第11話 二つの不愉快事
人物
唐立 エマ 47/39 :元ホテルマン、現在ホテルの施設部門で働く
Dr.Schubert 65/57:ライプツィヒ印刷博物館(兼工房)の館長
Frau Schubert 65/57:博士の奥さま
岡本 翔太 35:ホテル”風雅”(フーガ)副料理長
榊(親方) 68:ホテル”風雅”(フーガ)料理長
Ragner 40代前半:カナダに住むゲーム上の友人
alpha 30代前半:ゲーム上の友人
※エマとDr.Schubert & Frau Schubertの会話言語はドイツ語、ならびにエマとRagner & alphaの会話言語は英語ですが、便宜上すべて日本語で書かれています。
ライプツィヒ、Schubert宅。
真っ白い光を見た後で目が覚めるエマ。
ベッドから身を起こすと、光が差し込む窓の脇に、油絵の風景画がかかっている。
窓の外の街路樹と風景画を交互に眺める。
薄暗い廊下を通って居間に出る。テーブルについている夫妻。
エマ「おはようございます」
Dr.Schubert「おはようございます。眠れましたか?
独立した息子の部屋がちょうど空いていたので使ってもらいましたが、寝心地は大丈夫でしたか」
エマ「はい、とても。 奥様にもありがとうございます」
Frau Schubert「どういたしまして。あなたが安全であってよかったです!」
エマ「ご面倒をおかけし、申し訳ありませんでした。
本日の昼にはここを出る予定です。
ここから一番近いSバーンかUバーンの駅はどこですか?」
Dr.Schubert「え・・・焦ってここを出る必要はありませんよ。
まずはホテルから荷物を送ってもらいましょう。
荷物がここへ届くまで、数日、ゆっくりしてもらって構いません」
エマ「本当ですか? それはとてもありがたいお話ですが・・・
ではその間、なにかお手伝いできることがあれば、喜んでいたします」
Frau Schubert「そう言ってくれて、ありがとう」
Dr.Schubert「ついでに、日中は私の工房をみてみませんか?
あなたの会社の工房とどれだけ違うのか、面白いかもしれません」
エマ「わあ、それはとても興味があります。ぜひみてみたいです」
すすめられ、食卓につく笑顔のエマ。
*********************************************************
博物館1階奥にある印刷工房。
巨大な印刷機が見たところ5台並んでいる。
工房のスタッフが機械のローラー部分に紙をはさんだり、乾板を固定したりしている。エマは彼らとおなじ大きなエプロンをつけて室内を見学している。
エマ「インクのいい匂い。 私の会社の工房の印刷機と形が似ていますね」
Dr.Schubert「この印刷技術の起源は、同じところから来ているからだと思いますよ。
しかし驚きですね。この技術が遠くアジアにまで普及して、その後使われなくなって日本に取り残されているのが」
エマ「おっしゃる通りです。まるで、ガラパゴス島の動物のようですね」
Dr.Schubert「はは、その通りです」
エマ「本当は、自分の会社の工房で、プリンターとして仕事ができたらどんなにか良いだろうと思ったことがあります。
でも、国内では仕事の需要が少ないですし、この技術だけでなく印刷業界全体が、軒並み厳しいんです。電子書籍などによって隅においやられて」
Dr.Schubert「それは、ここも同じですよ。でも、書物を手に取ることに喜びを感じる人は一定数います。 そういう人々のニーズに応える必要があると思います。
紙を繰る心地よさ、装丁の美しさを愛でる楽しさもある」
エマ「はい・・・例えば電子辞書のことを考えると、電子書籍は運びきれないほどのたくさんの、本や情報を携帯できるので便利だと思いますが、私の場合、家の中では本棚の本を手に取れればそれで十分です。
また、電子書籍でしか閲覧できない本は、大抵コミックなどの消耗品のような気がします」
Dr.Schubert「そうですね、それは私もそう思いますよ。 あとこれは、私のように歳を取るとわかるのですが、電子書籍は目が疲れます。 紙の書籍の方が、目に優しいです。 最終的には紙の印刷物はなくならないと思いますよ」
エマ「はい、同感です」
大きな音を立てるローラーのそばに立ち、職人の動きを眺めている。
