第二十三話 魔王妃ラミナの逆襲②

 寒帯国の最北端に位置するラミナスランドには、ラミナスゲート、通称「恋人選びの門」と呼ばれる氷の洞窟がある。現在、魔界へ行くにはその洞窟を抜けるのが唯一のルートとなっている。


「この洞窟は真の恋人だけが抜けられるという伝説がありましてね、若いカップルの方々には人気のスポットなんですよ。ただ、実際には迷い込んで出られなくなることもありますし、万が一魔界に通じてしまったら帰って来られる保証はありませんから、基本的には閉鎖されているんです」


 アヤメとガマニエルたちの一行は、ラミナスランドに来ていた。


 モリス卿と呼ばれる司祭が案内役を買って出てくれ、目指す魔界へ通じるというラミナスゲートの前までやってきた。

 そこは見渡す限りの広大な氷山で、分厚い氷の壁が天高くまでそびえたっている。

 その麓に造られた氷の洞窟は、氷河が溶けたり固まったりして出来ているそうで、時により刻々と形を変えている、いわば、生きているのだと言う。だからこそ危険が大きく、原則立ち入りは禁じられているらしい。


「ただ、年に一度、ラミナス祭と呼ばれるお祭りが催されているのですが、その時ばかりは入り口を開放しています。洞窟をライトアップしましてね、氷の迷路をくぐって出てくるというイベントを行うんです。勿論あくまで入るのは洞窟の入り口だけですが、若者たちに大変人気のイベントなんです。晴れて二人で出てこられたら、そのカップルは永遠の絆で結ばれるというジンクスがありますので」


 なるほど、とガマニエルは思った。

 そのラミナス祭とやらが明日に迫っているから、今日は洞窟の周りに大勢の人が集まっているのか。


 普段はあまり人が寄り付かず、ひっそりしているという氷の洞窟は、現在祭りの準備で大いに賑わい、装飾が施され、煌びやかな電飾に彩られている。


 魔界へ行くには、たとえ禁止されていても強硬突破で洞窟に立ち入り、先に進むしかないが、今立ち入れば、ラミナスランドの人たちが楽しみにしている祭りを台無しにしてしまうだろう。


「祭り、終わるの待つ」「待つ」


 ガラコスとルキオの言う通り、明日から始まる三日間の祭りが終わるまで待つのが賢明だ。


 以前、魔界に行った時には阻まれるものなど何もなかった気もするが、月皇子時代のガマニエルは無知で無敵だった。自分は何でも出来ると思っていた。誰かが力を貸してくれたことにも気づけないほど、愚かだったのだ。


「それでは、ぜひ皆さんもお祭りを楽しんでいって下さい」


 祭りの間はモリス卿の好意で教会に泊まらせてもらえることになった。


 街は祭り前夜で浮き立っていた。

 通りにはおびただしい数の装飾が施され、出店も並び、前夜祭の盛り上がりを見せている。酒を酌み交わしたり、力比べをしたり、仮装をして歌ったり踊ったりする人もいる。街の人々で賑わう食事処に入ると、「ラミナス祭バンザ~イ」と、見ず知らずの人と乾杯を繰り返すことになった。


「私、お祭り、大好きなんです」

「それはそれは。ぜひ楽しんでいってください」


 アヤメがにこやかに出逢ったばかりの人々と乾杯し、談笑している。


「楽しみですね、姫さま」


 そんなアヤメの様子にばあやも嬉しくなった。

 アヤメは一応皇女だったので、庶民の祭りに参加することは出来ない。かと言って王族向けの舞踏会やパーティによばれることもなかった。ばあやたち使用人と一緒に、遠巻きに華やかな空気を楽しむしかなかったのだ。


