第三十二話 真実を貫く魔王剣②
「アヤメ? ……アヤメっ! ダメだ、逝くなっ、逝っちゃだめだっ! 俺を置いて逝かないでくれ……っ!」
涙で前が見えない。
この世の中に、これほどまでに深い悲しみがあろうとは。
自分がいなくなる方がいい。自分が傷つく方がどれだけましか。
人目もはばからず、声を上げて泣き叫ぶガマニエルは、自分の姿が元に戻っていることに気づいていない。気づいていたとしてもどうでも良かった。
見てくれなどどうでもいい。
ただ、そばにいて欲しい。アヤメがいてくれれば、他には何も望まない。
「あ、あ、アニキぃ……っ」
トカゲ族のマーカスは、自分の無力さを痛感し、首を垂れた。
砂漠の荒くれ者と言われた自分を一瞬で投げ倒す最強の男が、声を上げて泣き崩れている。親愛なる兄貴が嘆き悲しんでいる。それなのに、どうすることもできない。
あれほどまでに強い力をもってしても奪えず、どんな財宝をもってしても手に入れられない。そんなかけがえのないものがこの世の中にはあるのだ。
「ガマニエル様ぁ……」
「うっ、うっ、お美しい……っ」
二匹の豚もまた、元の姿に戻っていることに気づいていなかった。
図らずもガマニエルが最愛のアヤメを刺してしまったので、魔王の呪いが解けたのだが、アマリリスもアネモネも悲嘆にくれるガマニエルがあまりにも痛ましく、他のことまで目が届かなかったのだ。
この世のものとは思えないほど美しく麗しい男が号泣している。顔は涙でぐちゃぐちゃなのに、どこか尊く儚い。誰かを愛するとはこういうことか。自分たちは誰かののために涙を流したことがあっただろうか……。
そこにいる誰もが悲しみの渦に飲まれ、下劣なゴブリンたちでさえもらい泣きする。こんなのあんまりだ。何とか出来ないのかと魔王に恨みがましい視線を向けてくる。
そんなこと言われても……。魔王のくせに良心の呵責を感じ始めたドーデモードは、ふとあることに気づいた。
いや、まさか。
しかし、間違いない。
悠久の時を過ごし、良くも悪くもあらゆる経験を積んできた魔王にしても、にわかには信じられない。
こんなことがあるのか。
「……ガマニエル」
世にも美しい男は、傍らに魔界最高峰の魔王剣を放り出し、泣き崩れている。
側に立つガマニエルのことなど目もくれない。彼はひどく大切そうに小さな娘を抱きしめ、身も世もなく泣いている。声をかけるのもはばかられるほど絶望感をいっぱいにして。
「ガ、……ガマニエルよ」
しかしドーデモードは勇気を振り絞って声をかけた。彼が気付いた事実を告げないわけにはいかない。
謎の稲妻が炸裂した魔王城の謁見の間には、天井が突き抜けて太陽の光が降り注いでいる。魔界史上稀にみる明るさで、天井からゆらりと降りてきた魔王妃ラミナも戸惑った様子で周囲を見回している。その周りをアゲハ蝶がひらひら舞う。
「ガマニエル、聞いてくれ」
ドーデモードは投げ出された魔王剣をそっと拾った。歴代魔王が塗り固めた禍々しさは消え失せ、宝玉のように光り輝いている。血塗られたはずの切っ先は磨き抜かれた逸品のように神聖な輝きを放つ。
やはり間違いない。
ドーデモードは魔王剣をつぶさに観察して大きく頷いた。
「その娘は生きている」
「え……」
ガマニエルは涙でボロボロになった顔を上げ、ドーデモードを凝視した。世界を締め出し、暗い絶望の中に閉じこもっていた男は、初めてそこに魔王がいることに気づいたようだ。
「正確には、生まれ変わったのだと思う」
ガマニエルは瞬きした。
ドーデモードの言ったことがすぐには飲み込めず、瞬いた長いまつげからぽろぽろと涙が零れ落ちる。
涙の先にアヤメがいる。ガマニエルの腕の中で密やかに。
蓮の花咲く妖精のような白いドレス姿のアヤメ。息をのむほど愛らしい。閉じた目元に影が落ちて、ふっくらとした唇はほのかな桃色で、滑らかな肌は生き生きと色づいている。
ガマニエルの心臓に衝撃が走った。稲妻より強力な希望の光。
アヤメの口元に耳を寄せる。小さな胸にそっと手を当てる。
息遣いが聞こえた。しっかりとした鼓動を感じた。
……生きている!
