第2話 おかしな政略結婚
翌朝。
王都にある公爵家のタウンハウスでは、ロザリンダがあきらめたような表情で、熱い紅茶を口に運んでいた。
「ステフ、あなたは子爵令嬢でしょう? トリッシュ男爵家って、聞いたことがある? 超貧乏男爵家であること以外に。できれば……四男様のお人柄とか」
ステフはそう言われて、少し困ったような表情になった。
「それが。あまりにも貧乏すぎて、いっさい社交の場には出られていないと聞きました」
ロザリンダは「ああ……」とため息をつくと、天井を見上げた。
平常心、平常心、と声に出してつぶやく。
「長男の方は、辺境伯家で従騎士をされているそうです。まだ、騎士に叙勲されるための資金がないとか」
「…………」
「次男の方は、外国に武者修行に出られたとか。ああ、剣ではなく、大店を持つ商人の見習いで」
「…………」
「三男の方は、ええと、学問がよくおできになり、とある学者の方の助手として住み込みでお手伝いをされているとか」
「…………」
「……四男の方は、ひきこもりで、領地のお屋敷の敷地内に小さな家を建てて、一人暮らしをなさっているとか?」
「はぁ!?」
ロザリンダは、口元に手をやり、思案にくれた。
(誰が領地経営を手伝っているのかしら。どなたも、家にお金を落とすことはないような)
「それとですね。ええと……お兄様方が全員、家を出られているので、男爵家を継ぐのは、四男様ではとの噂も」
もう我慢できない。
ロザリンダは思わず叫んだ。
「男爵家を継ぐ!? それって、資産を!? それとも負債!?」
***
それから四日後。
大慌てで領地から戻ってきた公爵夫妻は、ロザリンダと話し合った。
まるで冗談のような婚約破棄だったが、夜会に出席していた貴族達の前で行われたのが痛かった。
王家からは、今から取り消すのは難しいだろう、との見解が伝えられた。
「それでも、内々には、ロザリンダの有責ではなく、あくまで婚約解消として処理されることになったのよ。これも内々に、迷惑料としてなかなかしっかりと補償をいただいたから、全額、男爵家への持参金として、持っていくといいわ。あ、いざという時のために、あなた名義の信託ももちろんありますからね。そうだ、後で条件を見直しておかないと」
「お母様……」
ロザリンダが公爵令嬢としては、現実的な質なのは、この母の影響が大きい。
話は決まった。
つまり、ロザリンダはトリッシュ男爵家の四男に嫁ぐことになったのだ。
***
ロザリンダを乗せた馬車が、トリッシュ男爵領を走っていた。
農地は少し荒れているようだったし、唯一の町もまた、あまり繁盛しているような雰囲気ではなかった。
雑貨屋やパン屋が並ぶ大通りに、古びた教会が見えた。
「ロザリンダさん、ようこそ、いらっしゃいました」
「ロザリンダさん、遠いところ、よく来てくださったね」
町外れに建っている男爵家の屋敷に着くと、人のよさそうな老夫婦が、ロザリンダを出迎えてくれた。
しかし、ステフがロザリンダの手荷物を抱えて、女主人の背後に立っていても、屋敷から誰か召使いが手伝いに現れる様子がない。
老夫婦に案内されながら、サロンへと向かったロザリンダとステフは、嫌な予感に、顔を合わせた。
屋敷の中に入っても、家令や執事はおろか、侍女の一人も見かけない。
ロザリンダは困惑しながら、義理の父となるトリッシュ男爵に声をかけた。
「あの……荷物を置きたいのですが、どなたか、手伝ってくれる方は———」
「ああ、それなんだが、ロザリンダさん。実は、我が家には、召使いはいないんですよ……」
「はい?」
「悪いわねえ。公爵令嬢のあなたをお迎えするのに、召使い一人いなくて」
「ま、まあ。それでは、お食事の支度や、お掃除などはどなたが———」
