第19話 揺れる思いの行方

アルトリウス王国とヴァルヴァリス帝国との長き戦いは、依然として混迷を極めていた。前線の一翼を担う第七機甲騎士団の陣営では、わずかな休息の合間にも警戒態勢が続き、兵士たちの疲労は限界に近い。それでもリオンとエリスは、互いを呼び捨てにするようになってから、ほんの少しだけ心の距離が縮まった。荒涼とした戦場の中でも、互いの声を聞くたび、気持ちが軽くなるのを実感している。


前夜に続き、早朝から小競り合いの兆しがあった。偵察隊が戻ってくるたび、帝国軍の斥候らしき動きが確認されていると報告される。夜通しオメガフレームを待機させていたリオンは、朝焼けが空を染め始めてもコックピットに残り、発進の合図を待っていた。


「リオン、眠れてないんじゃない? 少し交代して休んだほうがいいよ」

エリスが通信で声をかけてくる。彼女は数時間だけ仮眠を取れたらしく、少しは回復しているようだが、それでも疲労の色は隠せない。

「そうだけど、今は大丈夫。エリスこそ休んでないだろ? 大規模侵攻が近いって隊長が言ってるし、念のために待機しておきたいんだ」

「そうだね。……でも、無理しないでよ。リオンが倒れたら困るんだから」

エリスの声は穏やかだが、言葉の端々にリオンを心配する気持ちがにじみ出ている。いつも落ち着いて見える彼女が、こうして少しだけ感情を覗かせてくれるとリオンの心は不思議と温まった。


二人のやり取りを微笑ましそうに聞いていたエルドが通信越しに茶化す。

「おーい、そっちはイチャついてるのか? カールさんに叱られちまうぞ」

「エルド、そういうわけじゃないよ!」

「だよねぇ。まあ、そっちの仲良さは隊内でも有名になりつつあるし、いいんじゃない?」

エルドの軽口にリオンは苦笑を漏らし、エリスは「からかわないでよ、エルド……」と少し赤面する。荒涼とした最前線に漂う張り詰めた空気の中で、こんな些細な会話が交わされること自体が、二人の間にできた小さな安らぎだった。


陽がすっかり昇ったころ、ギルフォードの副官が司令テントに兵士たちを招集する。リオンもエリスも急ぎオメガフレームを降り、テントへ駆け込んだ。そこでは、地図を前に隊長と数名の士官、そしてカールとエルドが真剣な表情で話し合っている。

「どうやら帝国軍はまた部隊を増強しているみたいだ。インフェルノフレームをさらに追加投入するという情報が入った」

ギルフォードは地図上の数か所を指し示しながら続ける。

「北東方面の斥候戦が小康状態にあるが、今度は正面から本隊が攻めてくる可能性が高い。早めに防衛線を再編し、前回以上の布陣で迎え撃たねばならん」


「だけど、僕たちの消耗も激しくなってる。補給も追いついていないですよね?」

リオンが沈痛な面持ちで問いかけると、エリスも端末を開きつつ口を挟む。

「ええ、物資の在庫は確かに減ってきてる。補給隊の到着までは時間がかかるみたいだから、当面の対応を考えないと……」


ギルフォードは深いため息を吐き、地図をぱんと叩く。

「いずれにせよ、ここを放棄するわけにはいかん。増援も間に合わない以上、我々の力だけで何とか踏ん張るしかない。漆黒のフレームがまた現れてくれる保証は皆無だ。今回はあまり期待するな」


作戦会議が終わり、リオンたちは配置についた。予想どおり、帝国軍は早朝のうちから北東で小競り合いを起こし、正面の守りを手薄にさせようとしている節があった。カールとエルドが先行してその抑えに回り、リオンとエリスは中央に残って即応態勢を整える。

「エリス、弾薬は大丈夫?」

「ええ、ギリギリ足りると思う。もし足りなくなったら後方で補充するわ。リオンは機体の方、もう大丈夫なの?」

「なんとかね。整備班の皆のおかげで随分良くなったよ。あとは帝国軍の規模が大きすぎなければいいんだけど……」


そんな会話を交わすうちに、偵察班から「帝国の主力部隊らしき大群がこちらへ向かっている」という知らせが入る。案の定かもしれないが、リオンは息を呑まずにはいられない。連日の激戦で仲間たちの疲労は深刻だし、王国軍がいつまでも漆黒のフレームの“奇襲”に頼るのも限界がある。