********************************************************
Schubert宅キッチン。
鍋をかき回すFrau Schubertの横でエマは大皿にパンを盛り付けている。
笑いながら、パンの皿をテーブルへ運んでゆく。
*********************************************************
パン屋からパンの袋を抱えて出てくるエマの姿。
走行車のほとんどいない早朝の道。
朝日が美しく輝いて街の窓を照らしている。
*********************************************************
夕。両手いっぱいにたくさんの花を抱えて居間に入るエマ。
それをみて驚くSchubert夫妻。
Frau Schubert「まあ、エマ! どうして、たくさんの花を持ってきたの?」
エマ「本日、私の荷物が届きました。
航空券もウェブで予約が完了し、明日の朝にここを出発しますので、ささやかなお礼のつもりで持ってきました」
Dr.Schubert「こんなにたくさんの花だと、家じゅうに飾れるね。
どうもありがとう、エマ! 君は素晴らしいよ」
エマ「突然の事情でこちらへ泊めていただき、こんなに親切にしていただいて、このお礼は返しきれるものではありません。
本当にありがとうございました」
Frau Schubert「さみしいけど、あなたと一緒に数日過ごせて、とても楽しかったわ]
エマ「私も楽しかったです。 もし日本へいらっしゃる時には、街を案内させてください」
Dr.Schubert「それはありがたいよ。 そう遠くない未来に、仕事で日本へ行く予定ができると思うんだ。 その時には連絡しますよ」
エマ「ぜひ! 必ず教えてください!」
笑顔で花を花瓶にさすFrau Schubertと、それを手伝うエマ。
*******************
**************************************
*********************************************************
回想から戻り、ホテル”風雅”(フーガ)客室廊下。
レセプションカードが挟まれたボードを小脇に抱えて歩くエマ。
パントリーのエレベーターボタンを押して、乗り込む。
*******************
厨房。
岡本が手際よく魚の身に包丁を入れている。
彼は振り向きもせず、まな板の魚を切ることに集中している。
その奥、髪を一つに縛った白衣の榊の後ろ姿。壁に向かって菜箸を動かしている。
エマ「失礼します・・・親方、お疲れ様です」
榊「おう、レキジョ、来たか」
エマ「この度はお世話になります。
でも親方、私は全然歴女じゃないですからね」
榊「なにが、お前はレキジョだろうが。
歴史のことで俺に講釈を垂れたのは、後にも先にもお前しかいないんだからよ」
エマ「す、すみません、その節は口が滑って生意気なことを」
岡本「そうだよ、生意気な」
エマ「うるさいですよ、そこの小僧は」
岡本「小僧じゃねえ!」
榊「馬鹿野郎! 刺身引いてるときにべらべらしゃべんな!」
岡本「え、マスクつけてますし」
榊「そういう問題じゃねえ」
岡本「すみません」
エマ「・・・あの、親方、夏のパク様の件、聞きました。
どうもありがとうございました」
榊「ああ、あれな。 早く帰っちまって残念だったな」
エマ「特別料理で、黒鮑を用意してくださって」
榊「パクさんは、養殖ものか天然ものか、食べてすぐにわかる人だからな」
エマ「はい・・・あと、ずいきも出されたと」
榊「気づいたか。お前の客だから、ずいきを使ったんだよ。
お前のあの話だ・・・」
エマ「あの話?・・・ずいきといえば、武将が城内の畳に敷きこんで、兵糧攻めに備えたんですが・・・
あ! だからとっさの凌ぎとして、使ったんですね!」
榊「今わかったのか、レキジョ」
エマ「いや、あの、なんとなくそっかな~と・・・さすがです親方」
榊「シューベルトさんはもう来たのか。今日で何回目だ?」
エマ「はい、到着されました。今日で三度目の来館です」
榊「三度も来てくれるなんて、ありがてえな。 でも、これで最後か」
エマ「最後じゃないです! なんてこと言うんですか!