男爵夫妻が説明したところによると、普段は家のことは四男のシルヴィアンがやっているそうだった。
料理は通いの料理番に頼み、掃除は近所の農家の奥さんに頼んでいる。
「ステフ」
「はい、お嬢様」
侍女のステフはロザリンダの意を察すると、一礼して、屋敷の奥へと消えた。
キッチンを探して、お茶を入れるためだ。
しばらくして、無事にステフが茶器とともに現れると、ロザリンダは切り出した。
「それで、シルヴィアン様は、どちらにいらっしゃるのですか?」
***
ロザリンダは、ステフと共に、草原の中を歩いていた。
シルヴィアンの暮らす『離れ』には、小道を伝っていけば着く、と言われたが、その小道そのものが途中で消えてしまったのだ。
幸い、草原の先に、ぽつんと小さな家が見えていた。
家の前には、つる薔薇のアーチが作られ、ガーデンテーブルとチェアが置かれている。
柵で囲まれた庭には、白、ピンク、赤、紫、黄色など、あらゆる色の花をつけた薔薇の茂みが、至るところに育っていた。
「これは、すごいわね。薔薇がよほどお好きなのね」
ロザリンダは見事な薔薇の花に感心して、庭を眺める。
その時だった。
シルヴィアンが一人で住んでいるはずの小さな家に、たくさんの人の気配を感じた。
ドアが開いて、小さな女の子が、胸に大切そうに薔薇を一輪抱えて、飛び出してきた。
家の前に立派な馬車が止まると、なんだかえらそうな様子をした紳士が降り立ち、ロザリンダの前を素通りして、ノックもせずに家の中に消えた。
「…………?」
「何でしょうね、お嬢様?」
ロザリンダとステフは顔を合わせる。
来客だろうか?
家の中から、裕福そうな様子をした中年の女性が現れ、薔薇の花でいっぱいにしたバスケットを、にやにやしながら眺めている。
「ふふ。これだけ売りさばけば、ちょっとしたものになるわねえ」
「奥様、シッ、誰か知らない人がいますよ」
そう侍女に言われ、中年の女性はぎこちなくバスケットを体の反対側に持ち直した。
ロザリンダの前を、さっと素通りしていく。
「……何なのでしょうね、お嬢様」
「嫌な予感がするわ。さあ、行きましょう」
ロザリンダは、思いきって、声もかけずに、玄関のドアを開いた。
すると、家の中には、あふれるほどの薔薇の花を入れた箱を前に、一人一人に薔薇の花を配る、一人の青年の姿があった。
「シルヴィアン様、ありがとうございます。いただいた薔薇のお花で、病気の母が起き上がって歩けたのです!」
「枯れそうだった畑の作物が、急に元気に!!」
「子どもの高熱が、一晩で下がりました!!」
「よかったですね。いつでも必要な時には来てくださいね」
「はい、シルヴィアン様、ありがとうございます!!」
ロザリンダは、白い大輪の薔薇の花を一本手に持った青年を見つめた。
薔薇と青年。
この組み合わせが、こんなに美しいと思ったのは、初めてだ。
背の高い、ほっそりとした姿。
男性にしては細すぎる、かもしれない。
さらりとしたまっすぐな銀色の髪が、背中に流れていた。
色白で、整った顔だち。
切れ長の目元と、うす紫色の瞳。
ロザリンダは声を失った。
(なんておきれいな方なのかしら!)
彼自身がまるで、薔薇の花のようだった。
「あなたは……?」
シルヴィアンがようやく、玄関で立ち尽くしているロザリンダに気がついた。
しかし、最後まで言葉がつむがれることはなかった。
シルヴィアンの手から、薔薇の花がぽとりと落ちる。
シルヴィアンはそのままゆっくりと、床の上に崩れ落ちたのだった。
「シルヴィアン様!!」
ロザリンダは叫び、慌ててシルヴィアンの元に、駆け寄った。
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