「なあ、この地ビール美味いな」

「蜥蜴日和もいいけど」「これもいい」


 マーカスは、ガラコス、ルキオと地ビールを飲み比べている。ほろ酔いで上機嫌だ。


「このホップボッフっていうおつまみ、なかなか美味ね」

「揚げ豆なの? めちゃくちゃ地味なのに、癖になるわ」


 アマリリスとアネモネも珍しい食事にはしゃいでいる。

 蛙国の蓮根料理もそうだが、地味な見た目に最高の美味しさが隠れている。


 これまで煌びやかなもの見目麗しいものにしか関心のなかった姉姫や金と銀の王子たちは、己の視野がいかに狭かったかを知った。


 ガマニエルは先を急がない旅も悪くない、と思った。

 その土地でしか見られないものを見て、そこでしか味わえないものを味わう。その地の風習に触れ、そこの暮らしを知る。

 世界は広い。まだ見知らぬものがたくさんある。


 そして何よりアヤメが嬉しそうだ。


「ところで、この洞窟イベント、今からでも参加できるんですの?」

「雪灯篭を持って行って、洞窟の中に灯して帰ってくるなんて、ロマンティックですわ」


 アマリリスとアネモネが、先ほど見てきた洞窟のカップルイベントに興味を示している。


「君たちには僕らを目覚めさせてくれた恩があるからね」

「是非ともエスコートしようお姫さま」


 ドゴールとシルバンが、以前にも増して妻のご機嫌取りに精を出している。相思相愛のお墨付きが彼らに自信を与えたようだ。


「もちろん参加できますよ」


 モリス卿が洞窟イベントのチラシを見せながら説明してくれた。


「当日は皆さん、思い思いにドレスアップして参加するんですが、その服装はパートナーには秘密で、しかも仮面をつけるという決まりがあるんです。雪灯篭の灯りだけに彩られた幻想的な洞窟の中で、真のパートナーを見つけ出すという遊戯性を出すためにね。明日の市には貸衣装店も多く立ち並びますから、見に行かれるといいのではないでしょうか」


「まあ、楽しそう」「衣装選びもポイントですわね」


 アマリリスとアネモネはますますはしゃいだ声を上げ、


「僕は中世の騎士の格好をしてみたい」

「こらこら、内緒にしなきゃダメじゃないか」

「もちろん駆け引きさ」


 ドゴールとシルバンも嬉しそうだった。


 そんな姉姫たちとアヤメを見比べて、


「姫さま。ワタクシたちも参加いたしましょう!」


 ばあやが名乗りを挙げる。

 控えめなアヤメにもっと祭りを楽しんで欲しかった。


「え……」


 しかしアヤメは戸惑ったような目をガマニエルに向け、和やかな気分でいたガマニエルは現実に引き戻された。


「ええ? まさかこちらもカップルなんですか?」

「カップルカップル!」「相思相愛」


 意外そうに目を見開き、ガラコスとルキオに問いかけるモリス卿。密やかに囁き合う声がガマニエルの耳に入る。


 そう。これが現実だ。


 寒帯国に入ってからというもの、奇異と恐怖の視線が執拗にガマニエルを突き刺した。侮蔑と嘲笑。分かっていたことだが、彼の外見は周りを不快にさせる。

 アヤメと親し気に談笑するラミナスランドの人々は、誰一人としてガマニエルと杯を合わせようとはしなかった。


「ばあや、誰とパートナー?」「ガラコス?」「いいや、ルキオ」

「どうぞどうぞ」「こちらこそどうぞ」


 ガラコスたちが盛り上がっているのを尻目に、ガマニエルの気持ちは塞いだ。

 自分が笑われるのは良い。嫌われるのも。自分の愚かさが招いた結果だ。しかしこんな醜い化け物を健気に慕ってくれるアヤメまで笑いものになるのは耐えられない。


「……俺は先に教会に帰っている。楽しんでこい」


 ガマニエルは飲みかけの地ビールを置き、楽しそうな面々を残して食堂を出た。アヤメの追いかけるような視線を感じたが、振り返らなかった。


 アヤメが一途に自分を慕ってくれることは嬉しい。かけがえなく愛おしい。だからこそ、その想いを誰にも傷つけて欲しくない。

 今の自分の巨大で醜悪な姿では、人目に触れずにいることは難しい。この姿のままでは、アヤメを嘲笑から守れない。


 祭り前夜の煌びやかな装飾の向こうに暗い空が見える。

 世の中に、自分とアヤメの二人だけなら……


 そう思いかけて、余りの女々しさに自嘲した。


 祭りが終わったら、早く魔界に行こう。早く生贄を捧げて、元の姿に戻ろう。

 そうしたらきっと、ちゃんとアヤメに向き合える。

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