第1話 主君欠乏症

 王都の外れにある酒場『ルイージ』。

 店主の名を冠するその店は、冒険者の出会いと別れの場所である。


 ぎらついた目の冒険者たちが、命を預ける仲間を探す店の中。

 脂汗を垂らし、血走った目をした、見るからに危険な奴がいる。

 僕だ。


「……う、ぐおぉぉぉぉぉ……」


 眩暈で平衡感覚を奪われた上体をカウンターに投げ出して、手にしたミルク入りの木杯をカタカタ揺らしている僕。

 はた目から見れば何らかの中毒者。

 実際、僕は病んでいた。


「し……主君が……主君がいない……うぐ、発作が……」


 仕えるべき主君がいない。

 それは僕にとって致命的な出来事だ。





 僕の前世は明智光秀という戦国武将。

 そして光秀としての人生は、主君の存在なしには語れない。


 斎藤道三様に仕えた。

 朝倉義景様に仕えた。

 足利義輝様に仕えた。

 足利義昭様に仕えた。

 そして織田信長様に仕えた。


 光秀としての人生の大半は主君への奉仕で出来ている。

 僕自身、その生き方が自分らしい生き方であったと思っている。

 実際、主君がいる方が精神は安定し、良い働きができていた。


 だけど宮仕えに最適化された人生は、精神に変質をもたらした。

 主君がいないと精神に異常をきたすようになったのだ。


 光秀であった時に医師の真似事をしていた時期があった僕は、この症状を診察し、「主君欠乏症」と名付けている。


 主君がいないと心が安定せず、頭痛・動悸・眩暈などの症状が出る。

 異世界に転生し新しい体になってなお、精神に根を張るこの症は完治してくれず、むしろ重症化している。


 路銀欲しさに村を襲おうとした勇者をぶちのめして、まだ10日も経っていない。

 それなのにこの発作だ。だいぶ酷い。

 以前なら、仕えるべき勇者を失っても、ひと月くらいは発症しなかったのに。


「主君を……主君を……僕が支えるべき勇者を……」


 僕は眩暈と吐き気に耐えながら腰を持ち上げ、『ルイージ』の店内を歩き回る。

 狭い店内に人が満ちている。

 こんなに人がいるんだもの、誰か一人くらい僕が仕えるべき人がいるはずだ。

 早く勇者を見つけないと……。

 僕の精神が死んでしまう……。


 ドン!


「痛ってぇな、オイ!」


 戦士だろうか。

 コンディションが最悪な僕はふらついたままで歩き、分厚い金属の鎧に身を包んだ荒くれ者と肩をぶつけてしまった。


「なんだテメェ、僧侶のくせに酒にでも酔ってんのか! フラフラしやがって!」

「ご、ごめんなさい……」

「あ? なんだその気のねぇ謝罪は! 謝る気があんのかコラァ!」


 虫の居所が悪かったのだろうか。

 目の前の男が僕の胸ぐらを掴んでくる。

 ケジメのために一発、殴ってくるつもりらしい。


 腕っぷしには自信があるんだろう。

 実際、彼からは鍛錬の気配がした。

 分厚い鎧に甘えることなく、自らの肉体を鍛え、自らの体を勇者を守る盾とする。

 そんな生き方を感じさせる肉体だった。


 そんな彼の姿に、日本の武士たちの姿が重なった。

 それがマズかった。


 武士の幻影に反応し、僕の前世――戦国武将・明智光秀としての自分が咄嗟に出てしまったのだ。



 ボキッ!


 何かが壊れる音がした。

 僕と戦士が、共に音のした方を見る。

 すると僕と戦士の視線の先で、戦士の腕があらぬ方向に曲がっていた。


 しまった。

 戦国武将としての防衛反応から、意図せず反撃してしまったらしい。

 相手がそこそこの力量だったのもマズかった。

 雑魚相手なら手加減できたはずだが、相手の力量が僕のなかの戦国大名の血を本気にさせてしまった。

 僕が止める間もなく、僕の反撃は相手の腕を破壊したのだ。


「……俺の腕、な、なんでこんなになっている?」


 呆然とする戦士。

 自分の腕が壊されているという現実を受け入れるのに、時間がかかっている。


 それでも頭が痛みで炙られ始めて、現実を受け入れざるをえなくなると。

 彼は大声でわめき始めた。


「お、俺の腕が! 腕がぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁあああああ!」


 僕は慌てた。

 彼を傷つけたのは本意じゃないのだ。


 戦国武将だったころは容易く振るった暴力も、僧侶として生きる今は必要最小限に留めている。

 ――遠慮なく暴力を振るっていい相手は、魔物共と信長様だけです。

 そう心に決めている。

 ――っていうか、信長様は絶対にブッ殺して首を獲ります。

 そうも心に決めている。


 目の前の戦士は僕に暴力を振るおうとしたけれど、腕を壊される筋合いはないはずだ。僕が壊した腕ならば、僕が治さなければいけない。


 咄嗟に僕は彼の折れた腕に手を当て、眩暈を堪えながら癒しの魔法を使う。


『女神の慈愛よ。傷ついた体を、大いなる愛で包み給え――治癒ヒール


 すると彼の腕がみるみる元に戻っていく。

 痛みも消えたようで、彼は呆然としながら自分の腕を動かしていた。


「だ、大丈夫ですか? 痛みは消えましたか?」


 僕は安心してもらえるように笑いかける。

 戦士は笑顔の僕を見て――その瞳を恐怖で塗りつぶした。


「ひ……ひぃいいいいいいっ!」


 彼は悲鳴を上げながら酒場の一角に逃げていく。

 彼の逃走する先……丸テーブルで酒を飲んでいる一行がいた。

 うち一人、僕の視界に入らないよう身を縮めている人が居る。


 あれは――勇者だ。

 あれは勇者ダ! 僕ガ待チ望ンダ勇者ダ!


「勇者様!」


 僕は主君欠乏症により限界寸前な精神を抱え、血走った眼で勇者を見据えながら、小走りで近づいていく。

 勇者様が悲鳴を上げた気がするけれど、気のせいだろう。


 主君欠乏症で苦しむ僕は、一刻も早く苦しみから逃れるため、赤くモヤがかかり始めた視界に勇者様を捉えながら売り込みを開始する。


「魔王城への旅に僧侶の支えは要りませんか? 僕、テンカイはこう見えて中々役に立つ男! 決して足は引っ張りません(裏切る可能性あり)ので、何卒旅のお供に僕を加えてくださいな。そして魔王を血祭りにあげて首を王都の大通りに飾り――あっどこに行くんです勇者様? なぜ逃げルんでスか? アアソウカ、足ガアルカラ逃ゲルンデスネ。ソレナラ足ヲ……って、ダメだろ僕!」


 病みに呑まれそうな精神を、間一髪で僕は引き戻した。

 危ないところだった。

 もう少しで罪のない勇者一行を壊滅させてしまうところだった。


 しかしマズい。僕の精神がいよいよ危ない。

 今日中に新たな勇者を見つけないと、僕は人のカタチをしているだけの悲しい魔物として、王都に恐怖をばらまいてしまうだろう。


「もう誰でもいい……そこらの童女や野良犬でもいいから、僕の主君になってもらわないと……」


 僕はブツブツと呟きながら、仕えるべき勇者を探し求めるのだった。

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