったの?」
パク「・・・」
無言の時間が流れる。 業を煮やしてパクの姿をにらむアデライン。
アデライン「ねえ! 答えなさいよ! この私を、理由もなくはねのけたってわけ?」
パク「・・・あなたの、声が不快なんです」
アデライン「は?」
脱力した表情のアデライン。 対するパクはばつが悪そうに腕を組んでいる。
アデライン「声・・・ですって? この私に向かって、声がダメって・・・
私は、ジュリアード音楽院を首席で卒業した声楽家よ!
この私の声が好きでないって、あなたの耳は確かかしら?」
パク「・・・あなたの歌は素晴らしいのかもしれません。
でもあなただって、24時間、歌声で生活しているわけではないでしょう?
私は、あなたの話し声が、本当に耳障りで苦手です」
それをきき、先程とは打って変わって大笑いするアデライン。
アデライン「あっははは! あなたって、声フェチだったの?
本当にばっかみたい! それってあなた、変態じゃない?」
弱みを握られ、じっと彼女の顔をにらむパク。
アデライン「ほんとに笑えるわ! あなた、それをご両親にどう言い訳するの?
私ももういいわ! あなたが変態なのが分かって、こっちも気持ちが冷めちゃった!」
パク「私の周辺を散々かき回しておいて、今度は私を侮辱するんですか」
アデライン「ふん! なによ・・・変態のくせに、この私のプライドを傷つけて、平気でいられると思っているわけ?」
パク「人の顔に泥を塗ったのは、あなたの方が先じゃないか!
あなたは、私の両親の思惑を利用して、私を引きずりまわそうとした!」
アデライン「それはあなたのご両親が、毒親だったからじゃないの!
私はなにも悪いことをしていないわ!」
パク「いいえ! 私の国の文化がどんなであるか、あなたは熟知している。
私が、その文化ゆえに親のすすめに容易に逆らえないことを分かっていたから、
それを逆手に利用して、私を無理やり自分のものにしようとしたんだ!
これが悪でなくてなんだと言うんだ!」
アデライン「十分、あなたは親の意志に逆らっているじゃない!
私を切り捨てるってことは、今後、親とも袂を分かつ覚悟なんでしょう?」
パク「その通りだ。 自分を殺したまま生き続けるくらいなら、死んだ方がましだ!」
アデラインの目が怒りで大きく見開かれる。
アデライン「いいわ! いいわよ! もう許さないわ、パク・ユジュン!
私を敵に回したらどんなに恐ろしいか、分からせてあげる!
あなたがもう、社会での信用を失っても、知らないわよ!」
パク「やるならやればいい、アデライン・ウェイ!
あなたをここに呼んだのはこのためだ。
ここでの私たちの会話は、すべて録音されているのだから!」
アデライン「くっ!!」
カツン、とヒールで地団駄を踏み、つかつかと大股で退出するアデライン。
扉がしまると、パクはデスク隅に置かれた小型録音機を操作し、その後、絶望のあまりデスクに顔を突っ伏した。
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回想終わり、銀座のカフェにもどる。
エマはその話を聞きながら、ずっとナフキンを握りしめている。
伯爵「私はこうして、風評にもがくユージーンを、裁判が終わるまでサポートしたんです。 最終的には和解金で終息したのですが、このやりとりはいわば ”肉を切らせて骨を断つ” ようなもの。 互いの信用についてのダメージは大きかった。
結果、アデラインは音楽業界から失脚し、ユージーンは崖っぷちに立ったまま、たった一人で会社の運営に奔走したのです。
その間、もともとひどい肥満と高血圧だったお母上は、このゴシップによるショックで気絶し、脳梗塞で亡くなりました」
エマ「散々なできごとだったのですね」
伯爵「左様・・・しかしながら、ユージーンの会社運営の手腕は見事なものでした。
独占的であった自社の技術のいくつかを、ライセンスを取得したうえで社会にシェアしたのです。 それによりその技術をつかって、業界への新規参入企業が沢山増えましてな。 結果、自社にぴりっとした空気が流れ、社会との競争力がさらに培われたようです。 そのほかにもいくつもの改革があり、順に実行に移されました。 よく考え抜かれたものです。
そして、就任から一年経って振り返ると、その利益は2倍どころか、6倍の上昇に達していたのです。 圧倒的な勝利でした。
大きな結果を前に、株主も幹部たちも、もちろん誰も文句を言う者はいませんでした。
その後、ユージーンは私にこういったものです。 ”変態ですが、なにか?” と」
エマ「あはは! それを言えてしまうことが、クールですね。
でも、パク様がビジネスの要諦をすぐに教えてくださらない理由が分かった気がします。
この成功を語るには、自身の痛いゴシップ事件を切り離すことができないからですね」
するとRheingold伯は、自身のスマホをとりだした。
伯爵「ところで、聴いていただきたい音源があります。
これについて、お話させてください」
突然スマホをいじりだすRheingold伯の姿に、エマは首をかしげた。
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