第四章:月下の死闘
決闘の日、神崎は夜明け前から滝つぼへと向かっていた。月影が付き添いを願い出たが、断った。これは自分一人で決着をつけなければならない戦いだった。
「楓様……」
里を出る時、月影が不安そうな声で呼びかけてきた。
「心配するな。必ず戻ってくる」
神崎はそう言って、闇の中へと消えていった。
滝つぼに着いたのは、まだ夜が明けきらない頃だった。岩肌を流れ落ちる水の音が、静寂を破る。神崎は深く息を吸い、全身の感覚を研ぎ澄ませた。
「来たか」
背後から声がした。振り返ると、朱雀が立っていた。腰には太刀を差し、手には薙刀を持っている。
「朱雀」
神崎は静かに相手を見据えた。彼女の手には、短刀が一本。それだけだ。
「その構えは……」
朱雀は神崎の姿勢に、どこか見覚えがあるような気がしていた。それは、どの流派にも属さない、しかし無駄のない完璧な構えだった。
「始めよう」
言葉と共に、朱雀が薙刀を振るう。その一撃は、まるで稲妻のように速かった。しかし――。
「!」
神崎の体が、奇妙なほど自然に流れるように動く。薙刀の刃を、わずかな動きでかわし、同時に間合いを詰める。
「この動き……」
朱雀は驚きを隠せなかった。相手は明らかに、自分の間合いを読み切っている。薙刀の利点も欠点も、全て把握した上での動きだった。
激しい攻防が続く。朱雀の薙刀は、まるで生きた蛇のように神崎を追い回す。しかし、彼女の動きはさらに奇妙だった。わずかな隙間を縫うように体を捻り、相手の死角に回り込む。それは、まるで水が流れるかのような自然さだった。
「くっ!」
朱雀は薙刀を捨て、太刀を抜いた。しかし、その瞬間を神崎は見逃さなかった。間合いに踏み込み、短刀で太刀の根元を受け止めながら、体を捻って投げ技を仕掛ける。
「なっ!?」
朱雀の体が宙を舞った。しかし、さすがは甲賀の精鋭。空中で体勢を立て直し、着地と同時に後方に跳躍する。
「面白い! 本当に面白いぞ、貴様は!」
朱雀の声が、興奮に震えていた。
「お前の術は、どこで学んだものだ? 伊賀ではないな? いったいどの流派のものだ?」
「それは……言えない」
神崎は静かに答えた。説明のしようがない。なぜなら、これは未来の技術だから。
「そうか。ならば――その体に訊くとしよう」
朱雀の姿が、突如として霧の中に消えた。忍術だ。神崎は即座に体を低く構え、気配を探る。
「!」
背後から投げ込まれた手裏剣を、咄嗟に受け流す。しかし、それは囮。真の狙いは――。
「甘い!」
正面から突っ込んでくる朱雀の太刀。神崎は短刀で受け止めようとしたが、相手の力が上回る。刃が肩を掠め、血が滴る。
「どうだ! これが甲賀流の真髄だ!」
朱雀の攻撃が、さらに激しさを増す。霧の中から、あらゆる方向から襲いかかってくる。手裏剣、薙刀、太刀。そして、時には素手での攻撃。
「確かに、強い……」
神崎は、かつての自分を思い出していた。総合格闘技の試合で、幾度となく死地を潜り抜けてきた経験。そして、そこで学んだこと。
「しかし!」
神崎の体が、突如として変化する。これまでの柔らかな動きが、一瞬で鋭利な刃のように変わった。
「なっ!?」
朱雀の太刀が空を切る。神崎の姿が消えていた。次の瞬間、彼の背後から声が聞こえた。
「これが、私の答えだ」
神崎の短刀が、朱雀の喉元に突きつけられる。が、それは致命傷を避けた位置だった。
「動けば、次は容赦しない」
朱雀は、ゆっくりと太刀を下ろした。
「負けた……か」
その声には、不思議な充実感が滲んでいた。
「お前の術は、本当に不思議だ。柔らかく受け流しながら、しかし決定的な一撃は鋭い。まるで、水と刃を使い分けているかのようだ……」
「それが、私の流儀さ」
神崎は短刀を収めた。朱雀も、ゆっくりと刀を鞘に収める。
「約束通り、この件は白紙に戻す」
「ああ」
「だが、一つ訊いてもいいか?」
朱雀は真剣な眼差しで神崎を見つめた。
「お前は、本当にあの楓なのか?」
その問いに、神崎は一瞬戸惑った。しかし、すぐに答えを見つけた。
「私は、私だ」
その言葉に、朱雀は小さく笑みを浮かべた。
「そうか。それで十分だ」
朱雀は立ち去ろうとしたが、その時、不意に振り返った。
「また会おう、楓」
その言葉には、どこか親しみが込められていた。神崎は無言で頷いた。
朝日が昇り始める頃、神崎は里へと戻っていった。この戦いで、彼女は一つの確信を得ていた。現代の技と、この時代の術。それらは決して相反するものではない。むしろ、補完し合うことで、より強大な力となる。
「これが、私の進むべき道なのかもしれない」
神崎は、朝焼けに染まる空を見上げた。新たな戦いの幕開けは、まだ始まったばかりだった。
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