「あ、……ああっ、……あああ、アヤメ……―――っ」
ガマニエルは我を忘れて力いっぱい小さな娘を抱きしめた。
柔らかく温かく愛おしい。弾むような生命の躍動に満ちている。
「なんですって?」
「アニキっ、生きてるんすか!?」
「信じられないでやんす!」「やんす」「やんす」
「アヤメは無事なの!?」
「あ、待って子豚ちゃん……っ」
ラミナ、マーカス、ゴブリンたちに姉姫、金と銀の王子も一斉に集まってきた。
ガマニエルの腕に抱かれたアヤメは、剣で刺されたにもかかわらず、服も破けていなければ血の染み一つ見当たらない。美しいガマニエルに抱かれて宝石のように清らかな光を放って見える。
「ありえない……」「奇跡だわっ」「生き返ったのか?」
「そんなことがあるなんて」「でも生きている」「とにもかくにも生きている」
地獄のような暗く悲愴な空気は一気に吹き飛び、燦々とした日に照らされて魔王城は祭りのように高揚した。
「ばんざ~~~いっ!」「万歳」「バンザ~~イっ」
謁見の間は喜びに沸き立った。
「……でも、こんなことって? この娘は確かに魔王剣で刺されたはず……」
アゲハ蝶を
「その娘は完全な人間ではなかった。魔王剣を
……雷の心臓。
「確かに……」
ラミナはアゲハ蝶を介して見た氷渓谷での光景を思い出す。
強い精力を求めて雪女たちがガマニエルら旅の男性陣を氷漬けにした時、アヤメは怒って強力な稲妻を発射させたのだ。彼女自身、何が起きたか分かっていない様子だったが、あれは内に秘めた雷の為せる業だったのだ。
「その娘は人間離れしたパワーと速さを持っていましたわ」
そしてガマニエルの危機を前に身を
魔王剣に触れて稲妻を炸裂させ、剣を浄化したばかりか魔界を覆う澱んんだ妖気さえも追い払ってしまったのだ。
そんなことが普通の人間に出来るはずもない。
「そういえば……」
言われてみれば姉姫たちも頭にひらめくものがある。
「アヤメは
「アヤメの母君は嫁の貰い手がないと言われたほど変わり者の研究者だったのですけれど」
「父王はその変わったところを好み、どの妃より寵愛していました。でも彼女は御子を授かりませんでしたの」
「それで、当時ボッチャリ国が誇っていた最強の科学技術を駆使してアンドロイドを造ったと言われていましたわ」
「それがアヤメです」
アヤメは父王にも母妃にも似ていなかった。それでも母妃であるアキナは心血を注いでアヤメを慈しみ、ついには病に伏し、亡くなってしまったという。
「私たちの母上はよく仰っていましたわ。アキナ妃はアンドロイドに生命を吹き込もうとした、と」
「けれども完全な命をもたらすことは出来なかった、と」
「アヤメにとらわれて命を落としたアキナ妃のことが忘れられず、父王は科学を憎むようになったのですわ」
そして、ボッチャリ国の文明技術は崩壊し、衰退したのだ。
「父王がアヤメに辛く当たっていたのは、アキナ妃を奪ったという思いに駆られたからではないかと母君は仰っていました」
なるほど、そういうことだったのか。
ラミナは深く会得した。
ただの人間に魔王剣を受け止められるはずもないが、雷を秘めたアンドロイドだったのなら、あり得なくもない。あの閃光は、科学と魔力の衝突だったのだ。
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