第7話 シベリア抑留生活2

 


 ・駅ごとに貧しき婦人群れをなし

            我に物こう悲しき暮らし

 ・一切をただ戦勝へ結びたる

            国の仕組みをシベリアに見る


 シベリア大地こそ無数の人が流刑され、この地に於いて苦しんだことか、ことに革命に於ける白系露人の運命を思う。


 ・冷え冷えとその厳しさの骨にしむ

             流刑に泣きし歴史を思う

 ・我もまたその一人なり走るまま

             行方も知らず今日も暮れたり

 ・イルクーツクの街は冷たき感じして

             人の笑いの影さえ見えず


 バイカル湖付近は標高高く、山脈は大きく険峻である。幾つも重なりあう山、トンネルからトンネルへその数数十を数える。寒気一段と厳しさを覚える。


 ・バイカルの湖畔険しき山並み

             谷間に沿って汽車あえぐなり

 ・幾つかのトンネル越して湖の

             青きを見たり波高き海

             (海=昔は淡水の湖も含めたが、今は塩水に限る)

 ・打ち寄せる波は岩かみしぶき上ぐ

              見ゆる限りは鳥も影なく

 ・湖の岸の山並み荒くして

              谷の岩肌白く光れる

 ・山間の秘境に湛えしたたえしダムのごと

                   大いなる海バイカルの海

 ・用水を汲まんと行きて荒波の

              高きに追われ岸に佇む

 ・ふるさとに帰る希望を断ち切れず

              海確かめんと水なめる人


 その頃、分隊長愛馬曹長、高熱に倒れたが薬なくただ見守るのみ。


 ・熱高き君のうわごと身に迫る

              車内に高き湯気を立てつつ


 音に聞くレナ川の岸を日暮れて通過す。


 ・夜目慣れれば湖水と見しは静かなる

               レナ川なりき街の火うつす

 ・北極に注ぐ川とも思われず

               水面静かに火を跳ね返す


 ノヴォシビルスクの街は比較的明るい感じの街であった。これより南下し始め、かなり走って大きな駅に着く、目的地バルナウルである。


 ・我降りし西シベリアの街の名も

               位置さえ知らず知る人もなく

 ・レーニンの銅像高く揚げたる

               駅に降り立ち足の感なし

 ・プラカード道を横切り風に揺れる

               石材冷たき家の並びて


 アルタイ地方の首都と後になって知った。異国に来たという感じと、我々を待つ運命に異常な緊張を覚えた。あちこちにスターリンの肖像ある正に偶像である。

 かなり歩いて小高い丘に登る。そこに有刺鉄線を深く張り、その内部に古びた高い板塀があり、四つ角に望楼があって歩哨が寒そうに立っていた、これが我々の収容所で粗末な平屋の半分地下に埋めた半洞窟のバラックであった。

 バルナウ第二収容所と名付けられていた。


 ・鉄条網巡らす板塀高くして

              照明を背に歩哨の立てる

 ・半分は地下に埋めたるバラックの

              板は腐りてガラス汚れる

 ・湿りたる土間の洞窟かび臭く

              板張り荒き寝台のあり

 ・爪先で探りつ入りし洞窟は

              暗くてしばしば友をも見えず


 私は一枚のむしろを満州から持ち込んだ、今となってはただ一つの貴重な財産である。一枚の毛布もない零下数十度のこの板の上に寝ることが命をかけた闘いであった。

 外套は勿論、帽子も靴も手袋も身に着れる物は一切身に着け、重なりあって互いの体温で眠った。犬の子のように。


 ・抱き合って重なりあって眠る夜の

              悲しき定めよ今日も明けたり

 ・生あるを確かめあって今日もまた

              暗き雪道を語らず歩く


 しかも、ノルマ表によって作業は厳しく要求される、初めての現場は工場建設の土工であった。


 ・凍りたる大地に誰か跡付けて

              凍土は鶴嘴つるはし跳ねて返すも

 ・力込め下せば鈍き音立てて

              岩より固く腕をしびらす

 ・その鼻にその目に眉に無情なる

              ユダヤ人なりき我が監督は

 ・長き夜の明けそむれば昼近く

              寒気見にしむシベリアの冬

 ・日暮れたる細き雪道はようやくに

              雪の反射に黒く見えたり

 ・つまずきつ倒れつ友の背を見つめ

              遠き雪道は日暮れて暗し

 ・僅かなる紙切れ集め綴ては

              肌の温かみを守らんとする

 ・バラ積の六〇トンのセメントを

              運べば肌の色変わりたり

 ・泥棒をせよと教える歩哨等に

              守られながら石炭運ぶ


 如何なる国の仕組みか生きるために、我々の手で非合法手段により作業場から一個あてに石炭を運ぶ、見つかれば罰せられるそれは我々であった。

 この作業に増し、また施設よりも食糧の不足こそ耐えられぬものであった。体験者のみ知るものであろう。


 日一日と細り、遂に足首と太股の太さが同じようになった。滋養を奪われ文字通り生と死の接戦をよろめき歩き、次々と死んで逝く第一年の冬こそ地獄そのものだった。

 

