第24話 冬の肝試し
1.
冬の寒さが窓を曇らせる夜、東京魔術倶楽部のソファでは海軍少佐、河村学が新聞を広げて読みふけっていた。大きく見出しに掲げられたのは、現在進行中のロンドン軍縮会議の記事だ。
「この軍縮で、私もクビになれば良いんですがね……」
河村は自嘲気味に独りごとを言うと、泉屋のクッキーをつまみ、冷めた紅茶を口に運んだ。彼は軍医ではあったが、実は情報将校でもある。その仕事が平穏なものではないことは、自らが一番よく知っていた。
そんな中、扉を乱暴に開けて田中が顔を出した。お調子者の彼は、何か面白い企画を思いついたらしい。
「おい、橘さん!幽霊が出るって噂の青山の洋館で、肝試ししませんか?」
田中の話によれば、青山の高台にある廃墟と化した洋館に、夜な夜な幽霊が出るという。落第した大学生が自殺しただの、陸軍に追われたスパイが潜んでいるだの、噂話には事欠かない場所らしい。
「幽霊屋敷か。それは面白そうだ。」
橘が身を乗り出す。橘は魔術倶楽部の中でも自由人で通っており、こうした突飛な企画には興味を示すタイプだ。
「俺なんて放校されても生きてるのに、落単ごときで幽霊になる奴の気が知れないな。」
一方で、伊達政弘は田中の話を渋い顔で聞いていた。伊達は東京帝国大学の教授で、こうした非科学的な話にはあまり興味を持たない。 「馬鹿げている。関わるだけ時間の無駄だ。俺を誘うな」そんな顔をして橘を見ている。
「幽霊が出たらきっと楽しいですよ!探検に行きましょう。」
田中は会員に声をかけて回っていたが、寒さのせいもあり皆気乗りしない様子だった。
河村はしばらく黙って話を聞いていたが、伊達と橘を小さく手招きした。
「橘さん、伊達さん、ちょっと。」
広げた新聞で視線を隠し、声をひそめて話をする。
「あの洋館、ゴロツキが根城にしているって噂もありますからね。田中さんみたいなのが行けば、いいカモになるでしょう。」
伊達は田中に冷たい視線を投げた。
「痛い目を見れば少しは学ぶだろう。」
河村も田中をちらりと見やり肩をすくめて言う。
「青山は陸軍のお膝元ですから、私は参加しませんよ。」
「じゃあ、危ないからやめさせるか。」
橘はそう言って、少し考え込み、突然顔を輝かせた。
「浅草で和製切り裂きジャックが出るって話はどうかな?」
「和製切り裂きジャック?」
伊達が訝しげに聞き返す。
「まあ、俺の創作だ。ほら、田中はホームズ好きだろ?英国ネタなら釣れると思うぜ?」
橘が得意げに言った。
「まあ、せいぜい頑張れ。」
伊達は興味なさげに応じたが、橘はにやりと笑って伊達を見た。
「そうだ、伊達。マントとシルクハットを持ってたよな?」
「絶対にご免だ!」
伊達は即座に拒否したが、トランプゲームで負けた結果、仕込み役を引き受けざるを得なくなった。
「浅草であれば私も参加しましょう。」
河村は笑いながら新聞をたたんだ。橘が誘うと、田中は案の定、浅草の和製切り裂きジャックに食いついた。
2.
翌日の深夜、橘、河村と田中は浅草駅に集まった。木枯らしが吹く中、街灯がぼんやりと照らす人通りの少ない路地を、橘が先導する。
「このあたりで女性が襲われたそうだ。」
橘は作り話を織り交ぜて田中を煽る。
「襲ったのはシルクハットにマントの男、被害者は一命を取り留めたものの未だに入院中らしいぜ。」
「本当ですか!?」
田中は怯えつつも興奮している。震えているのは恐怖のせいか、寒さのせいか。
しばらく歩くと、霧が立ち込めたような薄暗い場所に差し掛かった。路地の奥に、動く人影。三人の前に現れたのはシルクハットを目深にかぶり、黒いマントを羽織った男。その手には冷えた月に照らされたナイフが光っていた。
「で、出た!」
田中が悲鳴を上げた。橘は、伊達もなかなかやるなと、大げさに驚くふりをしながら後ずさる。しかし、河村は何の演技もせず冷静に男を観察していた。
「おい、河村どうかしたのか?」
橘が河村の表情に気づくが、河村は何も言わず、マントの男を睨んでいた。
河村の気迫におされたように、男は橘たちを一瞥すると、踵を返して逃げていった。
「追いかけた方が良いかな?」
橘が尋ねるが、河村は首を横に振る。
「ここでやめておきましょう。」
こうして切り裂きジャックツアーは解散となった。
3.
翌日、田中は昨日の出来事を興奮気味に話して回った。その様子を見た橘は伊達に上機嫌で話かけた。
「昨夜の迫真の演技、なかなか良かったぞ。」
しかし、伊達は申し訳なさそうに橘に謝った。
「何のことだ?悪いが、昨夜は実験が深夜まで及んで浅草には行けなかった。」
橘が困惑していると、新聞を読んでいた河村が静かに口を開いた。
「通報はお任せしますよ。」
橘がその言葉の意味を考える間もなく、河村は微笑みながら席を立った。
数日後、新聞には「和製切り裂きジャック捕まる」との記事が掲載されていた。警察のパトロール強化の甲斐もあり、被害者は出ずに済んだという。
橘の気まぐれが巻き起こした夜の騒動は、意外な形で幕を閉じたのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます