7話 住人の災難

俺の名はエンメル、エルフの村で暮らしているごく普通のエルフの男だ。


胸を張って言えることじゃないが、俺はエルフの中でも魔力が少なく筋力もない。

こんな奴が村の外に行こうものなら魔物の餌にしかならないから、柵外にある畑の世話とか水汲みを日課にしていた。


余った時間は趣味で石板に何か書いていたんだが、今は残念ながらそんな時間はない。


なぜなら村の外で活動している狩人の奴らによれば、人間種との前線が村に近づいているらしいからだ。

あんな弱くて何の能力も持たない人間種が、どれだけ数を揃えたところで俺たちには敵う訳がない。


そう思っていたんだが、俺たちの同胞はかなり苦戦しているらしい。

何人か隣町に援軍として行ったんだが、そいつらはまだ帰ってきていないからな。


だから俺の最近の日課は、人間種との戦いに備えて矢を作ること。

作り方はとても簡単で、狩人たちが拾ってきた木と石、後は家畜の羽根と作物をすり潰してドロドロにしたものを組み合わせるだけで作れる。


幸いなことに俺は趣味で石を削ることに慣れてたから、やじりにする石を作りまくるのが日課になっていたわけだ。


ただ今日はその日課は突然打ち切られることになる。

狩人たちだけが持っている緊急の笛の音が聞こえて来たからだ。


狩人から聞いていた前線の方向と笛の音が正反対なことはちょっと不思議だけど、ついに戦争が始まるのかと自然に全身が震える。


そうして俺は森の中でも姿を隠せるよう草や木の葉を体中に巻き付けてから、村の中央にある村長の家へと急いだ。




不幸なことに俺は狩人たちと共に、偵察にやってきたと思しき人間種とダークエルフの処断を命じられた。

村民の半分を処断するための山狩りに、もう半分を防衛のため村に残しておくらしい。


あとどうしてダークエルフも処断するのか不思議だったけど、狩人たちが言うにはもう人間に懐柔されているらしい。

近親種を手にかけるのは後ろめたいが、それでも人間種に付くのならば容赦はしない。


俺たちは狩人をリーダーとして、3人1組で森狩りを始めた。

先頭に狩人、後方に俺たち素人が随伴するって隊列だ。


森に入ると明らかに最近拓かれた道があって、その道は真っすぐに東方向に伸びている。

人間種との前線は確か南西方向だから、遠回りしているうちに偵察に来た人間を捕まえられるだろ。


「なぁダークエルフの女って奴だが、洗脳されてる可能性はねぇのか?」

「そうそう。もし洗脳が解けたら私たちの戦力になってくれるかもよ?」

「それはそうだが……ともかく今は森の中だ。黙ってついてこい」


俺ともう1人の女エルフ──確かこいつは家畜の世話役だ──が言ってたら、リーダーの狩人に怒られちまった。

つってもなぁ……。


「静かにって……。ここらは最近魔物狩りしてて何もいないんでしょ?」

「人間種に聞かれたらどうする。逃げられるんだぞ」

「はっはっはっ、逃げられやしませんよ。あんなノロい連中、俺たちの弓でサックリよ」

「確かにな。だがその隣にいたダークエルフの女は、俺たちの放った矢を掴みやがったからな。マグレだとは思うが、油断はするなよ」

「ははっ!それは男がダークエルフに見惚れて手が緩んだからじゃないの?それに強くても囲んじゃえば終わりよ」

「おいおい、ダークエルフに嫉妬か?」

「別にぃ。だって私たちの方が美しいだもの」

「はっ、それは言えてるぜ」


そんなことを言いながら俺たちは不安とか恐怖とか無縁のまま、引き続き道を通っていく。


多分30分くらいだろうか、その道を歩いていると突然大きく開けた場所に出た。




「こいつぁ……ってあいつらか?」


不自然に切り開かれた空間を怪しむよりも、意識しなければいけない団体が目の前にいる。


ゴーレムのように大きく白銀の鎧をまとった何か、ドワーフ、それに人間の男2人に女が1人、後はダークエルフの女ってところか。

人間種の男とダークエルフの女が真ん中でのんびりと座ってやがる。


「リーダー?」

「あぁ、あいつらで間違いない。ちょっと待ってろ。『風の便りテリング・ウィンドウ』」


こんな暢気に待っているとは思っていなかったのか、険しい顔に戻ったリーダーはすぐに魔法で他の組と連絡を取ってから奴らの動向を確認する。


奴らはまだ俺たちに気付いていないようでで、暢気に開けた場所でぼんやりと日向ぼっこ。

あんな間抜け顔の奴らなんて弓が下手な俺でも数秒で射殺できるが、問題はそこじゃない。


「リーダー。ダークエルフの他にドワーフもいるなんて聞いてませんぜ。あいつらは建築の天才だ、絶対に村に迎え入れたい」

