第6話 離れることの意味
故郷の静かな山村での生活に少しずつ馴染み始めたユウキだったが、都会での記憶はなおも彼を縛り続けていた。夜になると、夢の中でオフィスの光景が繰り返し蘇る。終わらない会議、叱責する上司、そして常に追い立てられるようなプレッシャー。そのたびに目を覚まし、冷たい汗を拭っては深いため息をついた。
そんなユウキの様子を見た祖母サキは、ある朝、彼を小高い丘の上にある古びた祠へ連れ出した。山の頂からは村全体と遠く広がる森が見渡せた。その雄大な景色にユウキは思わず息を呑んだ。
「ここから見ると、私たちが住んでいる場所も小さく見えるだろう?」サキは穏やかに語りかけた。「都会の生活も、こうして少し離れて眺めると、本当の姿が見えてくるものさ。」
サキの言葉を受けて、ユウキは都会での日々を思い返した。かつては自分が背負うべきだと思っていた責任、終わりの見えないタスク、そして人間関係の摩擦。すべてが彼を追い詰めていた。
「結局、僕が苦しんでいたのは自分のせいなんじゃないか?」ユウキはぽつりと漏らした。
サキは少し考えるようにしてから、ゆっくりと答えた。
「そう思うのも無理はないけれど、それが全てではないよ。大事なのは、環境そのものがどう影響していたかも見極めることだ。そして、そこから一旦離れてみることの意味を知ることだね。」
サキは村で暮らし始めたころの自身の経験を話してくれた。都会での喧騒と競争に疲れ、ここに移り住んだとき、最初はただ逃げたように思えたという。しかし、時間が経つにつれ、距離を置くことで自分の本当の気持ちが少しずつわかってきたのだと。
「人はね、近くにありすぎると全体が見えなくなるんだ。だからこそ、一度離れてみることが必要なんだよ。」
サキの話に耳を傾けながら、ユウキはふと、自分が都会で失っていたものに気づき始めた。
その日、ユウキはサキの勧めで一冊の古い日記を手に取った。彼自身が都会にいた頃の考えや思いを綴ったもので、実家の物置で偶然見つけたものだった。そこには、希望や理想を持って働き始めたころの情熱が書かれていた。しかし、ページを進めるごとに、その文字は次第に疲れや焦燥感に変わっていく。
「こんなに辛かったのに、僕はずっと見ないふりをしていたんだな…。」
ユウキは日記を閉じ、祠から広がる景色を眺めた。都会のビル群が霞のように遠くに浮かび上がって見える。
「離れることは、ただ逃げることじゃない。」
サキの言葉が胸に響いた。距離を置くことで、自分が抱えていた重さを客観的に見ることができる。それは、問題そのものを否定するのではなく、新たな視点で見直すための時間だった。
その夜、ユウキは初めて都会での夢を見なかった。静寂の中で寝息を立てながら、心がほんの少しだけ軽くなったように感じていた。翌朝、ユウキは自分の中に小さな変化が芽生えたのを実感した。
「都会の記憶も、少しずつ離れたところから眺めていける気がする。」
サキの教えを胸に、ユウキは新しい一日を迎えるために深呼吸をした。離れることで初めて気づけるものがある。その意味を、彼は少しずつ理解し始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます