第2話 プロローグ

ーーー1998年 王国首都、国際戦犯裁判所ーーー


一度腐った食べ物は、何をしようと元には戻らない。

例え火を通してもシチューに入れても腐った物だけはだめだ。

何をしたって食べられない。

 

彼らだって元は新鮮な食べ物だったのに。いや、だったからこそ腐食はより深刻みを増すのだ。



「君は、一体どういうつもりでこんな記事を書き立てたんだい?ヘレナ少佐」

検察官のガラガラ声が国際軍事法廷に響き渡る。

彼は私に向けて、ビラを見せながら詰問した。


法廷は、かつて参謀本部として知られた建物で行われた。

帝国軍の牙城として知られたかつての陸軍第一庁舎ビルは

今や我々帝国軍人を裁くためだけに存在している。


私の様な”敗戦国の悪魔”には不似合いなほどきれいに並びたてられたそれらの装飾は

私の様子を笑うかのように輝いている。


私はその法廷の、証言台に立たされて、ビラを凝視させられた。

これは兵士を称える戦意高揚の”プロパガンダ”だ。


そのビラに描かれた青年兵は目を輝かせて、空を見上げていたが

私が見た瞬間に、ぎろりとその眼光を細め睨みつけて来た。


私はこんなの幻覚だ。と言いたかったが、喉が渇いて上手く言えなかった。

そして息がはやり、過呼吸の様に苦しくなり始めた。

さっきの青年兵は、そのうちビラから出てきて私の襟元を掴んで、叫んだ。


「お前のせいで死んだ」


彼の顔は火傷の後の様にぐちゃぐちゃになっていた。そしてその眼光は鬼の目つきの様に私を睨みつけて離れることはなかった。


私はそれを無表情のまま受け入れる。

やがてその青年兵は私の喉元に手を掛けるとぐっと押し込み、絞め殺そうとしてきた。


私はふっと笑い、「やれよ」とかすれ声で言った。


裁判長はその声と表情を見て、眉を潜めた。

そして言う。「お前は、悪鬼か」


私は妙な幻想から戻り、再び裁判所の証言台に立った。

そして薄ら笑いを浮かべて言い返した。


「悪魔さ」


それは自嘲を含んだ言い方だった。


そして私は慄く裁判官たちを横目にしばし目を閉じて

瞼の裏に流れる過去を回想した。


ーー 1989年 帝国領内レヒフェレツ公国 バースヒルト郡 ーー


つまらん世の中だとは思っていた。

私の様な真面目っ子には、軍人として活躍するのも、特別な才能もなかった。

十数年の間に”青い春”なんてものが来るのを待っていた内に20の誕生日がやってきてしまった。


でもそれは、私自身の破綻した人生設計と形成できなかったアイデンティティーのせいであって

決して社会や時流が悪いのではない。だから猶更、私は運命が嫌いだった。


そんな人生であったから私の十数年には楽しみも悲しみもなかった。

平凡という言葉はいかにもありふれた幸せの代名詞のように使われるが、それは間違いだ。


平凡とは平らで凡そと書く。平と云うは、つまり起伏が無いという事だ。飛び跳ねるような歓びもなければ、堪える涙もない。

文学的に言えば、起承転結のない物語である。それが如何に無価値か、という事は誰もが知っている通りだ。


”晩秋”

私は不思議に、そういった破滅的な言葉を好んだ。それは、歪んだ自意識と荒んだ心の証左であろうか。

少なくとも、うら若い私には不似合いな言葉たちは私の頭の中で浮かんでは消えて、沈んでいった。


いくら毒づいたところで仕方がない。私はすでに19だ。華の十代が終わろうとしている。

自分の過去を振り返っても、未来を夢想しても、このままぼんやりと死んでいくとしか考えられない。

私は、当に自分の人生の可能性に見切りを付けていた。


しかしそんな私にも熱中できるものがあった。文学である。


現実がどれだけつまらなくても、空想の物語には無限の希望が存在する。

英雄譚の誇らしい気持ちも、令嬢の悲恋をも、どんな小市民だろうと味わえる。

人の世に夢は無いかもしれないが、本を開けばいくらでもそういった事に出会える。


だから私は、文字こそ真に人間に与えられた平等の幸福であり、不朽、不滅の存在であると確信している。

この瞬間にも私は物語を夢想し、彼らの行動に思いを乗せるのだ。



文字こそ・・・!!




そんな風に私が感極まった瞬間、部屋の戸がどんどんと叩かれた。


私はびくん、と驚くと即座にノートを机の引き出しにしまいその上を掃除した。

そして本棚へ小説たちを戻す。あぁ、だがこういう時に限って本の並びが気になる。

包装を丁寧にされている物とそうでない物は離しておきたい・・なんて、オタク趣味にすぎるだろうか。


そんな片付けの間にも、どんどんともう一回。

こっちの気も知らないで!


片付けが終わらない内に、母はドアノブを捻り部屋へと入った。


「こら!ヘレナ!!いつまでそんなことを続けているの?」

母のが鳴り声が聞こえた。


「お母さん!ご、ごめんなさい」

私は振り返り母にそう告げた。


「大学が休講だからって!そんな事させるためにお父さんは貴方を大学に入れたんじゃありませんよ!」

それに反目して母はさらに語気を強める。


「こんな風に部屋を閉め切ったら、体に悪いでしょう!?」

母はカーテンを取り払い窓を開ける。


「あぁ!そこを開けたら、光が入って本が色褪せちゃう!?」

私は早口でまくし立てた。母はあきれ顔で途中まで開けたカーテンを元に戻す。

私は大声を出したことを後悔しつつ、また自己嫌悪した。


しかし、母の言う通りなのは事実である。父は、少なくない学費を払ってくれた。

我が家は地主で、比較的裕福ではあったものの、兄と私の二人を大学に入れるのは簡単な出費ではなかっただろう。


しかし、それだけ高い学費を払った大学もこのあたりは休講ばかりだ。というのも戦争が始まってからはどうにも学内に不穏な空気が流れてきている。

そのあおりを受けてか、大学は慢性的な機能不全をし始めている。

伝統的に左派である弊学への世間の風当たりは強いらしく、おおよそ国からの補助金を減らされでもしたんだろう。

カップルがよくランチを食べていた中庭は今では右派の学生団体が占拠して、将校の志願者を募ったり、奉仕団への斡旋をしている。


私の出身地レヒフェレツ公国は、帝国という帝政連邦国家の一領邦である。

当然ながら、帝国が戦争を始めた以上公国も参加しないわけにいかない。


「諸君、安心したまえ。この戦争は次のクリスマスまでに終わる」


公爵がバルコニーからそうやって言ったのが2年前の春である。

結局戦争は西の果てで膠着状態に陥って、慢性的な経済不況と厭戦が流行りだした。


町に繰り出して見ても、世相を象徴するようにどんよりとした雲が立ち込めている。

そしてそんな雰囲気は、ただでさえつまらない私の人生をさらに退屈にさせた。


母は言う。「暇してるなら、少しでもお金になることをすればいいじゃない。例えば・・・小説だとか」


ー小説。それで食っていけるなら苦労はしない。

私とて、かわいげのある少女時代があった。その時分には何度か賞に応募して、佳作などを貰ったりしたが、ギムナジウムに入って以降はてんで執筆からは離れてしまった。

というのも、流石に優秀な者ばかり集まるギムナジウム学校である。私より文才に優れたものなど五万といたのだ。


母の中では、私はいまだに秀才と持てはやされたあの少女のままなのだろうか。私は今の大学でも落ちこぼれ。

何とか入学して父と母を安心させたものの、その席次がドベであったと知ったならどんな顔をするだろうか。


しかし私はずるい人間なので、そういった事は言い出さない。母たちの中の私が”優秀な私”で居続けてくれるのはなかなか便利である。


兎も角、好きが高じて・・・などという例はごくまれなのだ。いずれは皆、越えられない才能の壁にぶつかって挫折する。

そういう意味では文学は流石芸術である。私の様なまがい物を退ける点は、うまいだけで無価値な絵描きを弾く美術大と同じだろう。

いくら毒づいても始まらないが、私はもう文壇に立つことは諦めたのだ。


しかしそんな風にくさってもいられないのが、家の懐事情だ。

母の気持ちが切実であることは伝わったし家の財政がこの戦時下でどんどんとすり減っていくことも知っていた。

兄は院へ進んでしまってどうにも音信不通だ。あの親不孝者のことである。きっと好き勝手にやっているのだろう。


であれば、足の悪い父に代わってこの家を支えて行けるのはこの私以外にあるまい。


「わかったよ・・」

私は、母の請願を受けて何とか金になることを探してくると約束した。


ーーー


何か金になることを、と約束はしたものの大学を途中で休学するのもあれだし

かといってだらだらと卒業まで待つわけにもいかない。しかしアビトゥーアを受けて学費まで払ったのにむざむざそれを無駄にするのはもっと良くない。


そんなことを考えながら大学の講堂を歩いていると、何時の間にか中庭に出てしまった。

ややっ、まずい。此処はあの右翼の連中が居る広場ではないか。


右派学生は皆体育会系で苦手だ。私はとびきりの眼鏡っ子なのであのノリについていけない。

やれ愛国心がどうとか、やれ忠君がどうとか。あとはギャーギャー叫んでいるだけで本当に同じ大学生なのかと疑う。


私はすぐさま踵を返して、3号館へ入ろうとした。

しかしそこで男に捕まった。


