第二十話 愛しの旦那様奪還作戦②
「姫さま、そりって、下るのは爽快ですけど、登るのは地獄ですね」
「奇遇ね、ばあや。私も同じこと思ってたわ」
颯爽と雪原を駆けていたアヤメとばあやは、荷物とそりを抱えて雪山を登る羽目に陥っていた。
「あ。旦那様の匂い、途切れちゃいましたわ」
滑っている途中で、アヤメが匂いを見失ってしまったからだ。
急いで降りて来た道を引き返したのだが、そりで一瞬の道のりは徒歩で登ると百倍時間がかかる。健脚自慢のばあやもアヤメも早々に息が上がっていた。
それでも互いに手と手を取り合い、励まし合いながら雪道を進む。
「雪って見ているだけなら幻想的で綺麗だけど、現実は結構厳しいわね」
「ホント、足を動かすのに使う体力半端ないですよね」
積もった雪から足を引き抜き、次の一歩を進めるのに相当な力を要する。太ももからふくらはぎ辺りの筋肉が急速に鍛えられているのは間違いない。
日差しが降り注ぐ雪道は眩しくて暑い。貴重な飲み水を分け合いながら、雪山を登り切り、再びそりに乗って爽快に滑る瞬間だけを楽しみに、ひたすら登る。登って登ってまた登る。
「あったわ、こっちよ!」
アヤメの鼻が再びガマニエルの匂いを捉えた時には、二人とももう一歩も動けないほど精魂尽きていた。
「いっけ~~~~~」
しかしその辛さも、そりに乗って風を切る爽快さの前では、あっさりと吹き飛ぶ。二人はそろって歓声を上げた。
木々の間を縫い、葉先をかすめ、落ちてくる雪を振り払う。目に映る景色は目まぐるしく変わり、頬には澄んだ空気を感じ、見晴らし抜群、一面眩い銀世界を独り占めにする。
「さいっこ~~~」
叫びながら軽快にそりを滑らせていくうちに、
「あ……―――っ」
前方に映し出された光景にアヤメもばあやも息を呑んだ。
立ちはだかる山々の合間に出現した巨大な氷の渓谷に、氷漬けになった人々が彫刻のように並べられていたのだ。
古代帝王を思わせる屈強な男性。甲冑に身を包んだ厳格な騎士。天使のように儚く美しい少年。何十、何百もの人々が動きを止めて凍り付いている。
「あら~、小娘ちゃんとおばあちゃん」
「ようこそ、氷渓谷のイケメンコレクションへ」
そりを止め、言葉もなく立ち尽くす二人の前に、雪のように真っ白なドレス姿の美女たちが現れ、宙を漂いながらクスクス笑った。
寒帯国の旅館にいた雪の妖精を思わせる美女、妖怪雪女に間違いない。
「ばあやはおばあさんではな――いっ」
ばあやが憤然と立ち向かうが、アヤメの目は並べられた氷彫刻の一点に釘付けになった。
「……旦那様っ」
巨大なガマガエル妖怪の姿そのまま、氷細工に形を変えたガマニエルがそこにいた。隣にトカゲ族のマーカス、金の国のドゴール王子、銀の国のシルバン王子、そしてガマ獣人従者のガラコスとルキオの姿もある。
「このコレクションは強者か美男限定なの」
「私たちは捕らえたイケメンの精気を奪い、完全な氷に変えて保存しているの」
「彼らはここで永遠に凍り付いて私たちに愛でられるのよ」
クスクス、クスクス、うふふ、うふふふ、……
雪女たちが自慢げに話しながら氷彫刻の間をひらひらと舞い踊る。
「触ってはダメよ」「崩れてしまうわ」
「氷は脆いもの」「砕けたら決して元には戻らないのよ」
うふふ、うふふふ、くくく、ははは、あーっはっはっは、……
「……なんて悪趣味な」
雪女の高笑いに二の句が継げないばあやの隣で、アヤメは怒りに震えていた。
優しい旦那様の瞳が凍り付いている。その目には何も映していない。優しく触れてくれる手も。抱き上げてくれる温かい胸も。全て凍り付いている。
「……せない」
人の意思を奪って無理やり氷漬けにするなんて、許せない。アヤメは未だかつて感じたことのない怒りが自身の中に構築されるのを感じた。それは、降り積もり、体積を増し、膨らみ、熱く大きく極限まで到達して、
「今すぐ、ここのみんなを元の姿に戻しなさ―――いっ」
巨大な電流の渦になり、稲妻のように空を切って弾けた。
「きゃああっ」
雪女たちが悲鳴を上げて飛び退く。
アヤメから放出された怒りのエネルギーが熱い電流となって当たり、火花を散らしたのだ。
「な、なんなの、あの娘」「鬼の子?」「雷娘?」「電気ネズミ?」「嫉妬妻?」
「なんにしても、怖~い」「溶けちゃう」「溶けちゃう」「溶かされちゃう~~」
突然飛び散った火花に雪女たちは元々白い顔を一層蒼白にして、心細そうに身体をくねらせながら一所に寄り集まってきた。
しかし一番驚いているのは当のアヤメで、自分が何をしでかしたのか分からない。分からないが、形勢が有利なのは感じ取る。
一方間近でアヤメの電光を見たばあやは、そう言えば、人間には電流が流れているんだっけ、と漠然と思い出していた。かつてボッチャリ国が文明大国であった頃、人間に流れる電気信号を解明して最強の電気人間を作るというプロジェクトがあった。
結局完成には至らず、プロジェクトは自然消滅したが、あの研究には優秀な科学者であったアヤメの亡き母君、アキナが関わっていたのではなかったか。
「いい? 今すぐ元に戻さないと、あなたたちを稲妻で焼いちゃうわよ!?」
アヤメにとってこの好機を逃す手はなかった。
果たして自分にそんなことが出来るのか全く分からず、それは単なる出まかせだったが、アヤメが放った一言は雪女たちに絶大な効果を与えた。
「やだやだ、怖い~~」「元に戻す方法教えるから」「焼かないで~~」
雪女たちはばあやを苛立たせる特有のぶりっ子口調でくねくねしながら擦り寄ってくると、
「あのね~、氷から蘇らせることが出来るのは、相思相愛の者だけなの」
「相思相愛じゃないと一緒に凍っちゃうの」
急に得意げに胸を張った。
「つまり~~、真実の愛が試されるってわけ」「わけ」「わけ」
姫さまに何か超人的な能力があるかどうかはまた今度考えることにして、今はともかく、雪女たちから皆さまをお救いすることが肝心。
苛立ちを収めたばあやの隣でアヤメが厳かに進み出た。
「分かりました」
アヤメの頭には、出がけに聞いた姉姫たちの言葉が蘇っていた。
『アヤメ、王子様には目覚めのキスよっ』
そう。自分からキスをしてもいいということよね。
アヤメは凍り付いたガマニエルの彫刻の前に進む。ガマニエルが巨大ゆえ、失礼ながらよじ登らせてもらう。目を合わせてもその大きな瞳にアヤメを全く映さない。冷たいガマニエルの顔に胸が痛む。
旦那様。失礼します。
冷たい氷の唇に自分の唇をそっと近づけた。
今朝見た夢が脳裏に蘇り、一瞬動きを止めるが、『アヤメ』と自分を呼んでくれるガマニエルの優しく甘やかな声を思い出して目を閉じた。
相思相愛って結構な博打なんじゃないの。
もしかして、知らなきゃよかった二人の相性とか、カップルでやったらダメな占いとか、そういう類なんじゃあないの。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます