第18話 揺れ動く心、交わる視線
アルトリウス王国とヴァルヴァリス帝国の戦いが激化して、どれほどの日が経っただろう。僕――リオンは前線で何度も出撃を繰り返し、疲労の限界に近づきながらも、仲間とともに防衛線を守り抜いてきた。
そんな状況の中、王都から異動してきたエリスは、いつの間にかこの部隊に馴染んでいる。彼女の落ち着いた物腰や的確な判断が、僕たちの疲れをほんの少しだけ和らげてくれる。もっとも、ここしばらくまともに休めていないせいもあって、僕の頭はずっと戦闘のことばかり。気づけば、彼女とじっくり話す機会もあまりなかった。
しかし今日――ようやく一息つける時間があった。小規模な出撃を終えたばかりで、次の帝国軍の動きが明確になるまで少し猶予ができたからだ。
夕闇が迫る陣営のテント群を抜け、僕は岩肌の多い小高い丘へ向かう。そこは部隊の中でも見晴らしが良く、兵士たちが時々気分転換に訪れる場所でもあった。高台からは遠くの地平線が見え、ヴァルヴァリス帝国の方角には薄暗い雲が漂っている。
「ここにいたんですね、リオンさん」
後ろから聞こえた声に振り向くと、エリスが立っていた。長い黒髪が風に揺れて、少し涼しげな目元からは優しさと芯の強さが同居する光が垣間見える。
「エリスさん。偵察から戻ったんですか?」
「はい。隊長のお手伝いで少し外を回ってきました。大きな帝国軍の動きは確認されていませんが、油断はできませんね」
僕は岩の上に腰を下ろし、空を見やる。「そうですね……。僕たちも、次の出撃に備えておきたいところです」
エリスは僕の隣まで歩いてきて、やや照れたように視線を外した。「あの……実は一度、リオンさんとゆっくり話してみたかったんです。いつもすれ違いばかりでしたし、最近は出撃続きで……」
「え……あ、そうなんですか。僕も、エリスさんとはきちんと話したいと思ってました。お互い新人に近い立場で、隊長に迷惑かけないように必死にやってるけど、なかなか話す機会もなくて」
そう言って僕が笑うと、エリスもかすかに頬を緩ませる。王都育ちの彼女と比べれば、僕は辺境の出身で、そもそも視野が狭いんじゃないかと思うことが多かった。でも、彼女はそんな僕の劣等感をまったく気にしていないようだ。
「リオンさん、これからは……その、敬語やめませんか? 私も同じくらいの年なのに“さん”付けって、何だか距離を感じてしまって……」
「え……ああ、確かに。僕たち、ほぼ同期みたいなものですし……」
急にタメ口というのも変な気はする。でも、エリスの言葉には親しみがこもっていて、僕は嬉しさと少しの照れを感じていた。
「じゃあ、呼び捨てで……いいかな?」
「うん。……呼んでみて?」
エリスがわずかに上目遣いで待っている。その姿に、僕は胸が妙にドキドキしてきて、少し息を整えてから口を開いた。
「……エリス、これからもよろしく」
たったそれだけなのに、心臓が跳ねる。エリスも顔を少し赤らめ、「ありがとう……リオン」と柔らかく笑う。その瞬間、風が吹き抜けて、彼女の黒髪がふわりと広がった。
こうして、僕たちは初めてお互いの名前をストレートに呼び合った。長い戦いのせいで疲弊した心が、ほんの少しだけ軽くなる感覚に包まれる。
それから僕たちは、丘の上でしばらく言葉を交わした。王都から来たばかりのときの苦労、僕が王国騎士団に憧れて田舎から出てきた話……互いにくだけた口調で話し始めると、今まで気づかなかったことに気づき合う。
エリスは王都の騎士学校で学び、それなりにエリートコースを進んできたけれど、それゆえに現場の荒々しさに驚くことも多かったという。一方で、僕は騎士になったばかりで、防衛線の過酷さに最初は圧倒された話をする。
「お互い、大変だったんだね」
「うん。でも、リオンがいてくれるから……あ、何だか変な感じ。ずっと“さん”付けだったから」
エリスは楽しそうに肩をすくめる。僕はそんな彼女の表情を見ていると、戦場で感じる恐怖や疲労がほんの少し和らいでいく気がした。人の温かさに触れると、こんなにも気が休まるのかと改めて思う。
夜が深まり、僕たちは陣営へ戻ることにした。だけど、帰り道の途中で再び警報が鳴り響き、兵士たちが慌ただしく走り回る光景が目に飛び込んでくる。どうやら、帝国軍の小規模な斥候が近づいているらしい。いつも通りの小競り合いかもしれないが、油断はできない。
「エリス、一緒に出撃しよう」
「うん、分かった」
呼び捨てで呼び合う決意をしたばかりなのに、状況は容赦なく先を急がせる。僕たちは急いでオメガフレームのある整備区画へ向かい、それぞれ搭乗準備に取り掛かる。
発進準備を終えた頃、カールさんが無線越しに声をかけてきた。「リオン、エリス、出動命令だ。今回は帝国の斥候隊だから、規模は大きくないはず。だが油断は禁物だぞ」
「了解です。僕たちが最前線に出て偵察を兼ねます」
「よろしく頼むよ。隊長はまだ本隊を動かすほどとは言ってないが、早期察知が大事だ」
オメガフレームを駆って出撃した僕たちは、北方の谷を抜け、帝国の斥候隊らしき部隊と接触した。確かに大規模ではなく、フレームの数も10機程度。だが、その中には量産型インフェルノフレームが混ざっているのを視認できる。
「エリス、気をつけて。インフェルノフレームがいる」
