友達の詩
一本杉省吾
第1話 春先の夜・1
私は、一体に何をやってんだろう。
横浜市、福富町の繁華街。地下一階にある賑やかなbarに、私は居た。
<同じモノ、くれる>目の前のバーテンに、そんな声をかけて、一枚の千円札を差し出す。このbarは、注文をする事にお金を払うアメリカンスタイル。コースターの横には、お釣りの百円玉が、積み重ねていた。
<ソルティードックです>短的な言葉を添えて、コースターの上に置かれる。ありがとっ、と私も、短的な言葉を添えた。
(僕、いや、私は、何をやってんいるんだろう)又、頭に浮かんだ言葉を掻き消す様に、メンソールの煙草に火を点けている。
このbarには、最近、足を運び始めた。ビリヤード台が二台とダーツが置かれている結構広い店内。私が座るカウンター席の周りは、とても賑わっている。二人以上の複数の仲間で出向くbarなのかもしれない。店内が賑わう中、一人で足を運んできたのは、私ぐらいなものかもしれない。
<ミキさん、今日も、一人なんですね>ドレットヘアーの男性バーテンが、そんな言葉をかけてくる。ミキと云う名前に、少しの違和感を覚える。
<…>ニコッと、愛想笑いを浮かべる私。いつもは、今、名乗っているミキと云う名前に違和感など覚えない。今日の私は、何かがおかしい。時期のせいなのか、季節のせいなのか、春先になると、私の中の何かが、おかしくなるのかもしれない。よく思い返してみれば、毎年そうなのであろう。何かを欲している。人肌を欲している私がいる。
<ミキちゃん、もう一杯作ろうか>私より、二つ年上の女性。このbarのオーナーである。そして、私のファンになってくれている一人でもある。
<うん、お願いしようかな>コースターの横に積み重ねてある百円玉の中から、お金を差し出した。普段は、自分から、お客に声をかけないオーナーであるのだが、それだけ、親しい間柄なのが想像できる。私が、週二回、ステージに立つ横浜のライブハウス。そのステージを見に来てくれるお客の一人で、このオーナーと知り合い、このbarに通い始めた。私は、インディーズではあるが、CDデビューをしている。まだ、アルバイト生活ではあるが、夢は、メジャーデビュー。五年かけて、やっと、その夢の光が見えてきた。
「どうしたの、今日、雰囲気、違うじゃない。」
<フぅん…。そうかな>そんな言葉を添えて、ソルティードックを、コースターの上に置くオーナーに対して、そんな返答をする。確かに、自分でも、気づいている。春先と云うこの時期のせいなのか。いつぐらいからなのだろうか、こんな状態になる自分が嫌だった。
「オーナーさんは、すごいですよね。私より、二つしか、変わらないのに、こんなに立派な店を切り盛りしているのに、私なんて…。」
私が、二十五歳であるから、二十七歳になるオーナー。親しみを込めたのか、名前では呼ばず、オーナーと云うのが、名前みたいなものである。
「何言ってんの。ミキちゃんの方が、自分の夢を追いかけているじゃないの。」
長い髪を後ろで結わいて、ポニーテール姿のオーナーは、煙草を片手にそんな言葉を口にする。
「私なんか、成り行きで、この店をやっているけど…。」
オーナーは、そんな言葉を付け加える。
「私なんて、追いかけているだけ…。現実を見られないだけなの…。」
塩けとウォッカのキツイアルコール、グレープフルーツの酸味が、口の中で広がる中、そんな言葉を呟く。
「ミキちゃん、怒るわよ。私が、どれだけ、あなたの詩に救われたか、現実を見られないだけって…。あなたが現実を見られなかったから、私は救われたのよ。もうちょっと、自信を持ちなさい。」
目元が、一瞬にして吊り上がり、身を乗り出すオーナーの姿に、少し驚く。このオーナーが声を掛けてきたのが、半年ぐらい前の事。知り合って、そんなに時間が経っていない。自分の性格からなのか、人と親しくなるのに、時間がかかってしまうのに、目の前のオーナーとは、言葉を交わしただけで、親しみが湧いてきた。ライブ終りに、声を掛けられ、その日の内にお酒を飲みに行く事など、私にとって、皆無に近い。
「聞いてんの。しっかりしなさい。何があったのか知らないけど、もっと、自分に自信を持ちなさい。」
真剣な表情で、檄を入れられる。いつもは、こんな愚痴を言わない私が、今日は、やはり、変である。オーナーに、叱られても仕方がないぐらい、いつもの私ではなかった。
<…>何も言わず、コクリと頷く。とても、うれしく思う。こんなに親身になってくれる女性が、近くに居てくれる事を、とても、うれしく思う。でも、あの事を口にしたら、離れていくのだろうか。私が、背負い込んでいる重身。一生逃れられない重身。それを口に出してしまったら、この喜びが、失われてしまうのでないだろうか。喜びと一緒に、そんな不安に襲われていた。
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