「ここで大敗すれば、帝国の進撃を止められなくなる。絶対に踏ん張るんだ……!」

エリスも頷き、少し震える手で端末を握りながら、「そうだね、頑張ろう」と決意を示す。呼び捨てで名前を呼び合うようになったとはいえ、まだお互いを気遣いながら敬語が混ざることもある微妙な距離感。しかし、その関係もまた二人の心を励ましてくれていた。


午前中を過ぎたあたりで、遠方から赤い影が多数接近する。インフェルノフレームが多数確認され、隊長の指示で王国軍が布陣を広げて迎え撃つ。リオンはオメガフレームに搭乗し、エリスは中距離支援に入る。

すぐに怒号と爆音が入り乱れる。帝国軍の砲撃が防衛線を撃ち抜き、火の手が上がる。あちこちで味方フレームが被弾し、隊員の悲鳴が通信に乗る。そんな凄まじい戦火のなかでも、リオンとエリスは息を合わせ、少しでも損害を抑えようと努力する。


「リオン、あの敵機を狙って! 脚部を壊せば動きが鈍るはず!」

「分かった、やってみる!」


リオンの射撃とエリスの援護が合わさり、1機のインフェルノフレームを足止めできた。だが、すぐに別の敵が横から回り込み、二人を挟撃しようとする。

「くそっ……数が多い!」

リオンが唇を噛む。エルドやカールが北東から戻っていない以上、中央の兵力は十分とは言えない。もしこのまま押し切られたら、防衛線は一気に崩されてしまう。


前回までの戦闘で、王国軍は漆黒のフレームによって何度か救われる形となってきた。しかし、今回の激突では、一向にあの存在は姿を見せない。中には「もう現れないんじゃないか」という声も聞こえる。

実際、漆黒のフレームが味方なのかは不明で、敵の帝国を斬っては消えていく“ロストテクノロジーの怪物”とも言うべき存在。期待してはいけない、と隊長にも念押しされているが、王国兵たちが心のどこかで淡い希望を抱くのも仕方ない。

「俺たちだけで守らなきゃいけない……分かってる。だけど、この数は……!」


激しい砲撃を浴びながらリオンが踏ん張るが、次第に押され気味になっていく。帝国の火力は予想以上で、部隊の陣形が崩れ始めると一気に不利になるのは分かりきっていた。エリスの通信も悲鳴に近いノイズが混じり始める。

「リオン、機体が思うように動かない……!」

「大丈夫か、エリス! 僕がカバーする!」

弾幕をかいくぐってエリスのフレームへ接近し、インフェルノフレームを牽制する。しかし、それでも全てを抑えるには限界があった。


ついに王国軍が崩壊寸前に陥ったその瞬間、再び戦場を照らす奇妙な輝きがあった。暗雲の垂れ込める空に、漆黒の魔法陣が走り、空間そのものが歪んだかのように閃く――。

「また……来たのか……」

リオンが震える声で呟くや否や、黒き巨影が地面に着地して衝撃を放つ。いっきにインフェルノフレームへ斬り込みをかけ、その無慈悲な剣で何機も両断していく。まさに悪夢のような光景。王国兵でさえ震え上がるその圧倒的な戦闘力には、毎度言葉を失う。

敵の指揮官らしきフレームが徹底抗戦の構えを見せるが、漆黒の刃は容赦なく腕を斬り落とし、退避する隙さえ与えない。周囲のインフェルノフレームが総崩れになり、王国軍は潮が引くように戦いの勢いを取り戻してゆく。


エリスの通信が混線のなかで途切れがちに届く。

「リオン……またあれが……」

「ああ、漆黒のアストラルフレーム。今回も帝国を蹴散らしてる……」

内心ほっとする一方で、リオンは胸に小さな痛みを感じる。自分たちは結局、またこの謎の存在に頼ってしまった。帝国を守るのは自分たちの使命のはずなのに――そう思うと無力感が押し寄せてきた。


クラウス大尉が指揮を執っていたはずの帝国軍は、漆黒のフレームの介入によって再び撤退を余儀なくされる。指揮系統が崩れ、多くのインフェルノフレームが破壊されていく光景は、王国兵から見れば「救い」である一方、あまりに圧倒的すぎる破壊力は畏怖をももたらした。