そうならないようにちゃんと引き継ぎしてますし」
榊「いや、お前がつないでた客だろ? 無理だよ、ほかのやつには。
それに、そういうお客はもう来ないって話だ」
エマ「え・・・それ、どういうことですか? どんな話なんですか?」
榊「全部終わったあとで、支配人にきけ。 俺からの忠告は」
エマ「はい・・・」
榊「お客様だけじゃなく、中も見ろってことだ」
エマ「中って、スタッフのことですか? お客様が一番大事でしょ?」
榊「そうだ、お客様が一番大事なのは確かなんだよ。
でもなあ、中と外のバランスが必要なんだよ」
エマ「はい、わかります」
榊「・・・悪いけど、お前は全然それが分かってるようには見えねえよ?
だからお前、よその部門にやられたんだろ?」
エマ「そ、そんな風に自分を悪く考えたことないです。
それって、私のことをよく思っていない人が大勢いるってことですか?」
榊「とりあえず、ここの手伝いしてる間は忘れてろな。
ぜーんぶ終わってから、支配人と話しろ」
エマ「わかりました、親方。 お忙しい時間にありがとうございました。
よろしくお願いします。 失礼いたします」
榊「ああ、じゃあな」
少し落ち込んだ表情でエレベーターへ向かうエマ。
*********************************************************
ホテル内休憩室。
入口の自動販売機でペットボトルのお茶を買い、ソファに腰掛けるエマ。
壁を見上げると、時計は17時を過ぎている。
LIMEに連絡が入っていた。アプリを開くと、綾子からのチャットだった。
数分前に書き込まれたものらしい。
少し暗い表情で、その内容をチェックする。
綾子『こんにちは。今日、松村とホテルに泊まりに行きますか?』
エマ「え、なにこれ…いきなりどういうこと? 気持ち悪い」
メールの文面には気を遣って、努めて丁寧に返事を書く。
エマ『いいえ、行きません。どうされたのですか?』
送信したあと、ペットボトルの蓋を開けて、お茶を飲み始める。
すぐにスマホ画面に動きがあった。
綾子『松村が今日の日付で、ホテルを2名で予約とったようで、確認通知が届いてたんです』
スマホを手から落としそうになる。
エマ『そうなんですね。でも、どういう経緯で確認通知を見られたんですか』
綾子『会社のメールに宛てて通知がきていたんです。 まだ、彼の社用メールを覗くことができるので。
それで、その一緒に行く相手がエマさんだったら良いのにと思っていました。
でも違うんですね、残念です』
エマ『お気遣い、ありがとうございます。 全くそんなことはありません笑』
綾子『友達の情報によると、彼は最近、外国人が接客する居酒屋などで夜通し飲んで、酔っ払っているそうです。 馬鹿みたいですよね』
エマ『そうですか。 彼はよっぽど家に帰りたくないんでしょうね。 情報ありがとうございました』
眉間にしわを寄せ、スマホを投げる真似をする。 怒りと興奮で目に涙が溜まってくる。
エマ「なにそれ・・・どういうこと?
そんな旅行、今更あいつとなんて行きたくもないけど、なにその、身替わりのはやさ!
しかもこの女、なんでそんなこと、いちいち私に知らせてきてんだよ。
なにがエマさんだったら良いのに、だ。 くだらないことばかり言いやがって。
こいつら、二人でつるんで、私のことをどうにかしようとしてんのか?」
顔を両手で覆うエマ。
エマ「あいつがどこでだれとなにしようが、今更否定もしないしどうでもいいけど、
こんなことを知らされるなんて、気分悪すぎる!! なんなんだよ、それ」
ペットボトルのお茶を一気に飲み干す。
エマ「それに、ここはここで、一体なんなの?
実際私は、なんのためにここに呼ばれたの?
親方の話が正しいんなら、自分がもてなしていた顧客が、もうホテルにとって招かれざる客になったと?
