第6話
語るは老人。その内容は訥々としつつも十分に練り込まれてきているようであった。社会のぜんまいに遣わされた人であると言う一点だけで貴文はそれを疎んじる。
もしやこやつは俺自身の幻覚が作り出した妄想かもしれぬ。その思考がようにこびりついていたのだった。そうでなかったとして、同様の存在である蓋然性を否定できなかった。つまるところ、己が救われたいがために己以外の救われていないものを用意したと言う意味合いで両者は変わりがない。自分の意図か、社会の意図かだけの違いである。己の自我か社会の自我かだけの話である。そんなことはどうだってよかった。全てが自分の中なら貴文にとってはどうでもよかった。己と同じようにどれだけ傷つけても真の意味で傷つきはしないのだから。真の意味で死ねるほどの勇気を持ててはいないのだから、逆説的にどのような言葉でさえも己には吐いて良い。自分から生み出されるありとあらゆる廃棄すべきものは全て自分に投げつけられる、それを仄かに薄暗く良しとすら思っている嫌いがあった。
ただ、それを全てに当てはめられるほどの強さが貴文にはなかった。具体的には、相手が全くの空想である、あるいは作為的な存在でありその苦しみは計りごとの作り物で絵空事であるなどと断定するようなこと、それができなかったのである。わずかばかりにでもその苦しみが本当であり、己の言動がきっかけで苦しみの背中を押して肉体を羽ばたかせてしまったのならば、何度己を殺すことになるか。何度死ねないままの無様を晒すことになるか。その将来が怯えを起こさせた。
それ故に貴文が取る答えは一つである。
流すこと。全てをなかったかのように振る舞うこと。言葉を言葉尻だけ捉えて本質から切り離し遠く遠くまで駆け巡らせ話を話から遠ざけてしまうことであった。これが彼の最後の生き方であり処世術であったのだ。
「娘といえばたいそうな響きに聞こえるがその実それはどこを切り取ったとしても子供でしかない。子供というものは畢竟一つの個体であり、そうであるのならば誰のということではなかろう、というのは一つの戯言にほかならん」
「そうじゃの、娘は確かにワシのではない。ただワシの娘に当たる人物と言えばよろしいか」
「良いよくないを決めるのは決して俺の仕事ではない。俺が何かを決めることなどありはしまい。何も決めず、何も決めさせないのが俺であろうと思うだけだ、何せこの言葉すら断言までは仕切れない」
「断言しきれないというのは一つの断言ではありませんかな?」
「何を異なことを。断言しきれないのは断言したいもののできない場合があるという意味で」
「ああ、いや、口車に乗ってしもうた。乗るのは祭りの神輿ひとつと決めておったのに。その話はもう良いのです。その辺で。言葉を断つのではなく命を断つ話をしにここまで参ったのです」
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