 ・一糸をも纏わぬままに凍りたる

            友の遺体に解剖の跡

 ・今日もまたそりに積みたる幾体か

            凍りて固し顔も覆わず

 ・ふるさとの事語りつつその指の

            次第に冷えて呼べど答えず

 ・君の霊ふるさとの地に帰りしか

            やせたる頬に明るさのあり

 ・苦しまずかすみて見えずと我の手を

            とりつつ死にし人幾人か

 ・我もまた巡る定めと覚悟しつ

            冷えたる友の目を閉じんとす

 ・バラックの中は死臭に胸詰まる

            日ごと数増す暗き病室

 ・涙さえ流す気力も今はなく

            ただ見送りぬ順待つ如く

 ・病人が主力となりて健康な

            人を隔離すさまとなりたり

 ・塩水にキャベツ浮かべた水を飲む

            このカロリーはいか程なるか

 ・スプンにて混ぜれば僅か豆の皮

            舞いて上るに怒りを感ず

 ・透き通る程に切りたる一切れの

            黒パンを食う時間をかけつつ

 ・サジに盛る三倍の栗飯盒の

            底に沈むを粥に炊く昼

 ・カロリーの計算早くなりにけり

            我が体力の尽きる日近く


 こうしている内に、満領から押収した籾が大量に入荷す「米に換算していかほど請求したらよいか」と主計の質問に私は倍量と応えた。結局、ソ連側の認めるところなり倍の重量を受領し、これによって急速に体力が増した。


 ・玄米の皮噛み締めつ久々に

            笑い絶なき洞窟の中


恐ろしきはシベリア吹雪。ナポレオンの大軍もナチスドイツ軍の電撃も、また第一次革命の際、攻め込んだ世界列強の各国軍もすべてソ連の極寒に敗れた。

 この寒さの中に猛威を奮う吹雪の凄まじさ。


 烈風に積もりし雪の舞い上がり

            限界零なり息さえできず

 雪除けの板塀激しく揺れ動き

            吹雪鋭く笛吹く如く

 シベリアの吹雪のすごさ地に伏せて

            雪に顔埋めし暫し息する

 舞い上がる雪に息詰めやや暫し

            顔を覆いてその絶え間待つ

 一筋の道も埋もれて形なき

            日暮の帰途は吹雪に見えず

 ライトつけ汽笛吹きつつ機関車は

            速度落として吹雪を走る

 六感に風圧感じ地に伏せば

            頭上をきしみつ汽車走り過ぐ

 爪先で路線探りつ我等行く

            前行く人の背も見えずして

 諦めて命細々今日もまた

            我生き延びぬ吹雪の中に


 入浴とは楽しかるべきもの、しかしソ連に於ける入浴は苦しい一つの行の感じがした。

 二十日に一回の入浴、その目的は衣服の熱気消毒にあった。従って私達はその長い時間、裸のまま洗面器二杯の湯の配給のみで待たなければならなかった。時として水の時もあったが文句を自由はなかった。(ただし、第二年度からよくなった)


 湯の券を一枚持ちて丹念に

             どろとなるまで体を洗う

 キャラメルの如く切りたる石鹸は

             泡をも立てずどろとなりたり

 水風呂の寒さに震え友抱けば

             骨に張りたる皮の弛める

 裸体より発する熱は気味悪く

             湿り含みてむせる思いす

 足踏みし肌すりあって待つ服の

             温きを抱きて声を弾ます


 春の息吹は光に熱に、そしてそれは体内の血潮に敏感に伝わってくる。生き抜いた喜び、ほっとした安心感、思えば文字通り生と死の接線を、よくも生きてきたという感慨は深かった。


 見るものは皆和らぎて目に痛く

             板塀に寄りて春日を浴びる

 芽ぐみたる草を手に取りしみじみと

             その生命を共に喜ぶ

 銃を持つ歩哨にさえも声をかけ

             親しみ覚ゆ知人の如く

 板の塀の彼方に続く丘の上

             登りて見たし胸を張りつつ

 ただ広き原野の如く街のほとりに

             工場あるか煙立つ見ゆ

 なだらかな斜面の黒土耕して

             馬鈴薯植えそむ人の見えたり

 ふるさとは梨の花散る頃ならん

             花の記憶も遠く薄れし

 パラシュート無数に開く青空に

             力の限り叫びて見たし

 彼の丘の彼方にあるか飛行場

             今日も真白きパラシュート咲く

 火打石使う手付きも慣れてこぬ

             綿に火をつけ息吹き掛ける

 屑鉄のアルミ溶かしてサジ作る

             日差し浴びつつ君は無心に

 ともかくも腹満たさんと草食えば

             異常に腹の張りて苦しき


 僅か七、八ヶ月の期間にすべて忘れ去った感じだった。笑うことも感激もすべて遠いものであったが、ある日、花束を持つ女性を見て一斉に感嘆の声を上げ、じっと見送ったその時の色彩は今も残っている。

 美しいというより尊いもののように感じた。


 草花も持つ尊さに声もなく

             息つめて見るただ呆然と

 絵を描きたしと呟く友のその顔に

             生ある人の感動を見る

 友去りてまた友来たる幾度か

             内地帰還も聞き飽きにけり

 

 職場を転々として変わる。戦車工場、脂工場、貨車工場、駅の雑役、土工、建築等々数えきれない囚人が多かった。


 手相みてパンを稼ぎし事のあり

             女の手筋荒れて黒きを

 炭塵たんじんに真黒き顔の女囚等は

             暗き影なく明るさに満つ

 美しき声張り上げて唄う娘は

             いかなる咎めか顔の明るき

 今一度伝えと喜ぶ女囚等に

             我繰り返す君美しと


 昭和二十二年第五収容所に移動す。下士官、兵は帰還だと言って別れ、将校及び大学卒千何人かの人々中で有名人もかなりいた。

 当時、炊事勤務者の不正摘発があり、その後に勤務したお陰で健康を維持することができた。勤務者の中には比較的大衆から批判されない医者が多かった、私は薪割り作業をした。


 腹満ちて我に感激あるを知る

             美しき絵に楽しさ覚ゆ

 力満ち気力溢れぬ恋したし

             いつの日なるか国に帰るは

 やるせなき怒りを込めて薪の飛ぶ

             シベリア吹雪も解ける思いよ

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