「やぁ!君!愛国的行動に興味はないか!?」


「あ、すみません・・」


「え?なんだって!?よく聞こえないぞ」

やかましいにもほどがある。しかし私の声は逆に小さすぎる。

こういうタイプと目を見て話せないのは本当に良くないと思っている。

社会に出てからもコミュニケーション能力は実務能力と同じくらい重要だ。最悪なことに。


そんな私の気持ちなど知らないで、彼はどんどん話してくる。女性を口説くときもこんな調子で話すのか?


「君は何の学部だい!?」


「あう・・私は、文学部国文学科です・・」


「そうか!文学か!どうだ、将校に志願しないかね!?卒業を待ってくれるシステムもあるぞ!」


「え・・?でも、私体力無いんで・・・」


「大丈夫!!君の特徴にピッタリあった職業が軍にはある!!」


「ほ、本当ですか・・例えば・・・どんなのが」


「さぁ!説明するからこちらへ来なさい!」

彼は少し興味を示した私の腕を引いて、中庭の端の新兵募集のコーナーへと連れ込んだ。

私はその腕力にやや恐怖しながらもされるがままにそこへ座らせられた。


そこにはにこやかな将校が一人座っている。

彼は、広報官のレーヒル少佐と名乗った。


「将校に興味があるそうだね」


「え、えぇお給料ももらえて、卒業資格が取れて・・おまけに私にもできる仕事があるとか・・・」


「そうなんですよ!文学部でしたっけ?あなたにしかできない仕事がこちらに・・・」


彼はそう言って書類を見せた。そのパンフレットにはこう書いてあった。

”内勤の仕事で、文学や物書きに精通している者を求む”


将校の給料が貰えるのに、内勤。しかも大好きな物書きの仕事。

私は少し興味が沸いた。

お金が必要なのもそうであったし、休学してしまうよりお金をもらいながら将校として卒業できた方が良いかもしれない。


「いくら位もらえるんですか・・・」


「それはこちらをご覧ください。将校の給料は棒号で決まっておりますので、少尉は・・・・月12,000ベルクですね」


「12,000ベルク!?内勤でですか?」


「手当てが付きますので、それだけの給料がでますよ。それに加えて、勤労勲章を取れば・・・」


「13,000!」


「ひぃえ」


「加えて勤続して中尉になりますと・・・15,000ベルク」


「ひょええ」


「さらに大尉になりますと・・・30,000ベルク!」


「へぇぇ」


「どうです?悪い話ではないですよ!」


彼は流石に広報官というだけあって、私のツボをよく観察して攻めてきた。

そしてその後も次々に良い条件を提示してきた。

私は最初、まったく将校になろうなんて思っていなかった。しかし段々と景気の良い話を聞いて気分が良くなって行った。


そしてしまいには志願の書類にサインしてしまった。

見事に彼の術中にはまってしまったのである。


後から思えば、大卒の平均給与が11,000ベルクの時代。そんな破格の給与を一介の将校に与えるなんて考えられないのだが。

上手い話には裏があるはずなのに。




ともかく私は、意気揚々と家に戻り、父と母に志願書にサインしてもらうためさっそく会いに行った。

母は反対した。


「女の子が軍人だなんて!!」


当然だ。いくらお金がもらえるからと言って、娘を軍隊に上げてやる道理などない。

しかし、内勤であることと大好きな文芸の仕事に就けると説明するといくらか沈静化した。


「でも、女の子が将校だなんて・・・乱暴されでもしたらどうするの?相手は兵士なんでしょう?」


「今の帝国軍は、2割が女性将校なのよ。もっとも人材が枯渇しているからなんだけども・・・」


「でも、あなたが行くことなんてないわよ!編集の仕事とか小説家の仕事も・・・」


「今は戦争中なのよお母さん!そんな物あるわけないでしょ?」


父はずっと黙っていた。しかし二人の論争を聞いていて、ゆっくりと目を開くと一言だけ喋った。

「それがお前のやりたいことなら、やりなさい」


兄が出ていった時と同じセリフを父は言った。

私はそのセリフにたじろいでしまった。給与が目当てで行くのは本当にやりたいことなのか?と。


しかしここで立ち止まってもどうしようもない。自分の路は自分で切り開かなければ。先ほどの右翼学生の元気に当てられた私は少し浮かれた調子で

「はい、これは私のやりたいことです!」としっかり答えた。


父はため息をつくと仕方なしに書類にサインした。


ーーーー

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