第4話 報告
「すまない。もう一度言ってくれ」
「はい。クリス様は予定していた勉学の範囲を既に終えられました」
執務室で、アルバはクリスの近況をシルに尋ねた。
先刻にクリスが外出許可を求めた事に対し、その可否を判断するため。どちらかと言えば否定するためだろう。
しかし、彼女からの返答は予想だにしないものだった。
「いやあり得ないだろう。あやつの成績は学年でも最下位だ。あの遅れを取り戻すのにかかる時間は決して短くない」
現在クリスは王立学園の三年に在籍している。
全てにおいて高い資質を求められる王立学園生であるため、その三年で習う範囲は膨大なものとなる。
高密度の授業についていけずほとんどの生徒は高い料金を払って、学園外でも家庭教師を雇ってなんとか後れを取らないようにしている程だ。
「こちらを」
アルバの考えは手に取るように分かる。
発言している自分自身でも頭がおかしくなったのではとシル自身で考える程だ。
魔法の類で化かされているのではと、一度精密な検査も受けた。
問題ないという相手に何度も聞き返し肩を揺すったのは申し訳なかったと記憶の中で謝罪する。
シルは手元からクリスに解かせた複数の回答用紙をアルバへと手渡す。
「ふむ」
回答用紙を手渡されたアルバはそれらに目を通す。
選択問題や単語だけの回答は、模範解答を盗み見ればどうとでもなるために後に回し、記述式の問題を確認する。
問題の内容は過去問からの抜粋だ。
とはいえ解いたのはあの問題児。過去問をまともに解いた事も無いであろう事は分かり切っている事であり、なにを書いたのか想像もできない。
問題は答案に不正解を示すチェックが入っていない事。
回答に目を通すアルバは数秒してぴくりと目元が動く。目を細めながら口元に手を持っていき思案顔を浮かべた。
(王道の参考書からのものもあれば、随分とマイナーな研究書物から引用しているものもあるな。一部は私も耳にしただけのものまで)
さっと見ただけでもこの回答者が聡明であることは一目瞭然だった。
呼んできたであろう書物も十やそこらではないだろうと察することができたのは、アルバ自身が知識を重要視し日頃からよく資料を目に通すからだろう。
前世の記憶を思い出したクリスだが、彼の常識はまだこの世界では常識とはなっていないことが複数ある。
魔法理論や古代語の解読などは顕著で、時代遅れの模範解答では逆に不正解となっている箇所もあった。
「今あやつはなにをして過ごしている?」
「日の殆どを訓練をされておられます」
「訓練? パークスからそのような報告は上がっていないが」
パークスとはアルバが所持する騎士団の団長を担っている男だ。
堅実を体現したような性格で、日々邁進している。
「トレーニングと申しましても、騎士団で行われるようなものではありません。部屋の中で、筋力を鍛えているようです」
「内容は?」
「腕立てや腿上げ、スクワットなどで全体的な筋力向上を意図しているものと思われます。また、途中から魔力を用いた身体強化も使用されていました」
「身体強化だと?」
火力の高い魔法だけに注視していたクリスを見ているアルバは信じられない思いで思わず聞き返す。
「にわかには信じられないな。『前線に出るような肉壁が使用する下賤の魔法』とまで言っていた奴だぞ?」
しかしシルが報告内容を意図して誤っている可能性は低い。
それよりかはクリス本人の精神に変化があったと考えた方が幾分か現実的な結論にいきつく。
(実技で恥をかいたのが相当効いたか)
それも最弱クラスのスライムに負けたのだ。
直接的に嘲笑の声でも聞いたのなら、プライドの高いクリスも平常ではいられなくなるだろうと。
より悪化した方面にいきそうなものだが、なにがトリガーになったのか体を鍛える方向に向かったと言うなら良い傾向だ。
この頃、クリスのことで悩み続けて不眠気味になっていたアルバだが、今日は少し深く眠られる気がした。
「にわかには信じられない成績ではあるが、今度あ奴には口頭問題で私が確認するとして取り敢えず隅に置いておこう」
成績に関しては、授業内容をある程度理解できる領域にさえいれればいいと思っている程度。もしもこの記述が本人が考えてできたのなら儲けものだろうと考える。
まあ欲を言えば学年平均の点数にでもなれば鼻が高い結果だ。
社交の席で、『クリス君は最近噂に事欠かなくて良いですなぁ。なにか特別な育て方でもされているので? うちの子は大人しくて仕方がない。是非ともご教授願いたいものだ。はっはっは!』と言われた際には顔の表情を保つので精一杯だった。
当の貴族の子息も念願叶って学園に入学できたようだが、成績は下の方だと聞く。
もしもその子息以上の点数を取れたら肩で風を切って息子を自慢できるのだがと、淡い期待を抱いたところで一度棚に上げる。
「日常生活についてはどうだ?」
この質問にはシルが選出された理由を含んだ問だ。
クリスの悪癖は主に女性関係の者が多い。見目の整っていて、容易に手が出せる格下の相手に対してのものが殆どだ。
シルが選出された最大の理由はその悪癖の強制だ。
もしもクリスが手を出してこようものなら死なない程度で抵抗して構わないとアルバが指示を出している。
「はい。主に自室で書物を読んでおられます。その他には一度屋敷内でナーラに話しかけられているのを確認しております」
「トルの娘だな。なにか用があったのか」
「ナーラに聞いたところ、彼女に懐いている精霊について質問されたと言っておりました」
「精霊か」
精霊は簡単には手が出せない領域にいる種族だ。
なにに興味が出て精霊について尋ねたのかはアルバには判断が付かなかったが、知られていない邪法でも用いれば悪用も可能かもしれないと飛躍した考えが浮かぶのは、やはりまだクリスが常人とは違う思考をしていると脳裏に記憶しているからだろう。
その判断は正しく、もしも前世を思い出していない場合に精霊に目を向けたのだとしたら誰にとっても悲惨な結果に向かっていたはずだ。
「君自身はなにかされた覚えは?」
「特にございません」
「ふむ、そうか」
意外に思ったのが五割、まだ理性を働かせることができたことに対する安心で残り半分と言った感情。
シルはその見目で他人の感情を大きく動かし間違いを起こさせる程には目を引き付ける。
閑散とした村で生まれた彼女は、まだ幼いながらも既に異彩を放っていた。
端から見れば、小汚い小石が入っている籠の中に何故か真珠が間違って入っているかのように錯覚するかもしれない。
それか
ともすれば、突出した容姿というのはいいことだけではない。
目が眩んだ両親によって彼女は商人に売られた。
奴隷という身分は存在しない国だが、内密に人身売買するような悪事を続けているものは存在したのだ。
ただ彼女は運が良かった。いや、まず売られたこと事態がマイナスと考えるのならましだったと形容するのが正しいだろう。
手遅れの事態に発展する前に、アルバが商人組織を摘発したのだ。
そして保護された彼女は、アルバ自身に願い出てこの公爵邸で働かせて貰っているという過去を持つ。
「すまないが引き続きクリスのことを頼む」
「承知いたしました」
シルの中でアルバを困らせるクリスは有罪。
もしも主君のお子でなければ、罪状を見る限りナイフの錆びにしている可能性は高い。
クリスの矯正ができなければ・・・・・・
その時がこないことを祈りつつ、シルは了承する。
当のクリスは既に矯正どころか人格すら変わっていることにはまだ気付かないでいた。
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