第27話:育まれる真実の愛と魔王の死
「サマル、今日の夕食は本当においしかったね!」
ムーンベリクの王女は満足そうにベッドに腰掛けた。その動きに勢いがつき、彼女の身体が軽く跳ねる。さきほどの食事会で見せた淑やかで落ち着いた佇まいとはまるで別人のようだ。そこにいるのは、明るくお転婆な女の子そのものだった。
サマルティアの王子は、そんな彼女をそっと見つめていた。
王女の心は一度壊れていた。ローランシアの王子――ローラン――への深い想いが、彼女を追い詰め、その純粋な愛が招いた不貞という名の愚行が彼女の心を砕いたのだ。しかし、夫の献身的な支えもあり、時が経つにつれて、彼女は再びその笑顔を取り戻しつつあった。それは、3人で冒険していた頃のような、無邪気で屈託のない明るさだった。
ただ、人前では別だった。王子の妻としての立場をわきまえ、王女らしい品のある振る舞いを忘れることはない。微笑み一つとっても完璧で、気品に満ち溢れている。だが、こうして二人きりになると、その緊張はふっと解け、自由な姿が顔を出すのだ。
サマルの胸が詰まる。この無邪気な笑顔こそ、彼が愛した彼女そのものだ。王族としての重責を背負う彼らにとって、このひとときの自由は何にも代えがたいものだった。
「明日も早いし、もう寝よっか。」
ムーンが頬を赤らめながら言った。ベッドの端で、彼女はわずかに身を揺らし、サマルを誘うような視線を送る。そのしぐさには、どこか可愛らしさと恥じらいが混じっていた。
二人には、王族として果たさなければならない「使命」があった。それは、次の世代を生み出すという大切な役割だ。子をもうけることは、彼らの責務であり、未来の希望でもあった。
サマルは彼女にそっと歩み寄り、優しく頷く。
「そうだね。そろそろ休もうか。」
月明かりが窓辺から差し込み、二人の影を薄く照らす。重なり合う影は、未来へと続く新しい道を示しているようだった。
*****************
ムーンは静かに目を閉じた。肌に触れるサマルの手は、かつてローランが与えてくれた激しさとは違っていた。力強くもなく、熱も少ない。しかし、それを冷たいと感じたことは一度もなかった。
結婚当初は、彼を受け入れるたびに鈍く体に響く感覚に戸惑った。ローランとの日々を思い出すたび、胸の奥が小さく痛む。サマルとの行為が、どこか物足りなく感じたのも事実だった。愛が足りないのではないか。自分が彼に向ける想いが薄いのではないか。ムーンはその鈍さをそう解釈していた。
しかし、時が経つにつれ、彼女の考えは変わっていった。
サマルの手は、いつも彼女を傷つけないようにそっと触れる。それはまるで、壊れやすいガラス細工を扱うような、慎重な愛情のこもった動きだった。その穏やかなリズムの中で、ムーンは自分が少しずつ変わっていくのを感じた。今では、この鈍い感覚が心地よいと思うようになった。それは激しい快感ではなく、ゆっくりとした波のように彼女の中に広がっていくものだった。
「ん…」
ムーンは、声を漏らしそうになるのを抑えた。
こんなに静かで浅い感覚なのに、どうしてこんなにも彼を求めるようになったのだろう。
サマルの手が彼女の腰に触れる。ムーンは無意識のうちに、彼に自分の感じる部分を押し付けていた。はしたない。そう思いながらも、体は正直だった。彼もそれを感じ取ったのか、同じ場所を確かめるように押し返してくる。
「…いい。」
思わず言葉がこぼれる。
二人が同じタイミングで動いている。心も体も、ひとつに溶け合っているような感覚。それが彼女にとって、この上ない心地よさだった。
鈍い感覚は、いつしか濃密になっていく。身体の奥がじわじわと熱を帯び、彼の動きが重なるたびに、その熱がさらに広がっていく。静かで、穏やかで、しかし確かに高まっていく感覚。ゆっくりとした波が大きなうねりに変わるのを感じながら、ムーンは彼の名を小さく呼んだ。
「サマル…」
二人の間にあった静けさが、最後に深い息遣いに溶けていく。ムーンは彼の胸に顔を埋め、心地よい余韻に浸った。愛とは何か。激しさがなくとも、こんなにも満たされることがあるのだと、彼女は今ならわかる。
ムーンはそっと目を閉じた。
激しさではなく穏やかさが支える愛。そこに、彼女は新しい自分を見つけた気がした。サマルと共に歩む道が、彼女にとってかけがえのないものだと実感しながら、彼女は深い眠りへと落ちていった。
********************
ローランの剣が魔王の胸に深々と突き刺さった。
その瞬間、血のような黒い光が滲み出し、魔王の身体が痙攣する。明らかに致命傷だ。
長きにわたる死闘だった。しかし、ついに英雄の末裔たちは魔王を討ち取ったのだ。
「英雄の末裔どもめ!」
魔王は顔を歪めながら叫んだ。だが、苦痛の中にどこか高揚感すら感じられる不気味な笑みが浮かんでいる。
「かくなるうえは、お前たちも道連れにしてくれるわ!」
その言葉と同時に、魔王の身体が膨れ上がり始めた。鈍く、不気味な光を放ちながら、周囲の空気が揺らめく。誰がどう見ても、これは自爆攻撃だ。
「おいおい、死闘を繰り広げた相手への敬意が足りないんじゃないのか?」
