太陽のプリズム

 朝日が差し込む部屋に、虹のような淡い光が揺れている。

 カーテンの隙間から漏れた陽射しが、布団のシワにゆっくりと影を落とし朝の訪れを教えてくれている。耳をすませば、小鳥の囀りが遠くの窓から聞こえてくる。

 清々しい朝だ、と虎道は思っていただろう。

 ……布団越しに馬乗りになる妹さえいなければ、の話だが。


「とらくん、起きろっすー!」


 満面の笑みを浮かべた少女の名前は絵馬。

 虎道と卯衣にとってはひとつ年下。灯未とは同い年であるが、戸籍では新城家の次女になる。

 染めたものではない自然な美しい金色の髪に、宝石のような碧い瞳。顔立ちは日本人の血が混じったハーフかクォーターのようだが、黙っていればまるで人形のように整った容姿をしている。

 もっとも、彼女が物静かにしている姿など想像も出来るはずがないのだが。


「とらくんいつも朝早いから、一回こうやって起こしてみたかったんだよね」


 得意げな顔をする絵馬。何がそんなに楽しいのか。その無邪気さに、虎道はふと視線を逸らしながらため息をついた。けれど、肩がほんの少し緩んだことに自分で気づく。


「とらくん、今笑ってた!」


 絵馬が目を輝かせながら顔を近づけてくる。虎道はわずかに眉を動かし、表情を消すように視線を逸らした。


「……別に笑ってない」

「うそだよ、いつものむすーっとした顔じゃなかったもん」

「俺の顔なんてどうだっていいだろ」


 そう言いながらも、虎道は無意識に顔を引き締めた。


「ほら、今はむすーってしてる。でも、さっきはちょっとだけ笑ってた。今はむすーってしてるけど」

「……俺が笑おうか笑わまいが、何の影響もないだろ」

「だって笑い顔なんてスーパーレアだもん! とらくん、いっつも眉間にしわ寄せて小難しい顔してるし」

「お前は俺の顔をガチャか占いだと思ってるのか?」


 この次女は一言でいえば“天真爛漫”。喜怒哀楽がストレートで、まるで感情を飾ることを知らないような子だと虎道は感じた。彼女と過ごすこの数日間で、それだけははっきりとわかる。

 たとえば笑うときは思い切り顔を輝かせ、感動的なドラマを観ているとすぐに目を赤くして涙を流してしまう。そんな全力の彼女に妙に羨ましさのようなものを覚えた。


 そういえば卯衣も言っていた。


『絵馬ちゃんは家族の中心みたいな存在だよ』と。


 その慌ただしさで、絵馬はあっという間に虎道と卯衣を懐柔してしまったらしい。

 気づけば二人も自然と彼女を妹として受け入れ、絵馬に対して兄や姉のように振る舞うようになっていた。

 こうして絵馬の明るさに引っ張られるようにして、虎道と卯衣の距離も自然と縮まっていったという。後からやってきた気難しい灯未が自分たちに心を開いたのも、そんな絵馬による存在がきっと大きかったのだろう。

 ぎこちなさのあった会話は、気づけばごく当たり前のものになり、互いを家族として認め合う形が少しずつ出来上がっていった。

 それはまるで、彼女の明るさが家族の新しい形を作り上げてしまったかのようだった。


「とらくーん、笑って〜」

「…………」


 虎道の頬をぐにぐにと引っ張りながら、絵馬は未だに笑顔がああだこうだの問答を続けている。


 まだ幾ばくか寝ぼけた頭で思う。この妹はまるで太陽そのものだ。どこにいても明るくて、時に迷惑なほど騒がしいけど、確かに周囲を照らしている。

 そしてその光は、こうしていくつもの色になって、家族全員、あるいは彼女に接するすべての人に届いているのだろう。


「あ、こんなことしてる場合じゃないや。とらくん、もうすぐシャインメイガスの時間だよ」

「シャイン、メイガス……?」


 虎道が眉をひそめると、絵馬は大げさに手をバタバタさせながら説明してくる。


「それも憶えてない? とらくんも好きな鋼鉄戦士シャインシリーズの最新作。ほら」


 絵馬が指差す方向。虎道の机の棚に、とあるヒーローの精巧なフィギュアが飾られている。


「あれはとらくんが特に好きなやつ。シリーズ五作目の、電気の力で闘う鋼鉄戦士シャインスパーク!」


 ぼんやりとフィギュアを眺める。

 その姿には確かに見覚えがある気がしていた。

 目を引くのが、頭部に輝く稲妻を模したエンブレムを付けた兜とアメリカンフットボールの防具のように大きく張り出した肩アーマー。

 よくよく見るとそれらの真紅の鎧のようなパーツより、黒を基調としたボディスーツ部分のほうが多数を占めているのだがシンプルながらも力強い印象を受ける。


「昭和の鋼鉄戦士はあの目の部分が劇中、暗闇でぼおって、光るのがいいんだよ。平成のピカーってやつも悪くないけどさ」

「目……」


 緑の瞳は稲妻の激しさとは対照的に、静かでどこか神秘的な光を湛えている。それが全体的なデザインと相まって頼もしさを覚える。


「絵馬の目と同じ色だ」


 ほとんど無意識にそんなことを口に出してしまう。


「ふふっ。何を隠そう、うちの瞳には正義の使者、シャインスパークの魂が宿ってるんすよ! まあ、うち的にはシリーズ三作目のシャインパイレーツのほうが━━」 

「綺麗だな」

「ふへっ」

「あ」


 まただ。新城虎道という人間はこうも考えたことをすぐ口にしてしまう性格なのか。

 そのたびに相手を困らせるのではないかと不安になるが、絵馬は耳まで赤くしながら照れくさそうに笑っている。

 その笑顔を見ると、楽観的にまあいいか、と思ってしまう自分がいるのだった。


「シャインスパーク……か」

 