それで、彼らの予約が入っちゃったからといって、最後に面倒みさせるために私は呼ばれたの? 意味わかんないし!」
ソファの背にぐったりともたれ掛かり、エマはしばらく動こうとしなかった。
*******************
時計は18時。
フロント事務所へ戻る前に、レストランの様子を窓越しに遠目で覗くエマ。
窓からは見えないが、最奥の、海をみはるかす席では、Schubert夫妻が食事を楽しんでいるはずだった。
その後バッグと上着を手に持って、ふらふらと事務所から出てくるエマ。
もう一度レストランの方角を眺める。レストランスタッフが優雅に、忙しく働いている店内をもう一度ながめて、ホテルの裏口へ向かう。 その顔は放心して疲れ切っていた。
*********************************************************
外はすっかり日が落ちたが、バーガーショップの店内からは煌々と黄色い光が漏れている。
店内で、冷めきったポテトを前に、スマホを眺めているエマ。
スマホ画面ではゲームが開かれている。そこで、チャット画面を開いた。
エマ『おはよう、Ragner』
Ragner『おはよう、エマ。 調子はどうだ?』
エマ『聞いてくれてありがとう。 実は、気分はあまりよくなくて、家に帰りたくないんだ』
Ragner『大丈夫か? 家って、あの男がいるのか?』
エマ『ううん、いない。 それどころか、誰かとどこかに出かけて、帰ってこないことが分かっているんだよ』
Ragner『最低な、Ass hole 野郎だな。 でも、家には帰った方がいいだろう』
エマ『家に独りでいたくないんだよね。 悪い考えに脳みそが占領されそうで。
だからどうしようかと思ってる』
Ragner『家には帰れ。今日はバトルフィールドがある。お前は選ばれているよ』
エマ『分かってる、うれしいな~』
Ragner『酒だな。 酒を買って帰れ。 酒とゲームだ』
エマ『ああ・・・うん、それが一番いいかも。 酒のんで忘れる』
Ragner『またな』
エマ『うん、ありがとう』
エマはため息をついて、スマホをバッグにしまう。
冷めたポテトを口に入れ、コーヒーを流し込む。
********************************************************
自宅。 時計は深夜0時。
スマホを操作しながら、PCの画面上に映っている複数のメンバーのアイコンと会話をしている。
エマ「やった! 私たちは勝った!」
alpha「敵が弱かっただけね」
Ragner「勝てればいいんだよ。 勝てば報酬が多いからな」
バトルフィールドが終わると大抵皆、チャットルームを退出するが、この日はだれも退出しない。むしろ、一人、二人・・・と人数が増えてゆく。
Ragner「ヘイ、みんな。 バトルは終わったけど、残れる奴は残ってけ。
これから俺のクリニックを開くぞ」
エマ「クリニック?」
Ragner「そうだ。 先生は俺とalphaで行く。
まず、エマ! お前の部隊を全部見せろ」
エマ「ええ? 私の?! はい、ちょっと待って」
Ragner「部隊構成と、攻撃兵種ごとの部隊セット。
あとバフのスクリーンショットだ。 ここに全部貼れ」
alpha「使っている将軍の情報もここにシェアして。
あなたは全体のパワーに対してバフが弱い。 原因を今日中に見つけてあげる」
エマ「はい・・・へへ、ちょっと、恥ずかしいね」
Ragner「エマ、酒は飲んでるか?」
エマ「酒?! 飲んでる、飲んでるよ!」
Ragner「ならいい。 早くここに貼れ」
エマ「ありがとう、Ragner。 私につきあってくれて」
Ragner「いいんだよ。 俺たちはみんな、もう4年以上もこのゲームで毎日会ってるんだ。
仲間が困ったり、悲しんでいるときは、助け合うのが当たり前だ」
エマ「へへ、優しいな。 Ragnerもalphaも、ここにいるみんな、優しい」
Ragner「早くここに貼れ。 みんな待ってるだろ?」
エマ「はいはい~」
うれしさで涙ぐみながら、スマホのスクリーンショットを撮り続ける。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます