#2 ログハウス

中に足を踏み入れると、古い木の香りが鼻をついた。薄暗い室内は陽光が差し込む箇所だけが明るく、埃が光の中を漂っている。内部は意外にも整然としており、乱雑な雰囲気はない。まるで誰かが定期的に清掃しているかの様だ。


ふと、壁に掛けられた姿見が目に入る。自分の格好はオリーブ色のジャケットにカーディナルレッドのインナー、そして裾を縛られたオリーブ色のカーゴパンツ。

薄汚れた白い肩掛け鞄を下げていた事に今気づく、もっともその軽さから中身は恐らく空だろう。


「我ながら、サファリパークに来るにしては割とガチめな格好だな……」


そう呟いてから部屋を見渡すと、壁際に木製の棚が並び、いくつかの雑貨が無造作に置かれているのが目に入る。棚には古びたランタン、錆びついた工具、そして数冊の本が並んでいる。その隣にはには小さなテーブルと椅子があり、その上には薄い布がかけられていた。布の下には何かが隠されているようだ。


「……なんだ?」


呟きながら、そっと布をめくる。そこには、手帳と卓上小型無線機のようなものが置かれていた。手帳の表紙は擦り切れており、無線機は見た目には古そうだが、まだ、動きそうに見える。


「物は試し……」


そう呟いて、無線機の発話機を取り上げてみた。発話機の感触は冷たく、少し湿っている。どこかで聞いたことがあるような古いデザインだが、今の自分にはその正体を特定する記憶がない。


「……もしもし、聞こえますか?」


試しに声をかけると、少しの間沈黙が続いた。しかし、突然「ザザッ……」と音が入り、無線機が微かに反応したように見えた。


「聞こえますか!」


少し声を張り上げて再び問いかける。しかし、無線機から返ってきたのは雑音の混じったノイズだけだった。


肩を落とし、発話機を机に戻そうとした瞬間――


「……こちらは……応答……」


かすかに聞き取れる声が無線機から流れ出した。それは人間の声であることに間違いなかったが、途中で雑音が重なり、はっきりした内容は聞き取れない。


「聞こえる! ここにいる! 応答してくれ!」


声を張り上げ、必死に叫ぶ。しかし、音声はまたしても雑音に埋もれてしまう。そのまま数秒間、何度も呼びかけるが、やがてプツンと音は途切れ、静寂だけが残った。


「……畜生、壊れたか?」


失望感と疲労感が胸に広がる。


無線機を机に置き直し、椅子に腰を下ろす。肩を落とし、深く息を吐いた。わずかに得られた希望が再び霧散したような感覚はかなりの精神的なダメージを与えた。


まだ、手帳がある。この中に何か手掛かりがある筈。


自分にそう言い聞かせ、手帳に目を向けた。手帳の表紙をそっとめくると、中には雑然とした文字や図形が書き込まれていた。まるで、何かの調査記録や個人的なメモのようだった。ページを慎重にめくりながら読み進めると、簡単な地図のようなものが描かれていた。それは、この森を中心にしたエリアマップのように見える。現在地と推測される場所には「調査拠点B」と書かれ、その近くには「退避地点」の文字が記されている。


「……退避地点?」


地図によると、このログハウスから北西方向に少し進めば到達できるらしい。もしかすると、そこに誰かいるかもしれない。あるいは、さらに手掛かりが得られる可能性もある。


その時だった。


「ここハ、スタッフ用エリアでス。」

「うおッ!?」


突然の声に驚き、椅子を蹴り飛ばしそうになるほど跳ね上がった。慌てて声のした方向に視線を向けると、そこには一匹の小柄なマスコットキャラクターのような物が立っていた。


「こんにちハ、ゲストさん。ドコに行きたいのカナ?安全の為二、ボクが案内するヨ」


ネコ科動物の様なケモノ耳、尻尾、二本足のついたタマゴのような体型をしている寒色のボディの"ソレ"は胴体には首輪と思しき黒いベルトに装着された謎のレンズ状のパネルをチカチカと光らせながらコチラに目を向けていた。


大きさは膝下程度のソレに激しい警戒心を抱きながらも、ゆっくりと先程飛び上がった反動で落ちたブーニーハットを拾い上げながら口を開く。


「お前は何者だ?名前は?」

「はじめましテ、ボクはラッキービーストだヨ。君の名前を教えテ」


「……名前?」


そう尋ねられた瞬間、自分の名前を思い出せないことに気づいた。脳裏に浮かびそうで浮かばない、その曖昧な感覚が胸をざわつかせる。


「すまん……わからない」


短く答えると、ラッキービーストは小さく首を傾けたように見えたが、すぐに平然とした声で続けた。


「大丈夫だヨ、記憶が無くても、ボクが安全に案内するかラ、安心してネ。」


その平然とした声に少し肩の力が抜ける。とはいえ、この状況でのんびりしていられる余裕はない。自分がここで何をしていたのか、何故こんな状態になっているのかを知る手掛かりを探さなければならない。


「案内出来るって言ってたな。とりあえず、『退避地点』って場所に行きたいんだが、そこまでお願い出来るか?」


ラッキービーストは少しの間静止した後、「検索中……検索中……」とレンズ型のディスプレイをチカチカさせていた。


「検索終了。パーク内に『退避地点』という場所は無いヨ」

「それならこの手書きの地図に書いてあるこの場所、わかるか?」


そう言って手帳を開き、地図をラッキービーストに見せる。


「スキャン中……スキャン中……」

ラッキービーストは目を緑色に点滅させながら、数秒の沈黙の後に答えた。

「その地図ハ古い情報を元にしているカモしれないネ。『退避地点』は、地図上のデータでは近くのチホーアーケードになっているヨ」

「チホーアーケード?」


地図を見つめながら、耳に馴染みのない名前に眉をひそめる。ラッキービーストは続けて説明を始めた。


「チホーアーケードはパーク内に点在する商業区画の事だネ。緊急時の安全設備が整っているカラ、退避地点として運用された事もある可能性が高いネ。」


「なるほど……そのチホーアーケードに行けば、何か分かるかもしれないってことか。」


ブーニーハットを深くかぶり直し、手帳をしっかりと肩掛け鞄にしまう。いまだ霧の中にいるような状況だが、行き先が分かっただけでも前進だ。


「よし、じゃあ案内を頼む。」


「了解。安全ルートを選択して案内するヨ。ついてきて。」


ラッキービーストは小さな足でちょこちょこと動き出した。その後ろ姿を見ていると、どこか愛らしいようで頼りなさも感じるが、今はこのロボット?に頼るしかない。自分の足元を確かめながら、その後を追う。


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