Part 5-3
銃声が鳴っている。
怒号が響く。
血と硝煙の匂いがする。
家や人の焼ける嫌な臭い。パン屋のおばさん、炭焼き小屋のおじさん。
みんな死んでいた。
銃を握りしめて、血だまりの上に倒れていた。
クラウスおじいちゃん、エリザおばさん、それと、お姉ちゃんとお兄ちゃん……家族たちとはバラバラになってしまって、今どこにいるのか、生死すら分からない。
お父さんはわたしのことを片腕で抱きしめて、もう片腕に拳銃を握りしめながら走る。怖くて、ただ怖くて、何も見たくなくて、その体に顔をうずめていた。
銃声が響く。誰かが戦っている。
話し声が聞こえてきて、お父さんは足を止める。
わたしのことを建物の影に隠すと、両手で拳銃を握りしめた。
そして、銃声。叫び声、罵倒。
こわい。こわい。身を小さくしてうずくまる。
少しすると「もう大丈夫」と呼びかけられた。お父さんは体や服のあちこちに返り血を付けた状態で、わたしのことを抱き上げた。
家の影から路地に出る。
そこには二つの死体が転がっていた。
父の足が速くなる。揺れる腕の中で、落ちないように必死にしがみつく。
「とまれ!」と叫ぶ声が聞こえてきて、ピュンと何かが近くを通る。
それが何か、その時にはまだ分からなかったけど、本能的に恐怖を感じた。すぐ隣にある死の恐怖。細い路地を何本も通り抜けて、柵を超えて庭を駆け抜けて、町の中を行くあてもなく逃げ続けた。
父の声がして、体が倒れる。
わたしは腕の中から投げ出されて地面に転がった。父は脇を抑えながら苦悶の表情を浮かべて起き上がり、地面に転がった拳銃のところまではね飛んで、近づいて来た男に向かって引き金を引く。
一人死んだけど、周りにはまだ沢山の敵がいた。近づいて来た敵と父が目の前で揉み合いになる。敵も父もお互いに死に物狂いで、一瞬でも隙が生まれればあっさりと死ぬし、殺すことができる。
こわい、このままじゃ、お父さんが死んじゃう。
そんな時、パスンと鈍い音がして、敵の頭が吹き飛んだ。真っ赤な花みたいに血が噴き出して、壁に血で模様を描く。体は制御を失って、壁に向かって崩れ落ちた。
二人して何が起こったのかと目を見開いた。
路地の向こうに何人かの兵士が立っていた。カービンライフルを構えていたのはその中にいる一人で、戦闘服を着こむ他の兵士たちと違って、鼠色のウィンドブレーカーという、私服と大して変わらないような格好だった。
また敵かと思ったけど、父も兵士もお互いに銃を下げる。その兵士たちは全員が腕に白と青の腕章を付けていた。図鑑で習ったことがある。あれはバイエルンの色だ。
「ミュンヘン共和国軍の第97歩兵大隊だ。遅れて申し訳ない」
「撃たれたのか。衛生兵! 彼の治療を!」
「俺はいい……。それより、その子を保護してくれ……。俺の娘だ……」
腹部を抑えながら、もう片方の手で父は指をさす。
兵士たち慌ただしく動く中で、どうしよう……と辺りをきょろきょろ見ていると、さっきのカービンライフルの人、私服の兵士が近づいて来た。
「怪我はない?」
その顔を見て、心臓がどきっと音を立てた。
その人はとっても綺麗でかっこいい人だった。栗毛の長い髪に透き通るような白い肌。その外見はまるで
表情はうっすらとした笑みで、冷たい儚さと慈愛にも似た温かさが並立していた。
「おとーさん……しんじゃう?」
「大丈夫、死なないよ。キミもよく頑張ったね」
そう言うと、その人はわたしのことを抱きしめてくれた。
顔に柔らかい感触のもの当たる。
わたしはそこでやっと、その人が女性であることに気が付いた。
その人が、わたしの王子様。わたしの初恋の相手。
女性なので『王子様』が正しいかは分からないけれど、わたしにとっては紛れもなく絵本に出てくる白馬の王子様だった。
わたしはその人に懐いて、少しの間一緒にいることになった。
町が敵の手から解放され、戦いが終わったその時も、傍に居てくれた。クラウスおじいちゃんや、エリザおばさん……他にも沢山の人が死んでしまって、泣きじゃくっていた時も傍に居てくれた。
その人と別れたのは、難民としてミュンヘン共和国に移住した日だった。別れるときは最後まで泣いていたことを憶えている。引き留めたけど、王子様はどこかに行ってしまった。その後、その人と再会することは二度と無かった。
わたしはそれから、来る日も来る日も王子様に再開することを願った。手首に着けたミサンガに込めたお願い事も、実はこれだ。
もう一度、王子様に会えますように……。
撃たれたフェリクス・イェシュケが退院したのは、二日後のことだった。
銃弾はかすっただけだったので、もう歩けるぐらいには回復していた。
その日の夜、退院祝いということで──表向きは身辺警護という名目で──彼を家に招いて、一緒にディナーを食べることにした。
「ごめんね、わたしのせいで……」
「ただのかすり傷さ。これで一緒に食事ができるなら、いくらでも体を張れるね」
キッチンから二人で皿を運ぶ。
ノイマンの家ではドイツの伝統的なスタイルとは異なって、夕食にスープなどの温かい食事をとることが多い。
これは難民としてミュンヘンに移住する前は
ダイニングテーブルは料理で埋められた。