「あぁ分かっている。あの人間種の男女3人とゴーレムみたいな奴はヤれ。ドワーフは保護、ダークエルフの女は敵だと分かればやるぞ」

「了解だ」


そんなことを決めている内に、『風の便りテリング・ウィンドウ』を聞いて駆け付けた仲間たちが、どんどん集まって奴らを取り囲む。

それでもまだ暢気に休憩している馬鹿どもには、ちょっとだけ同情してしまうね。


「準備完了だ」

「あいよ。合図は?」

「俺があの男に射る。それが合図だ」


俺はリーダーと違って弓の腕はからっきしなもんでね、1番矢には興味がない。

だから俺は1番体躯がでかくて狙いやすいゴーレム……ではなく人間種を狙って、リーダーの合図を待つ。

ゴーレムはゴーレムコアを壊さないと倒せず、そんな奴の気は引きたくないからな。


弦を温存するためにまだ引き弓を絞っていないが、あれだけの密集しているなら適当に射ても当たるだろ。


俺は隣から鋭く弦の引き戻される音を聞くと、すぐさま弓を引き絞り、右手に持っていた矢を離した。

馬鹿な人間種たち、あばよ。




勝った、その言葉以外俺の頭には何も思い浮かばない。

だって矢が全方位から一斉に奴らの元に降り注いでいるんだから。

心配すべきは近親種やドワーフの安全だけ。

俺は本気でそう思っていた。


だが結果は全く予想だにしていないものだった。


「……うん?」


俺は左手で握りしめていた弓を見るが、何も異常が無い。

次に右手に持っていた矢が消えているが、さっき射たのだからおかしいとは思わん。

だが今まさに射かけられたはずの奴らも異常が無いのは絶対におかしい。


矢の雨が降ってきたってパニックになるか、バッタリと何も気づかず倒れるか、2つに1つのはず。

だが奴らは、さっきと同じ姿勢で日向ぼっこを続けてやがる。


俺たち全員が外したか、それともあいつらが……背中にゾクリと悪寒が走った。

急いで背の矢筒から新しい矢を取り出し、射かけようとしたが俺の行動は全て遅かったみたいだ。


「オウキ様の慈悲に咽び泣くがいい。総員、進撃開始!」


中央にいた近親種がそう叫ぶと、意味の分からない眠気が突然襲い掛かってきた。


瞼が鉛のように重たくなり、力が全身から抜けていく。

これ……は……いや、駄目だ駄目だ寝るな!

視界が明滅するくらい激しく自分の頬をぶん殴り、意識を引き戻す。

隣でさっきまで話していた女が倒れているが、もう奴らを倒すしか俺たちの生きる道はない。


とにかく矢をつがえて射るが、当たっているのか真っすぐ飛んでいるかも分からない。

そんな状態の中、俺の前で膝をついていたリーダーが叫んだ。


「お前は、村に戻って援軍を呼べ!!」

「あっ……っつ、了解!」


俺はリーダーの命令を聞いて、全身の筋肉を使って人間種たちに背を向けて走った。


この瞬間俺の心を支配していたのは、仲間を見捨てる悲しさやまだ勝てる自信なんかじゃない。

ただこの場から逃げられる、その嬉しさだけだった。




俺は持てる脚力を総動員して森の中を駆けた。

以前村の中では脚が早いって言われても、何の意味があると鼻を鳴らしていたが、今は自分の足を撫でまわしたくなるほどに感謝している。


だって俺と同じドタバタと隠密もくそもない足音が後ろから聞こえていたが、それはどんどん遠ざかりそして1つずつ消えていく。

何かに飲み込まれまいと苦しそうな呻き声、必死に俺に縋りつく声を振り切り、ただただ俺は走った。

少しでも体を軽くするために、何週間もかけて作った弓も矢も矢筒も全て捨てて走る。


やっと木々の隙間から漏れ出る光を見た時、自然と俺は助かったと涙が溢れ出す。

そして俺は木漏れ日に抱かれるように、やっとの思いで森から抜け出した。


「やった……やったぞぉ!俺は助かっ……」


生の実感を心に刻み付けるような喜びは、目の前に広がる光景によって冷水を浴びせられた。


「う、うそだ……うそだぁ……!」


1歩歩いてみても、目が抉れるくらい擦っても、俺が見ている光景は変わらない。

得体のしれない赤色の影が揺らめき、そこから黒く濁った煙が天高く伸び、その煙の下ではついさっき俺が普通に話していた村長の姿が見える。

だが今の彼は自分の足では立っておらず、彼の支えは首まで伸びた人間種の細腕だけ。


「う、そだ……うそだ、うそだうそだぁぁぁぁあああああああああああああ!!」


そして俺は背後から引っ張られる謎の力によって、再び闇の中に引き戻されるのだった。

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