やがて、帝国軍が姿を消すのと同時に、漆黒のフレームもまた空に歪むような動きを見せ、闇へ溶け込むように消失する。いつも通り、正体を露わにすることはなく、戦場に吹き荒れる血の残響だけを残していった。

「あれはいったい……何なんだ……」

リオンはオメガフレームのコックピットで疲労感に身を委ねながら、心の底で問いかける。周囲の兵士も「救われた」と喜ぶ者と、「あまりに不気味だ」とおののく者に分かれ、混乱している。


エリスが声を震わせながら呼びかけた。

「リオン、帰還命令が出たみたい。まずは被害状況をまとめて、次に備えないと……」

「ああ、分かった。すぐ向かうよ」


夜が深まり、陣営に戦闘の後片付けと負傷者の救護が行き届く頃。長かった一日の終わりを迎えるはずだが、兵士たちは興奮と疲労で眠りにつくこともできない。

リオンは機体を整備士に預け、ふらふらとテントへ戻る途中、エリスが資料を抱えて歩いている姿を見つけた。彼女もかなり消耗しているに違いないが、その足取りは意外にしっかりしているように見える。

「エリス……大丈夫か? ほんとに休んでないだろ?」

「うん、大丈夫。でもさすがに疲れた。リオンこそ、ちゃんと寝てよ。明日も警戒態勢なんだから……」


呼び捨てで名前を交わすことが、二人にとって自然になりつつあるとはいえ、まだ少し照れは残る。戦火の中で育まれた仲間意識と、互いをかばうように戦ううちに芽生えた淡い感情。それは陣営の騎士たちにも“いい雰囲気だ”と囁かれるほどだった。

だが、二人にとってはそれどころではない。漆黒のフレームが今回も救った形になったことで、王国軍が自力で戦い抜く意義や、自分たちの存在意義に疑念を感じざるを得ないからだ。

「いつか、本当に自分たちだけで帝国の大軍を止められる日が来るのかな……」

リオンの弱音にも似た思いが漏れると、エリスは弱い笑みを浮かべて答えた。

「大丈夫、リオンは強いよ。それに、私たちもいるから。いつかきっと、この戦いを終わらせられる」


漆黒のフレームは味方なのか、敵なのか――。誰も真実を知らないまま、二度も三度も助けられている王国軍。帝国にとっては脅威だろうが、王国にとっても完全に安心できる存在ではない。

隊長や上層部はこの状況をどう捉えているのか、リオンやエリスには分からない。ただ、帝国がこのまま引き下がるとは思えず、彼らの苦悩は続くのが確実だった。


夜半、テントに戻ったリオンは仮眠を取ろうとベッドに倒れ込むが、なかなか寝付けない。エリスの言う「大丈夫」という言葉に支えられたい自分と、漆黒のフレームに依存せざるを得ない現実に対する苛立ちが交錯し、頭の中でぐるぐると思考が回る。

一方、エリスも仮眠を取るための毛布を引き寄せ、暗いランタンの光の下で微かに震える吐息を漏らしていた。呼び捨てで呼び合えるようになったリオンとの距離感が嬉しくもあり、今後の戦いに関する不安も尽きない。それでも、彼の笑顔が浮かぶと、ほんの少しだけ心が安らぐのを感じる。


夜明け前に起きた激戦は、一応のところ王国軍の勝利に終わった。しかし、次の戦いがいつ始まるか分からない。漆黒のフレームが再び姿を見せるのかどうか――それはもはや王国軍の誰もが期待しているが、同時に恐れも抱いている奇妙な存在となっていた。

リオンとエリスは、ほんの僅かな期間でお互いを呼び捨てで呼ぶようになり、心を通わせ始めている。だが、その先にあるのはさらに激化するであろう戦場。彼らの思いは熟する間もなく、朝が来れば再び銃火と爆音に包まれる日々へ戻らなくてはならない。

それでも、二人は自分たちが共有した小さな時間を胸に、明日も戦う決意を固めるのだ。アルトリウス王国を守り抜くという使命、それにどこか混ざる互いへの淡い感情が、疲れた体と心をほんの少しだけ支えている。

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