オニオンスープに、ハム、チーズ、茹でたヴルストの盛り合わせ、マッシュポテト、ザワークラウト、アスパラとキノコのサラダ、プレッツェル……どちらかと言えば豪華とは言えない、一般的な家庭の料理。
ワイングラスを並べるとイェシュケは頭を優しくなでた。
「嬉しいよ。俺のためにここまでしてくれて」
二人は席に座る。
最後に用意するのはお酒。飲酒はこの街に住む十七歳(誕生日前なのでまだ十六歳だけど……)の少女の中で、欧州国籍者にだけ与えられる特権だ。
日本人はあと三年我慢しなければならないのだから、大変な話だと思う。
ワインは赤と白のどっちも用意しておいたけど、なんとなくオシャレだしディナーっぽい雰囲気が出るので赤ワインにした。
銘柄には詳しくないけれど、貰い物だから多分いい奴だった。
「でも、正直驚いたよ。お嬢様っていうのは、もっといいものを食べてるのかと」
「どういうのを想像してた?」
「専属の料理人がいて、フレンチのフルコースとか」
「ごめんね、フルコースじゃなくって」
「手料理はどんな高級料理にも勝るよ」
男性として百点満点の回答だな、と思った。
こうやっていろんな女性を口説いているのだろうか。それとも……まあいいか。
カチン、とグラスが触れ合う。グラスをぶつけるのはマナー違反だって聞いたことがあるけど、二人ともそんなことは気にしなかった。
「うぇ~」
担がれてる。お姫様抱っこいうやつだ。
けっこう揺れるので想像と比べてあんまりロマンチックじゃない。体に力が入らないので、文句は言わずに彼の腕の中に身を任せた。
少し飲み過ぎた。意識がまとまらない。体がふわふわする。
原因はあのワイン。節度を持っていたイェシュケに対して、ほとんど一人でボトルを開けてしまった。
「部屋に着きましたよ、お姫様」
体が柔らかいベッドの上に乗る。まるで繊細なガラス細工を置くみたいに、ゆっくりと、丁寧に寝かされた。
部屋は薄暗くて、廊下から漏れる明かりだけがわずかに室内を照らしている。
「水を持ってくるよ」
イェシュケが立ち上がろうとしたので、シャツの裾を掴んで止めた。
「だめぇ。まって、いかないでぇ」
「大丈夫、すぐ戻って来るから」
離れたくなかった。暗い部屋の中で、独りぼっちになりたくなかった。
こわい。
人が離れていくのが。
みんないなくなるのが。
いやだ。
なんとか上半身を起こすと、彼の体を背中から抱きしめた。男性特有の体つき。鍛え上げられていて、たくましい体だった。
「相当に酔ってるな。顔が赤い」
頬に彼の手があたる。ひんやりしていて気持ちいい。
「ねぇ、イェシュケ。わたしね、ずっと、王子さまに憧れてたの。いつか、王子さまが来てくれて、わたしのことを救い出してくれるの」
「良い夢だ。女の子らしくて、可愛いと思うよ」
「子供っぽいって、思うでしょ。でもね、本当に……憧れているの」
抱きしめる手をすこしきつくした。顔を彼の頬に寄せる。
「……ねぇ。わたしの王子さまになってくれる?」
彼の耳元でささやいた。
そうすれば、いいよって言ってくれる気がして。彼が王子様になってくれる気がして。イェシュケは頭をなでると、ゆっくりと距離を取って立ち上がった。
「君の王子様にはなれないよ」
はっきりと言われて、少し悲しかった。
「俺は、王子様になるには大人になり過ぎた。組織に囚われすぎている。どちらかと言えば、魔王ノエル・ラサールの部下。お姫様を閉じ込めてる悪い魔王の部下さ!」
イェシュケは短く笑うと、すぐに表情を真面目なものに戻した。
「確かに俺は君のことを、警護対象として……つまり、仕事として以上に大切に思っているよ。けどね、それはたぶん、君が求めているものじゃない」
そういうと、やや余韻を残して立ち去る。
ロッテは暗い部屋に残された。
四月最後の土曜日。
いよいよ帰国が近づいてきた。札幌でやりたいことはまだ沢山残っているけど、もうそんな時間もなさそうだ。
とりあえず、今できることは粗方終えた。
セータ君とシカ君にお守りのミサンガを渡せたし、何も言わずに去ることになるから、帰国について補足するために手紙だって書いた。
準備はこれで終わり。そう、終わりだ。これで全部……。
少し悲しくなって目を伏せていると、ピロリンと、デバイスが軽快な音を立てた。
『正多:今,大丈夫?』
『ロッテ:うん! どうしたの?』
『正多:今から会えないかな.急用なんだ』
少しびっくりした。
波木正多とは学校で毎日会っていたけれど、こういう風に休日に会えないか、なんて誘われるのは初めてだった。ここで会ってしまえば帰国への決心が揺らぎそうだったけど、断れば絶対に悔いが残ると思った。
『ロッテ:分かった! どこに行けばいい?』
指定されたのは学校に向かうときに合流する、いつものバス停だった。
時間も指定されたので、少し急いで支度を済ませてイェシュケに途中まで車で送ってもらう。友達と会うからと言って、警護の人数はできるだけ少なくしてもらった。
思えば迂闊だった。
標的が自分にあるうちは、友達は安全だと思い込んでいた。
バス停に波木正多の姿はなかった。
そこに立っていたのは……アダム=ユリウス。
なぜ。なんで。どうして。
セータ君のデバイスを持っているの?
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