 ぽつりと呟く。

 その名が胸の奥底で、魂と共鳴しているような気がする……。

 気がつけば体が勝手に動き、斜めに掲げた左手を右手で擦り付けるような動作をしていた。

 ずっと昔、誰かと一緒に夢中で真似をした記憶がぼんやりと蘇る。


「おおー!」


 絵馬の拍手と歓声が、その曖昧な記憶を明るく塗り替えて行くのだった。


「そのポーズ、シャインスパークの変身ポーズっす!」

「……お前が小学生に上る前から、DVDで一緒に見てたっけ」

「思い出した!?」

「ちょっとだけ、だけどな」


 虎道は「はあ」と大袈裟にため息をはいた。


「ほんの少しとはいえ、せっかく記憶が戻るならもう少し違うキッカケが良かったな……」


 虎道のぼやきに、絵馬はあっけらかんと笑う。


「とらくんらしいよ!」

「あまりうれしくないな……」

「他に何か思い出した?」

「ん……いや……」

「お弟子さんのこととか」


 絵馬はベッドの端に腰かけて、足をぶらぶらさせながら虎道を見上げる。


「弟子……?」

「新城一味のこととか!」


 そのまま勢いよく立ち上がり、虎道の目の前に飛び出すようにして指を突き出した。


「何だそれは……?」

「うーん……。じゃあ昔、とらくんがちょっと問題児扱いされてたこととかさ」

「それは……少し思い出した。本当にうっすらとだけど、ずっとケンカばかりしていたような気がする」


 虎道が言葉を選びながら答えると、絵馬は頷きながら続けた。


「うん。でもそのケンカってね、いじめをしてた相手を許せないとか、そういうのばかりだったんだって。やり過ぎなぐらい相手をボロボロにしてたらしいけど」

「あまり褒められる行動じゃないな」


 虎道が短く息をつくと、絵馬は少し笑いながら言葉を重ねる。


「そうかもね。でもさ、困ってる人たちはきっと本当に助かったんだと思うよ。他の人たちはたぶん見て見ぬふりとかしてたのに、とらくんが正面から『ダメだ』って言ってくれるから。とらくんは昔からそんな人たちや、うちらのヒーローだったんだ」

「…………」

「シャインスパークも口が悪くて誤解されたり、間違えて仲間同士で闘いを始めようとしたりそそっかしいところもあったけど、今じゃ伝説の鋼鉄戦士の一人って言われてるんだ。トラくんはシャインスパークみたいな人っす!」


 絵馬が勢いよくそう言い切ると、何だか鋼鉄戦士シリーズを観たい感情が大きくなってきた。


「そろそろ始まる時間だろ。顔洗って寝癖直したら行く」

「うん! じゃあ、とらくん、約束!」


 そう言いながら小指を突き出してくる絵馬。


「こんなことでか?」


 虎道が眉をひそめると、絵馬は笑顔のまま肩をすくめた。


「こんなことで、っす。へへ」


 その笑顔は無邪気で、どこか懐かしいものを思い出させるような感覚を虎道に抱かせた。

 少し戸惑いながらも、虎道は小指を絡めた。


「ゆびきりげんまん、嘘ついたらトラくんの靴にプリン詰〜める! ゆびきった!」


 絵馬が小指を絡めながらニヤリと笑う。


「それは…………嫌過ぎるな」


 虎道は思わず顔をしかめた。

 絵馬がいたずらっぽい表情をする。


「でしょ? 食べ物を粗末に扱ったらダメなんだよ」

「粗末に扱おうとしてるのはお前だろ」

「うん。だから、妹に過ちを犯させない為にも“お兄ちゃん”はちゃんとしないとね」

「……なら守らないとな、約束」


 虎道は苦笑しながら呟いた。

 絵馬は満足げに頷き、小指を離すと今度は拳を握りしめて大きく宣言する。


「守らなきゃとらくんの靴がプリン祭りになるからね! ひひ!」


 絵馬がけらけら笑う。

 虎道が溜息をつくと、彼女は「ねえねえ、とらくん」と虎道の袖を引っ張る。


「とらくんさ、みんなにって言われてるんだよ」


 突然の言葉に、虎道はぱちぱちと目を瞬かせる。


「とらくんはうちの自慢のお兄ちゃんっす!」


 絵馬の声はどこまでも明るく、けれどその瞳の奥に微かな誇らしさが浮かんでいた。その視線に気づき、虎道は目を逸らすしかなかった。



 言いたいことだけ言うと、絵馬はさっさと部屋を出て行ってしまう。その背中からは、まるで太陽のような輝きが漏れているかのようだった。


 虎道は起き上がると、朝の光に目を細める。

 眩しい光の中、妹たちと過ごす日常が今日も始まる。

 騒がしくて、でもどこか温かいその時間が、これから先も続くのだろうか━━そんなことをぼんやりと思った。

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