ローランが息を荒げながら毒づく。口元にはまだ微かに笑みを浮かべている。
「はっはっは!」魔王の笑い声が響く。
「我は数百年の時を超えて必ず蘇る。そして、お前たちをここで葬ることで、純粋なる英雄の血脈は途絶える。次こそは我が世界を手にする時代が来るのだ!」
その狂気じみた笑い声に、サマルは肩をすくめながら疲れ切った顔で答えた。
「こんな楽しそうな断末魔の叫び、初めて聞いたよ。」
剣を地面に突き立て、その柄に身体を預ける。サマルの声には余裕があったが、その呼吸は浅く荒い。体力も魔力も、すべて使い果たしていた。
「ごめんね、転移魔法を使う魔力、もう残ってないや。」
ムーンが顔を青白くしながら笑みを見せた。状況は最悪だが、どこか晴れやかな表情だった。
3人は互いに目を合わせた。その瞳には、言葉にしなくてもわかる確信があった。
――ここが終わりの場所だ、と。
魔王の身体が限界を迎えたかのように膨張し、漆黒の光が一気に放たれる。その光は周囲を飲み込み、岩を砕き、空間を歪めていった。そして、闇はすべてを呑み込んだ。
********************
気付けば、闇は消え去っていた。
星明りが、あたり一面に降り注いでいる。
魔王の闇はすべてを薙ぎ払い、その居城の天井すら跡形もなく吹き飛ばしていた。
「僕は……生きている。」
サマルはぼんやりと空を見上げた。鎧はひび割れ、体中が傷だらけだった。それでも、全身に感じる痛みが確かに彼が生きている証だった。
「ローラン!!」
ムーンの叫び声が静寂を切り裂いた。彼女は、二人の前に佇む黒い塊のようなものへと駆け寄った。熾火(おきび)がそこら中でくすぶり、黒い煙が漂う中、その塊だけが異様な存在感を放っていた。
それは、両手を広げたまま凍り付いたように動かない。まるで、サマルとムーンを庇うために、その身を盾にしたかのようだった。
「ローラン……」
ムーンは膝をつき、その黒い塊に手を伸ばす。指先が触れたそれは、硬く冷たい。信じたくない現実がそこにあった。
それは間違いなく、「ローランだったもの」だった。
彼は最後の力を振り絞り、仲間を守るためにその命を捧げたのだ。
「ローランシアの王子さまぁぁぁ……」
ムーンは震える声で彼の名を呼びながら、その場に崩れ落ちた。両手で顔を覆い、嗚咽を上げる。いつも気丈だった彼女の肩が、今は小さく震えていた。
サマルはその場に立ち尽くしていた。
魔王の闇が押し寄せる直前、確かに彼は聞いた。ローランの声だ。
「俺は十分楽しんだ。お前にも楽しむ機会を与えてやらなくちゃな。」
その言葉には、恐怖も後悔もなく、ただローランらしい皮肉交じりの明るさがあった。
「おいおい……死ぬ間際に何言ってんだよ。」
サマルは思わず口元を歪めた。それが笑みなのか、悔しさなのか、自分でもわからない。ただ一つわかったことがある。
「おまえには……一生、叶わない。」
サマルはふと星空を見上げた。ローランのいない未来が、この空の下に広がっている。そう思うと、胸の奥がきしむように痛んだ。
ムーンの嗚咽が続く中、サマルはようやく前へ一歩踏み出した。彼の足元で、熾火が小さく弾けた音が聞こえた。それでも、その歩みは止まらない。
「ローラン、お前が守ったもの……俺たちが背負っていくよ。」
その声は低く、誰にも届かないほど小さかったが、誓いそのものだった。
********************
「ローランシアの王子さまぁぁぁ……」
ムーンの声が、静かな夜の空気を切り裂いた。
彼女は夢の中で、何か悲しい光景を見ているのだろう。
さきほどまで無邪気な微笑を浮かべていた寝顔は、いつの間にか苦しげな表情へと変わっていた。まつげの間から涙が溢れ出し、サマルの服の袖を濡らしていく。
「どんな夢を見ているんだ、ムーン……」
サマルは彼女を起こさないように、そっとその頬を流れる涙を指でぬぐった。その指先に感じる冷たい感触が、彼女の悲痛さを無言のうちに伝えてくる。
こんな顔を見るのは、ローランが死んだあの日以来だ。
あの時も彼女は、絶望の淵に立たされていた。誰よりも明るく振る舞っていた彼女が崩れ落ち、涙を流したあの瞬間を、サマルは忘れることができない。
かつてムーンが不貞を働き、涙ながらに謝罪したときですら、ここまでの悲痛さを感じたことはなかった。それほどに、ローランの存在は彼女にとって特別なものだったのだ。
「ローラン……」
サマルはぽつりとつぶやいた。
心の奥底で、誰にも言えない嫉妬と敗北感が渦巻く。ムーンの心を最も深く揺さぶる存在は、自分ではなくローランだという事実。彼がどれだけ努力しても、決してその場所に届かないのだと、今更ながらに思い知らされる。
「やっぱりお前は特別だよ。一生叶わん。」
その言葉は、誰に向けられるでもなく消えていった。サマルの顔に浮かんだのは、わずかな笑みと苦しげな影だった。
月明かりが、ムーンの濡れた頬を静かに照らしている。彼女の涙の理由を知ることはできなくても、サマルはそっとその肩を抱き寄せた。
せめて今は、彼女が少しでも安らげるようにと願いながら。
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