薔薇色の人生だと思っていた。

三愛紫月

薔薇色の人生だった。

僕の人生は、あの日まで薔薇色だと思っていた。

白、赤、黄、ピンク、橙。

色とりどりの薔薇が埋まっている庭を見つめながら、勉強する。

庭師が庭を綺麗にし、飲み物やお菓子をお手伝いさんが持ってきた。

欲しいと望めば何でも両親は買ってくれて、女の子達からも人気があった。


曾祖父の代から続く立派な屋敷は、薔薇屋敷と呼ばれている。

手入れされた立派な庭を道を通る人が見つめているのを見かけた事だってある。


産まれた時から、恵まれていて……。

毎日が幸せで、この生活は終わることなどないと思っていたんだ。


あの日までは……。


20年前の12月11日。

あの日、トイレに行きたくて目覚めた僕の耳に大きな声が響いた。



「明日には入金しないと終わりなんだ。わかっているのか?」

「ごめんなさい。わかっています。今、何度も掛けています」

「ふざけるな!」


温厚な父が母を怒鳴り付けている声を初めて聞いた。

心臓が早くて気が狂いそうになるのを我慢する。



「君の叔父さんだったからお金を貸したんだ。今日までには返すと約束したじゃないか」

「はい」

「一万じゃないぞ!10億だ!」

「わかっています。今、かけてます」

「契約を結んだらすぐに20億が入るから返せると言っていただろう」

「はい、わかっています」


震える母の声。

怒りを抑えられない父の声。

ただならぬ状態を感じとった僕は、トイレに行くのをやめて戻る。


あんなに行きたかったトイレが、一瞬止まってしまったようだ。

二人が静かになってから、もう一度トイレに行こう。

そう思って、もう一度眠りについた。



「うーー、うーー」

「やめてください。何をしているんですか」



苦しくて目覚めた。

ゆっくり目を開けると血走った眼で、僕の首を閉めている父がいる。



「やめて、やめてください」

「君の叔父さんが悪いんだ。こうしなくちゃ、この子は生きていけない」

「そんな事ありません。普通の生活をしましょう」

「普通?そんなものが送れるわけがないだろう」

「それでも死ぬ気になれば何とかなります」

「うーー、うーー」


母の言葉に父は、首を閉める手を緩めた。

生きていればいい事がある。

きっと、そう信じてくれたのだ。


ようやく息が出来て、母が僕を抱き締めて「ごめんね」を繰り返した。

「大丈夫だよ」かすれた声で、母に笑って記憶が途切れた。





「あーー、よかった。坊っちゃん、目が覚めて」


次に目覚めると、お手伝いさんと母が僕の顔を覗き込んでいた。



「いたっ……」

「もう、何してるのよ。あんたが事故ったって聞いたから来てみたら」


シミだらけの母の目から涙がボロボロ溢れ落ちた。

あーー、そうだった。

僕の薔薇色の人生は、10歳で終わったんだ。


それから、母と父は二人で住み込みの漁港に働きに行った。

そして、必死で、お金を返していた。

お手伝いさんであるよねさんは、何故か、僕達、家族についてきてくれたんだ。


大人になって知ったのは、旦那さんの保険金がおりたから、一緒に来てくれたってこと。

子供の出来ないよねさんにとって、僕は子供のようなものだったから……。



「30歳にもなって、親を心配させないでよ」

「ごめん」


父が二年前に病気で他界した。

薔薇屋敷とまでいかないけれど、小さな庭のある中古の戸建てを父が母にプレゼントしたのは、7年前だ。

そこで母は薔薇を育て始めた。

僕は、部屋の窓から見える薔薇が大好きだ。


だけど、あの屋敷が気になって。

ふと、行ったのが二ヶ月前。

新しい住人が住んでいて、薔薇色の世界が広がっていた。

羨ましくて、悲しくて、車を飛ばした僕は、ハンドル操作を誤って、崖から落っこちた。

単独事故。

このまま死ぬんだって思って、目を瞑った。


だけど、生きていた。



「何で、あそこにいたの?」

「たまたま、通ったんだよ。小学生の同級生に会いに行ったから」

「そう。まあ、でも。スピード出しすぎてたのよ。車はもう二度と乗らないでね」

「わかった」


本当は、あの薔薇色の人生に未練があったなんて言えなかった。

言ったら、頑張ってきた父さんが浮かばれない。

今の家を大切にしている母さんが悲しむ。

ついてきてくれたよねさんが嫌な思いをする。


だから、言わない。

この先も、ずっと……。

あの事故の本当の理由を……。


「リハビリ頑張らなくちゃね。生きててよかった」

「本当ですね、奥様」


ささくれてひび割れてがさがさの手、シワやシミだらけの顔。

それでも、母さんには品がある。

よねさんも同じで。

父さんも……。


僕にもあるのだろうか?

あの、薔薇色の人生が残してくれた恩恵が……。

残っているだろうか?


もしも、残っているなら。

人生は、最悪ではないのだろう。




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薔薇色の人生だと思っていた。 三愛紫月 @shizuki-r

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