第四話「猫」
「帰る」
彼女は僕の存在など最初から無かったかのように立ち上がった。
「駅まで送ります!」
突然のことに慌てて言ったが、彼女は首を横に振る。僕はなにかやらかしたのだろうか、と思い巡らせているうちに、彼女が小走りに遠ざかっていった。
ブランコの前で立ちつくし、唖然としている僕。彼女の姿が薄暗闇に混ざり消えていく。
気がつけば、僕の足は勝手に動き出していた。なんとか先輩に追いつくことに成功し、遠目に確認する。
彼女は公園の入口で一瞬立ち止まり、人気のない木々の奥へと歩を向け直す。どこに行こうとしているか分からないが、僕は急いで後を追った。
その先で、彼女は大きい石を両手で握りしめ、獣のごとく背を丸めていた。
視線の先には、おそらく先ほどブランコの前に出てきた猫がいた。
「先輩、何をしてるんですか!」
彼女は乱れた呼吸のまま、ゆっくりと振り返った。
その眼は怒りに溢れ、食いしばった唇は歪んでいる。
無表情な仮面が剥がれ落ち、生々しい激情が彼女を支配していた。
「だって……キミ、私に脳みそを食べさせてくれないじゃない! だから、この子の脳みそを……」
石を握りしめた手が震え、猫へと伸びていく。
僕は急いで彼女の手首を掴み、石を振り落とそうと懸命に力を込める。
「やめてください! 猫を殺すなんて……絶対にダメです!」
必死の思いで石を叩き落とし、猫を逃がすと、彼女を抱きしめた。
小刻みに震える肩は、触れる僕に刺さるほど硬直している。
何度も先輩を呼びかける声が、木々の騒めきと共鳴する。やがて疲れ果てたように、彼女の体からゆるやかに力が抜けていった。
「すみません、落ち着きましょう」
僕は魂が抜け落ちたような彼女の手を引き、ベンチまで連れて行った。
思えばはじめて先輩と手を繋いだはずだが、そこには青春のきらめきなど微塵も感じられなかった。その小さな手を握りながら、僕の手は人間より冷たいので気づかれないか不安になる。
そっと横に腰を下ろしながら、買ってあったミネラルウォーターを差し出すと、彼女は夢遊病者のような面持ちで、一口含んだ。
数秒の永遠とも思える沈黙の後、先輩は足元に広がっていく闇の中へ、言葉を落とすようにつぶやいた。
「もういいよ。キミの脳みそなんて、どうでもいい。代わりに……私と、一緒に死んでくれない?」
僕は首を横に振りながら、かろうじて声を絞りだす。
「先輩、何を言って……」
だけど彼女の言葉は止まらない。
「本当は誰でもよかった……。私と一緒に死んでくれる人なら、誰でも。君じゃなくても、良かった……」
返す言葉が見つからない。彼女の絶望が、痛いほど伝わってくる。
「僕は先輩を……死なせたく、ないですよ……」
先輩の唇がかすかに歪むのを見た。
ただ無力さだけが、この場を支配する。何かを言わなければと焦っても、喉は砂漠のように乾いて、息苦しさだけが残る。
このまま先輩を放ってはおけないので、一緒に駅まで行こうと伝える。最初は拒絶されたものの、半ば強引に説得してどうにか歩き出させた。
黒く沈んだ公園の出口までの道のりは、出口のない迷宮のように長く感じる。
人気のない近道を抜けると、ようやく駅前の商店街の灯りが漏れ始めた。暗闇の包囲から解き放たれたような安堵感に、呼吸が少しだけ楽になる。
駅の改札近くまで来ても、先輩はうつむいたまま。無言で振り返ることもなく、構内へと消えていった。
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