「うん、分かってる。リオンは僕の左に回り込んで、射撃の援護をお願い」
フレーム越しでも、エリスの声がどこか親密に感じられる。僕は言われた通り左側に展開し、射撃を浴びせる。一方、エリスは機体の機動力を活かして視線誘導をしながら、遠距離からの狙撃で帝国のフレームを牽制する。
激しい火花が散る中、僕たちは数分の攻防で帝国の斥候隊を押し返すことに成功した。幸い、相手は偵察を優先するのか深追いせずに撤退していく。
「ふう……助かったね、エリス」
「リオンが援護してくれたおかげだよ。まだ大丈夫そう?」
「うん、僕の機体も軽い損傷だけ。エリスの方は?」
「ちょっと装甲が削れちゃったけど、整備すれば何とかなるよ」
戦闘が終わると、急に安堵感が押し寄せ、僕は思わず笑みがこぼれる。こんな短時間でもヒヤリとする瞬間が多かったし、何より“エリス”の名前を直接呼ぶだけで少し緊張してしまう自分がいる。
エリスも「なんだか呼び方に慣れてないね」と可笑しそうに言う。だけど、ぎこちなさを感じながらも、お互い下の名前で呼び合えることが嬉しいのだと、僕は感じていた。
帰還して整備班に機体を預けると、カールさんや隊長から簡単な状況説明を受けた。どうやら、先ほどの斥候隊は帝国本隊の一部ではなく、まだ偵察を行っている段階らしい。
「大規模侵攻の前触れじゃなきゃいいが……。しばらくは警戒だな」
カールさんが渋い顔をして言うと、隊長も同意する。「王国も増援を回せる状況じゃない。リオンとエリスの連携は助かったが、次も斥候だけで済むかは分からないぞ」
僕たちはそれぞれに応えつつ、エリスと視線を交わす。先ほどの呼び捨ての関係が何だか照れくさくて、周囲の兵士に気づかれないように笑みを交わす。
戦いはまだ続くし、帝国との本格衝突は遠くない。だけど、その合間に小さな心の変化が訪れ、僕たちはお互いの存在をほんの少しだけ意識し始めていた。
夕食を簡単に済ませたあと、エリスと僕は食料庫の在庫確認を手伝うことになった。隊長からの指示で、「新人は補給管理の実情も知るべき」という名目だったが、実際は人手不足が深刻なのだろう。
「リオン、そっちの棚は大丈夫? 記録と数量が合ってるか確認して」
「ええっと……缶詰が3箱で、乾パンが2箱……OKだね」
こんな地味な作業でも、不思議と楽しく感じるのは気のせいじゃないと思う。エリスと並んで作業していると、気負いなく話せる。それに、お互い呼び捨てで呼び合うようになったせいで、距離が縮まった気がする。
「リオン、君って結構几帳面なんだね。数字の照合作業がすごく早い」
「そんなことないよ。エリスこそ、物資管理とか慣れてるでしょ? 王都で騎士学校行ってたって聞いたけど、そっちでもこういうのやったの?」
「うん、王都でも演習や後方支援の講義があって、実務に近い形で学ぶ機会があったんだ。でも、実際の戦地ではまた勝手が違うね」
大した会話でもないのに、なぜか楽しい。僕の心が少しだけ軽くなっているのを感じながら、作業を続けていると、外でカールさんが「おい、そろそろ終わったかー?」と声を上げた。
棚から顔を出すと、カールさんは腕組みしながら苦笑している。「二人とも、なんか雰囲気が変わったな。……いや、いいことだ。兵士同士、仲がいいのは悪いことじゃないし、隊長も安心するだろうさ」
「からかわないでくださいよ……!」僕が顔を赤らめると、カールさんは肩をすくめた。
「ハハ、悪かった。ま、ゆっくりやってくれ」
こうして補給庫の作業を終え、テントへ戻る道すがら、エリスが「リオン、ありがとう。今日はいろいろ話せてよかった」と微笑んでくれた。僕も同じ気持ちだったから、自然と笑みがこぼれる。
「僕こそ、エリスと呼べるようになるなんて思わなかったよ。敬語じゃないってだけで、こんなに会話がしやすいなんて……不思議だな」
「うん、私もまさかこんなに早く呼び捨てにできるとは思ってなかった。リオンのこと、もっと知りたいし、これからもいろいろ教えてね」
「僕で良ければ、いくらでも。……ありがとう、エリス」
二人並んで暗い夜道を歩く。陣営の焚き火の光が遠くに揺れ、兵士たちの話し声がかすかに聞こえてくる。戦争が続いている現実は重いが、それでも人が生きていくための“少しの余裕”をこうして見つけることはできるのだ、と僕は思った。
翌朝、また少し帝国の斥候が出没したらしいという報告が入る。大規模な襲撃ではなさそうだが、近くに本隊が控えている可能性は捨てきれない。警戒態勢は続き、僕たちはいつ出撃してもいいように準備を整えた。
エリスとの関係が変化したからといって、戦いの厳しさが和らぐわけではない。ただ、僕の心には確かな安心感が芽生えていて、今なら少し無理をしてでも陣地を守れる気がした。
「エリス、僕たち、次の出撃も頑張ろう」
「うん、リオン。一緒に、アルトリウス王国を守り抜こう」
その言葉が妙に嬉しくて、僕はコックピットで微笑む。帝国との戦争は遠からず大きな波を迎えるだろう――量産型インフェルノフレーム、そして謎の漆黒のフレームがどのように動くのか。未来は混沌としている。
それでも、エリスを呼び捨てで呼べるようになったこの一歩が、僕の戦意を確かに支えてくれていた。
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